見出し画像

『 造り変える力 』

画像1

 明治政府は天皇を中心とした国づくりをするために、神道を国教にしたいと考えていました。しかし、英仏米といった外国との不平等条約を改正するためには、キリスト教の布教を認めなければならなかったのです。そこで「信教の自由」を大日本帝国憲法第28条によって保証しました。
 明治以降、日本人は信仰の選択を求められました。「一神教か、多神教か」「仏教か、神道か、キリスト教か」の選択です。ところが、多くの日本人は選択の決断をすることなく、仏教や神道など複数の宗教に関わっていることを理由に、自らを「無宗教」としたのです。

 明治から昭和初期にかけて、国際的な視野をもった日本人は外国の文化を前向きに受け入れていきました。
芥川龍之介はそうした姿勢の一人だったと考えられている作家です。

画像2

 あなたは芥川龍之介の作品を読んだことがあるでしょうか?
彼の作品「神神の微笑」(大正11-1921)は、宣教師オルガンティノ(キリスト教布教のために来日した)と老人(日本の古代神)のやりとりが中心となっています。このような会話でやりとりが始まります。

老人「泥烏須(デウス=神)もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ」
オルガンティノ「泥烏須(デウス)に勝つものはない筈です」

会話は進んでいき最後にこのようなやりとりになります。

オルガンティノは口を挟んだ。
 「今日などは侍が二三人、一度に御教に帰依しましたよ。」 
「それは何人でも帰依するでしょう。ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分が悉達多(シッタルタ:釈迦が出家前、太子だった時の名前)の教えに帰依しています。しかし、我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」(中略
「しかし泥烏須(デウス)は勝つ筈です。」(中略)
老人はだんだん小声になった。 
「事によると泥烏須(デウス)自身も、この国の土人に変わるでしょう。支那や印度も変わったのです。西洋も変わらなければなりません。我々は木々の中にもいます。浅い水の流れにも います。薔薇の花を渡る風にもいます。寺の壁に残る夕明りにもいます。どこにでも、 またいつまでもいます。御気をつけなさい。御気をつけなさい...

 芥川龍之介は、日本の風土が宗教を〈造り変える力〉をもっていることを作品を通して述べているのです。支那(シナ)は中国の文化を、印度(インド)は仏教を指していますが、キリスト教がこれらのように日本的に変えられる未来を暗示しています。

 「神神の微笑」が発表されてから約100年になります。時の流れの中でキリスト教は日本で変わったのでしょうか?

画像3

 いいえ、それはありません!
 聖書が日本人の習慣に妥協するように書き換えられてしまっているのなら、キリスト教は日本的になっていたかもしれません。ですが、書き換えられたその瞬間に聖書ではなくなるのです。
 イエスの弟子となったクリスチャンたちが、聖書を人類に与えられた誤りなき「神の言葉」と信じ、その神のことばによって本当の自由を得ているのです。
イエス・キリストはこう言われています。
「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
 弟子とは、その人に従い、その人から学ぶ者です。その人とはキリストのことです。真理を知ることは、知識で頭をいっぱいにすることではありません。行いによって真理を得ることはできないのです。

画像4

目の前のハンバーガーがおいしいかを確認するには、食べてみるしかありません。
 あなたが「イエスは受けるよりも与える方が幸いであると言ったが、どうしたらそれが真実だとわかるだろう」と思ったとします。1,000時間考えても、何千人の人とZoomをしても答えは出ません。でも、あなたが他人に気前よく与えたなら、イエスの教えの正しさがわかります。そしてそこで止まらずに、その次、その次とイエスの教えを試してみるのです。その結果を経験していくことで、キリスト教信仰が真理であることがもっともっとわかるようになっていきます。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
〈聖書〉

 神のことばが人を『 造り変える力 』は、衰えることはなく永遠に変わらないのです。
イエス・キリストはすべての人の救い主です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

お手元に聖書がない、でもすぐに読んでみたい・・・
そのようなときはぜひ、こちらのアプリを使ってみてください。

『聴くドラマ聖書 Japanese Dream Bible
https://graceandmercy.or.jp/app/
ここから無料でダウンロードできます。

最後までお読みいただきありがとうございます。
=================
はじめて教会へ来られる方へ
教会は心の清い人が行くところだ・・・とお考えではないでしょうか?
決してそうではありません。
だれでも自由に聖書からのメッセージを聞くことができます。
神様の愛はだれにでも平等に注がれています。
あなたは人生でいちばんたいせつなことを発見し、
喜びと希望と感謝に満ちあふれた人生をおくることができるでしょう。

■■ 苫小牧キリスト教会 ■■

 ホームページ 
https://tomakomaicc.com/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?