[暮らしっ句]冬 至[俳句鑑賞]
冬至近し 父母と夕餉に対ひゐて 小島せつ子
おだやかさに惹かれました。
のんびりとか、くつろぎとかって、自分一人では手に入らないものかも。実はいくつものめぐり合わせが必要。この場合、父、母、作者、皆にゆとりがあった。そう考えるとその何気なさが小さな奇跡。
これをオカルト的に読んでみます。
三人が揃って心静かになったのは「冬至」のせいでは? そういえば今日は冬至だった……という偶然ではなく、冬至だからこのひと時が生まれた。古代の感性をお持ちになっている方には「冬至」のめでたさがわかるんですよ。きっと。
.
玄関に潮の満ちくる 冬至かな 荒井千佐代
表の意味は「?」です。作者は一般の人がわかってくれるかどうかを気にしていない~ でも、オカルトがわかる人には一目瞭然。「冬至」の霊気が玄関にまで満ちてきたと。
たとえば、向こうの方から雨がやってくるのがわかる時ってありますよね。上から降ってくるんじゃなくてシャワーみたいなのがこっちに来る。そんなふうに「冬至」の気配の接近が感じられたのでしょう。そんなのがわかれば、そりゃあ誰かに云いたくなります!
.
長電話 三つつづきぬ 冬至かな 堀米洋江
日が短かったり寒かったりで家にいる時間が多く、つい長電話が多くなる……というのが表の意味。
オカルト的に読めば、呼び出し音に意味がある。映画でそんなシーンがあれば、どう感じます? 何かよからぬことが起こるという伏線。
大洪水の前、ノアは箱船を造ったわけですが、他の人はどうしてたんでしょう? 普段通りに過ごしていた? たぶん違いますね。やはり神経が高ぶったと思います。でも、それをおしゃべりやゲームなんかで解消したんじゃないでしょうか。戦争もそうかもしれない。もしそういう世の中になってきたら、要注意。今は?
.
水底に日のあり 冬至十日前 神蔵器
これも映画に使えそうな描写。主人公の視線は空の太陽に向かわず「水」に映る太陽に向けられる。あたかも太陽が「水底」に潜んでいるかのように……。
この「水底」の太陽は幻影でも偽の太陽でもありません。冬至に誕生する太陽の児。空にある太陽が風前の灯火。
.
二上山(ふたかみ)の くつきりとある 冬至かな 伊勢きみこ
「二上山」と「冬至」の取り合わせ。偶然なわけないですね。
「ふたかみ」とされていることからも古代が意識されているのは明らか。今の読みは「にじょうさん」ですから。
古代以前より「二上山」は神聖な山とされてきましたが、山そのものが御神体とはなっていません。何か事情があるのでしょう。そしてその由緒が語り伝えられずに風化しつつある。その意味で、冥界っぽい。
が、そのイメージは後世のイメージであって、古代においては「誕生」と「冥界」のダブルイメージ。河内からみれば日が昇る山であり、大和からみれば日が沈む山だからです。
まさに「死」と「再生」の「冬至」にピッタリ。近現代人にはいささか影が薄い「二上山」ですが、山自体の「パワー」はそんなことにおかまいなく「冬至」にオーラを発していた……。
.
風に耐へ 冬至詣での人の波 坂本ひさ子
冬至に祭事を行う寺社はよくあるので、その光景が詠まれている…… というのが表の解釈。オカルト的に読めば、不穏な空気を感じて信仰に救いを求める人たちの群れ、そこに作者は反応しているのではないか。
今、宗教とか信仰のブームってあるんでしょうか? なかったとしたら、そのほうが安心ですが、今はマスコミやSNSの影響力が大きいですからね。「何も起こりませんから、安心して消費生活をエンジョイしましょう~」という仕掛けで、本能が麻痺させられていなければいいんですが……。
.
冬至てふ 穏やかな日を賜はれり 稲畑廣太郎
日の力もどる 冬至の野辺明り 西屋敷峰水
葉一枚 悠然と落ち 冬至かな 林翔
これらは達人の句。一番日の短いのが冬至ですが、冬至が「陰」の極みかというと、そうではないと思います。むしろ新しい「陽」の兆しが明確に出ているわけでそっちのムードの方が強い。それを体感しておられるのだと思います。
「葉一枚 悠然と落ち」というのは、去りゆく太陽が後継者を確認して「悠然」と眠りにつくという描写。こんな僅かな文字数ですごいドラマチック。
.
眼に痛きまでに尖りて 冬至の芽 太田寛郎
「冬至の芽」は定番の言葉のようです。ですが、学のないわたしには新鮮に感じられました。
「春先の芽」のドラマは知ってたんですよ。早く成長した方が日当たりに恵まれ有利なんですが、寒が戻ると枯れてしまう。早く芽吹けばいいというものではないんです。三月の初旬でもそんな苛酷なドラマがある。
「冬至の芽」なんて想像を絶します。もちろん今の時期の「芽」はいわば1段階目で三月のそれとは違うわけですが、それにしても厳冬期に向けての飛び出しですからね。めちゃめちゃ尖らないとムリ。
でも、新しい時代を切り拓く者たちにはそれくらいの猛々しさが必要。
.
暁けきらぬ 冬至の朝の旅立に 稲畑汀子
ということで「冬至」は心ある人にとってはスタートの日。世界は確実に代わる。こちらも変わらなければゾンビです。
ナントカ・リセットも、インボーといえばインボーですが、新しい世界への「切り替え」の一つなのでしょう。ゾンビが敵う相手ではありません。「保守」が信条だとしても、その伝統にはちゃんと再生の儀式があったわけで、それは今のクリスマスともお正月とも違う。
冬至の前のこの時期、大切にしたいものです > ジブン!
出典 俳誌のサロン 歳時記 冬至
冬至
ttp://www.haisi.com/saijiki/touji.htm
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?