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[近未来伝奇]鬼遣ら「れ」 2024

 ある遺伝子組み換え薬に奇妙な副作用が発生した。頭に「角」が生える者が続出したのだ。すでに千人に数人という高率で発生、ますます増えそうな勢いを見せた。
 薬の副作用についてはデマや因ボーロンで片付けられることが通例になっていたが、今回ばかりは世論も強く反応した。何しろ「角」だ。隠しようがない。いやでも目に付く。
 就職の内定が取り消される、縁談が破断、商談がキャンセル、入店お断り等々、差別が頻出した。当事者はもちろんのこと、家族や勤務先の会社までもがその差別に巻き込まれた。これではさすがのマスコミもスルーしようがない。ニュースになると巨大製薬会社も対応を迫られる。
 が、長い時間と莫大なコストをかけて開発した新薬だ。改善は簡単ではない。さりとて販売中止は絶対に避けたい。調査結果だけ公表した。
 が、それがまた火に油を注ぐ結果となった。というのもこんな内容だったからだ。
 
角が生えた患者には、元々、角が生える遺伝子があった…… これまで生えなかったのはその遺伝子のスイッチがオフになっていたから…… そのスイッチが当該薬の副反応でオンになったため角が生えた…… したがって、角の遺伝子を持っていない大多数の方に角が生えることはない…… また角が生えた方におかれましては健康上の問題はないので安心していただきたい…… 我々としては、そのスイッチをオフにする薬の開発にすでに着手している…… 」

 これではまるで特定の遺伝子をもった者が悪いかのようである。責任転嫁もいいとこだ。炎上するのも無理はない。
 ところが、火の手は意外な方向に飛び火した。
「角の遺伝子を持った者は鬼の末裔ではないのか?」との風聞が広がったのである。副作用の問題は差別の問題へと様相を変えた。

 差別の第一要因は見た目の違いだが、より厄介なのはそこに何らかのストーリーが結びつくケースだ。それが神話だと問題はかなり深刻になる。神を信じることと「呪われた民」だとか「罪人の裔」などという物語がセットになっているからだ。「角」が「魔物」「鬼」の徴であるとする神話や昔話は、多くの文化圏に存在する。

 おりしも世界経済は準恐慌。多くの国は戦時体制を敷き、社会の閉塞感ははかなり高まっていた。しかも、目指すべき理想さえもがバラバラかつ分断されている有様で、希望も見いだせなかった。「鬼が出た」という風聞は、溜まりにたまったエネルギーに火をつける結果となった。

「魔女狩り」の再現である。「角」を持つ者を一般人が集団で闇討ちする事件が続出した。魔女狩りには一応、裁判があったらしいが、「鬼」の判別は「角」を見れば出来てしまう。それが何よりもの証拠だという論理で文字通り私刑が横行した。というか「角」は犯罪とはまったく無関係であり、ケイサツの出る幕ではないのだ。しかし、それもまた鬼とケイサツが結びついているなどの憶測を呼び、暴徒に変な使命感をもたらした。

「角」を持つ者たち…… 外見から受けるイメージとは裏腹に、彼らのほうから人を襲うようなことはほとんどなかった。それはそうだ。「角」があるだけで人間なのだから。
「角のある連中は凶暴な鬼に違いない!」というのは「角」を持たない者たちが抱いた妄想に過ぎない。その妄想に取り憑かれた者のほうが「魔物」なのである。
両者の行動を見れば、どちらが凶暴で残虐なのか一目瞭然だ。

 人は時として「鬼」になる。強いストレスに曝され続けるとそのはけ口、スケープゴートを求めて攻撃的になる。その心情はわからなくもないが、罪なき者を襲えば、その行動こそ「鬼」と呼ぶべきだ。

 では、どうして「角=鬼=悪者」というステレオタイプなイメージが広まっているのだろう。考えてみると情報操作のニオイがプンプンする。
 権力者たちがそんな宣伝を考えて受け継いできたと云えば、因ボーロンになるが、そうでないとしたら「鬼狩り」をやってしまった人たちを疑うことになる。
「鬼狩り」をやった人たちが興奮状態から覚めて正気に戻った時、どんなふうに反省するだろう? おそらく自分がやったことを正視できまい。相手には一片の罪もなかった。それを妄想にかられて襲ってしまったのだ。
 そんな時、人はどうするか? 謝罪できればいいのだがそれが出来なければ発狂しそうだ。発狂しないためには記憶を改ざんするしかない。やってなかったことにするのである。場合によっては立場をきれいに入れ替える。自分のほうがやられたことにする。それを無意識にやるから始末が悪い。

かくかくしかじか、こんなことがあった(反転された記憶)。
「鬼」とはまことに恐ろしい存在であり、成敗されて当然だ!

 しかし、そんなことをすれば罪にさらに罪を重ねることになる。「角」を持つ者とすれば、そんな物語が流布すれば、生涯、いや末代まで消えぬ烙印を押されることになる。こんなに残酷な仕打ちはない。

「鬼やらい」の行事にフレンドリーな調子が強いのは、そのためかもしれない。「鬼」を追い払うポーズはとるが、心の底では「鬼」に反撃してもらいたい願望があるのではないか。

「めちゃめちゃに仕返してくれ!
 オレたちを罰してくれ!」

そしてどうか赦してほしい……



昨年の「鬼やられ」↑


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