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ハーバード・ジュリアードを首席卒業した私が見てきた新・世界の常識 ~複雑化する時代を生き抜く54の思考と言動~

昔からラジオが好きです。中でもJ-WAVEは開局以来20年以上聞いています。

ちなみにJ-WAVEは東京ローカルのFMラジオ局で、「J-Pop」という言葉もJ-WAVE内の番組から生まれたそうです。開局当時はサッカーのJリーグが誕生し、なんでも「J」をつけるのが流行っていたので、その時流に乗った感じですかね。

そんなわけで、自宅でリモートワークをしているときや、外でランニングをしているときなどはもっぱらJ-WAVEを聞きながら活動をしているのですが、先日ある番組内で広津留すみれさんという方がお話をされており、興味を持ちました。広津留さんは大分の公立校からハーバード大学に入り、そしてその後音楽学校の最高峰と言われるニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、なんと両方とも首席で卒業したという驚きの経歴の持ち主です。

そんなすごい方なので、探してみたら簡単に彼女の著書が見つかりました。なかでも2020年に出版された最新の著書がこちらでした。

まず言いたいのが、タイトル・・・長すぎじゃないですか(笑)

「ハーバード・ジュリアードを首席卒業した私」って、絶対本人はそんなこと言わないですよね・・・。

余談ですが、初めて知り合った人で聞いてもないのに自分の出身大学を言ってくる人っていますよね。「あ、僕東大出身なんですけど・・・」みたいな。こういう人は自分に自信がないから、肩書でしか生きていけないんだろうなぁと思ってしまいます。

広津留さんはラジオを聞き、本を読んだ限りそんな方ではなく、本当にグローバルな視点を持った素晴らしい方だと思いました。

私も一応日本以外の3か国に暮らしたことがあり、計34カ国に行き、20人以上の外国人の部下を引き連れているという意味では、それなりに「グローバル」な人間ではないかと思っているのですが、今回彼女の本を読ませてもらい、やはり自分はまだまだ学ぶことがあるなぁと再認識しました。

本書ではまず冒頭に以下のように記されています。

世界は今や、年齢、国籍、性別、人種、宗教に関係なく、だれでも平等に戦える舞台に変わろうとしています。言い方を変えれば、世界の新しいバージョンに対応できるよう自分をアップデートさせなければ、自分だけが昔の世界に取り残され、そのステージに上がる手立てがなくなっていきます。

これは常々私が生徒に行っていることであり、自分への戒めとして唱えていることなので、ここからすでに共感マックスでした。

他にも彼女の言葉で共感した個所を挙げていきます。

1.固定概念

多様化する社会において、一番危険で厄介なものは固定概念と思い込み、だと言っても過言ではありません。

いやー、おっしゃる通りですね。先日オリンピック組織委員会の某氏が女性に関して時代錯誤な発言をされていましたが、まさにあんなのは固定概念の以外の何物でもなく、自分をアップデートさせてこなかった証左だと思います。だから悪気も全くない。ゆえにたちが悪い。

新しい考えに触れた時に自分が無意識にどう反応しているかに気づくことが、自分の潜在意識をみえるかする最初のステップです。さらに主観と客観を切り離し、客観的な価値観に目を向ける必要があります。自分を客観視する能力をメタ認知能力と言いますが、論理的思考が苦手な人はこの能力に欠けていることが多くあります。多様化する社会においては、このメタ認知能力は生きていく上で必要なスキルと言えるのではないでしょうか。

2.ハイコンテクストとローコンテクスト

ハイコンテクスト(High Context)文化は行間を理解する文化、ローコンテクスト(Low Context)文化は言われたことだけを理解する文化です。

これは私が海外で暮らしているときに嫌というほど思い知った現実です。そこで日本語や日本文化を客観的に見直すことができました。

コンテクストとは「文脈」という意味ですが、日本人は文脈(または行間)を読む力が世界の中でも非常に高いと言えます。これは言語的、文化的背景からくるものですが、「以心伝心」「空気を読む」「暗黙の了解」なんて言葉があるくらい、言語外のコミュニケーションも成熟しています。

一方英語に代表される欧米の言語は「言わなければわからない」「直接的であるほど良い」という前提に基づいてコミュニケーションが行われます。

私も日々外国人と接する中で、あいまいさを排除することや結論を先に伝えることなど気を付けていることが多々あります。

しかしながら、先日ある出来事がありました。外国人の先生に模擬試験の監督をお願いしたのですが、試験が終わって「答案が番号順にそろっていない」「氏名が抜けている答案がある」と問題になったのです(もちろん大きな問題ではなく、すぐに解決しました)。彼らは普段定期試験の監督等には入っているので、監督のやり方などはわかっているはずでした。なので「大丈夫だろう」思い込みが働き、指示が不明瞭になってしまったために起こった出来事です。私の反省としては「模試も定期試験と同様に、これとこれとこれをしてください」と明文化して仕事をお願いするべきでした。

これは日本人側からすると、「いちいち言われなくちゃできないのか=仕事ができないなぁ」となる可能性もありますが、そうではなく文化的背景の相違からくるミスコミュニケーションであることを理解しなくてはいけません。それが異文化コミュニケーションだと思います。(↓は私が「異文化コミュニケーション」をテーマにした授業で使うスライドです)

ちなみに本書でも”Job Description"(業務契約書)の話は出てきます。どちらが良い悪いではなく、「文化が違うんだ」ということを生徒には強調して説明をします。

3.本音と建前

英語は直接的な言い回しを好むので、本音で話す人が多いのではないかと思うと、それは間違いで、本音はなかなか出てきません。

「本音と建前」が日本独特のものだと思っている方もいると思いますが、そうではありません。欧米でも立派に存在します。

話は少しそれますが、この「欧米」という表現も非常に危うさを持つ表現です。アメリカとヨーロッパを一緒くたにすることは相当無理があり、それぞれまったく異なる思想と文化を持っています。(それを言うならヨーロッパというくくりもかなり広義過ぎますが・・・・)

アメリカ人なんかは会話の中で「建前」がぼんぼん飛び出してきます。

例えば、数年前にある大学に招待されてアメリカ人の学部長と話をする機会があったのですが、そのときに"Your English is fantastic!"と褒めてもらったことがありました。もちろんその時は嫌な顔をせずに感謝の意を述べましたが、当然学内には私より英語が上手な日本人はわんさかいるはずで、明らかな社交辞令だと思いました。

では、本音を引き出すのに有効な手段は何かというと、広津留さんは相手の目を見て判断すること、だと言います。言うまでもなく、アイコンタクトはコミュニケーションにおいて非常に重要な手段ですが、日本人は概してシャイな民族なのでアイコンタクトが得意ではない人が多いと思います。(私もそうです)それでも相手の真意を見破りたいときは、やはり言語を越えて目から読み取るのは重要な作戦です。言葉に表れない些細な情報をつかみ取るには、目は最適なリソースだと言えます。

4.文化による印象の違いと理解の大切さ

「余裕」の認識は文化によって異なります。

日本では足を組んで手すりに肘をついて椅子の背に身体を預けていたら、失礼な態度だと捉えられてしまいます。逆に、アメリカではこれが普通のことで、むしろ相手に心を開いている、リラックスしていると捉えられて、好まれる場合もあります。

また、人の話を聞くとき、相手の内容を理解しているぞというのを示すためにうなずくというジェスチャーは日本では効果的ですが、アメリカではあまり一般的ではありません。

日本人がアメリカでビジネスの商談を行う際は、このような違いも知っておかなければなりません。場合によっては相手に違和感・不快感を与え、それがビジネスに影響することもあるからです。学生だったら知らなかったで済まされることも、ビジネスではそうとも限りません。

リーダーにとってこの「余裕」は重要です。常に不安に駆られていて、余裕がないリーダーに人はついていきません。私もそんなグローバルに通用する「余裕」を身につけたいと思っています。

5.Food Preference(食の好み)

これもこれからの社会ではグローバルにとらえていかなくてはいけないことの一つだと思います。

私は海外に住んでいた時にベジタリアンやビーガンの多さに驚いた記憶があります。ベジタリアンやビーガンは日本ではほとんど見かけませんが、インバウンドが重要な産業となった今(コロナの影響で完全にストップしていますが・・・)、外国人観光客へのおもてなしという意味でも、異国の食文化への理解は今後もますます必要になるでしょう。

宗教だけでなく個人の思想によって食生活の在り方が多様になる今、会食やミーティングを開催するときは、相手に食事制限やアレルギー、好みの質問を事前にするのが最低限のマナーであり、優しさである、ということを日本人も理解していかなければなりません。

Think globally. Act locally.

最後に、これは本書に書いてあった内容ではないのですが、まとめとしてずっと自分が生徒に伝えていることを書きたいと思います。

世界がグローバル化された今、私たちは物事を常に地球規模で考える必要があります。しかしながら、日本はあらゆる面でこのグローバル化から取り残されつつあり、なかなかそれが難しいのも事実です。

例えば、労働生産性の著しく低い働き方、先進国で圧倒的最下位のジェンダーギャップ、約150年間変わらない教育スタイル、圧倒的に遅れているICT教育、などなど、挙げていけば枚挙にいとまがありません。

しかしながら、これは仕方ない部分もあります。島国という地理的な環境、歴史的背景からくる村社会、などが国民の意識をどうしてもドメスティックなものにしていしまいます。

例えば、ニュース一つを取ってみても、世界で”大変”なことが起こっていても、その日のNHKのニュースのトップ項目が、あるアイドルの引退報道だったりします。(「お花畑症候群」と名付けたくなりました)グローバルな思考が育ちにくい環境が整えられているのです。

そうなると教育しかないと思うのです。教育を通して、Think globally. Act locally.できる人間を育て、この国をよくしたいと思います。

マララさんも言ってました。

Education is the only solution. Education First.

今回も長文をお読みいただき、ありがとうございました。


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