[伝奇小噺]○○のヘキレキ[ト説]
今回、聞こえてきたのは、今普及している『聖典』の成立年代が実は十七世紀だったという奇説。
教科書的な歴史からすると、まさにトンデモです。古代ローマにおいて「木」教が国教になった時点で、明文化されたものがあったと思うのですが、その当時のものと今のものとは違うというのです。
◇ 予習 または おさらい ◇
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当記事はトンデモなので上記の記事は直接は関係しませんが、このようにきちんと勉強すればするほど、『聖典』の由緒、正統性を信じることになると思うのです。
ところが、四世紀に成立した『聖典』と、今日の『聖典』は同じではありません。まったく同じであるわけがないと屁理屈を云ってるのではなく、そのズレに作為はないのか? ということです。
翻訳する、現代語に直す、わかりやすい表現にするという過程での「改善」が、何を基準にしての「善」なのか。今の憲法改正の議論を思い浮かべれば、わかりやすいかと。まったく中立の改正などあり得ませんから。
元資料の詳細な考証 と 後世行われた再編集の話は別!
十七世紀に何があったのか?
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トンデモ頭のわたしに察せられた事実経過はこうです。
ルター(1483年11月10日 - 1546年2月18日)が、『聖典』を根拠にして権威や組織への批判を開始しました。当然『聖典』がとても重要になります。議論の際には弁護士の六法全書のようになるわけで、確かな『聖典』を選ぶ必要があります。
この時代には正統派教会の「正典」が存在していたはずですが、時間が経つと、さまざまなバリエーションが出来てしまうのが世の常で、まずその可能性があります。
少し具体的に云うと、布教には地域性や相手のことを配慮する必要があります。伝統色の強い地域や人たちには、奇跡の話や神に背いた罰の話のほうが有効でしょう。一方、都市部や知的な人たちには、論理的、合理的な説明のほうが説得力を持ちます。つまり、多様なニーズに応じて正典が分化していたと思うのです。聖母マリアを中心にした布教もあったくらいですから。
バリエーションがあるということは、ルターに馴染む『聖典』もあれば、正統派教会に馴染む『聖典』もあったことになります。さっきも云ったように平時なら、それぞれの立場で使いやすい『聖典』を使えばいいんですが、対立が激しくなればそんなことは云ってられません。正統派教会とすれば、少しでも自分たちに有利な『聖典』に一本化したい。
まずその段階があり、事態はさらに進みます。
ルターが自分で訳した『聖典』を発表したからです。そうなると正統派教会としても、新しい訳を発表する必要に迫られます。専門職にしか理解できない言語や難解な云い回しではなく、広く多くの人々に読んでもらえる訳。大変な作業ですが、大幅に書き換えられる絶好の機会!
十七世紀に作られた『聖典』とはそれではないのか
インボーロンみたいで、イヤだなあ という方もおられるでしょう。そのあたりは、とてもセンシティブなことなので立ち入るつもりはありません。フィクション、頭の体操として読んでいただければと思います。
たた、書き換え=インボーロン で話が終わってしまうと不本意なので、もう一つ、頭の体操を紹介させてください。
『万葉集』も『記紀』も、いずれも平安時代以降のものしか現存していません。そこから、次のようなことが考えられます。
・何らかの古書はあったんだろうけど、それを自分たちに都合の良いものに書き換えたんじゃないの? だってものすごい労力(お金)をかけないと古書の再生なんてできないから。お金をかけるなら、こうしろああしろと……
まさかと思われるでしょうが、国は戦争だってやるのです。云い換えれば、神話や国史は内容いかんで戦争の火種にもなるし戦争の抑止にもなる。書き換えることで戦争が回避できるなら、それは政治的にはたぶん正義。
たとえば、
激戦を繰り返し、何度も滅亡の危機に直面しながら、なんとか勝利して生き残ることが出来た……。そういう神話をもっている宗教や民族と、
譲り合いや和を尊重する歴史を持っている宗教や民族が、後世、同じ道を歩むでしょうか?
「歴史の浅い王」と「神代から続く王」と、いずれが攻撃されやすいか? ということもあります。
国史を編纂する立場で平和を願えば、○○時代以前の王家と今の王家は別だ、とは書けないでしょう。そんなことを書けば、それこそ戦乱の種を蒔くようなもの。
これも頭の体操です。歴史的事実については専門書をお読みください。
今のたとえ話は政治的な動機についてですが、『聖典』だって、台頭してきたルター勢力との関係は、相当部分が政治的問題でした。
ルターに実力闘諍の考えがあったとは思いませんが、教会サイドには相当の危機感があったと思われます。なにしろさんざん異端の弾圧、魔女狩りなんかをやってたんですから! やったものはやられる恐怖にかられます。
そんな心理で『聖典』の再編集をやれば、どうなると思います? やはり争いを強く意識した内容になると思います。よく知らないので具体的なことは云えませんが「旧」のほうは相当血なまぐさいと聞いています。
でも、本命は「新」のほうなので、そっちの書き換え例を解説できれば良かったんですが…… わたしに語れる範囲はここまで。真相解明を期待された方、申し訳ありません。わたしはトンデモはトンデモでもお笑い系なのでご勘弁~
それにしてもあの『聖典』がわずか四百年前のものだったとは…
これこそまさに 聖典の・・・・
見出し画像は kawagoetsuvasaさんの作品です。
ありがとうございます。
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