パリアーネ(パリのお姐さんたち)[image+story]
カバーストーリーは末尾に~
「海外でさみしくなったら、おばちゃんを探せ」
経験豊富な友人からそう聞いていた。
理由は、「おばちゃんは、世界共通だから」
「日本人は若く見えるから、三十代までならかわいがってもらえるぞ」
本気にしたわけではなかったが、ホームシックにかかってしまった。気づいたときにはかなり重症。あれは立派な病気だ。何も知らなければ精神科に駆け込むところだが、精神科に懲りていたオレとしては、別の手を探すしかなかった。
街角の猫と戯れるのもいい。しかし、人通りのあるところだと人間の視線が痛かった。そこでようやくおばちゃんを探すことにした。
店が並ぶ目抜き通りの一本裏の道に見当を付け、働く女性が休憩するようなカフェを探した。男連中のたまり場か、女性の多い店かは、店の感じで何となく区別できた。
店では、コンピューター・グラフィックのアーティストだと偽った。興味を示してくれたおばちゃんには写真を撮らせてもらい、その場で絵に加工してプレゼントした。これがそこそこ受けて、店に行けば誰かが話しかけてくれるようになった。
友人の云ってた通りだった。フランス語は大学で単位をとれなかったほど酷かったが、相手がおばちゃんだと日本の方言のように察しがついた。というかリズムだ。言葉よりも音と間と表情しぐさの組み合わせで十分コミュニケーションが出来た。
親しくなると、彼女たちの人となりもわかってきた。個別に語り出すときりがないが、概して云うと、笑顔は意志だと思った。苦労は容赦なく外見に刻み込まれる。しかし、笑顔はそれを割ってのぞき、時に弾けた。
彼女たちはとてもよく笑う。必要以上に笑う。はじめの頃は、かえって疲れるのではないかと思ったが、たぶんそれはこういうことだ。
うまくいかないことが多くても、それ以上に笑って、差し引きを黒字にしておく。それがポイント。黒字でさえあれば不幸ではないのだから。
いつしか本当に彼女たちの魅力を写しとって、それをアートとして表現したくなった。自分に出来るお返しは、たぶんそれくらいだ。
「おばちゃん」ではなく「お姐さん」としたのは、お世辞ではない。
明るく気さくで涙もらいのに強い、そんな彼女たちへのオマージュ。
パリのお姐さんたち、「パリアーネ」に祝福あれ!
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