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“それ”が宿る

 休日の朝、都内を散歩をしていると70代くらいのおじいさんがうずくまっていた。
「あの、大丈夫ですか?」
 おじいさんはこちらを見て「あぁ、大丈夫じゃ」と言った。おじいさんの手には黒いビニール袋がある。
 あれ、このおじいさんどこかで見たことあるような……。
「今の、あの人が捨てた空き缶を拾っとったんじゃ」
「ゴミ拾いですか。素晴らしいですね」
「はっはっは。お前さんにはただのゴミ拾いに見えるか」
「違うんですか?」
「人はの、知らず知らずのうちに”それ“を捨てとる。ある人の“それ”は空き缶に宿る。またある人の“それ”はタバコの吸い殻に宿る。レシートや噛み終えたガムに”それ“が宿ることもある。人は、そんなものにまさか”それ“が宿っているとも知らずに、好きなときに”それ“を捨てる。誰かに頼られれば、自分には“それ”がないからと言ってチャンスを逃す。そして、自分に“それ”があったらなぁと嘆く。自らの手で“それ”を捨てとるのに、じゃ。わしはみんなが捨てた“それ”を集めてるんじゃよ」
「あの、何度も言ってる“それ”って何ですか?」
「ある若いメジャーリーガーは『運』と言っておったが、わしが言う“それ”というのは『人望』のことじゃよ」
「人望、ですか」
「あぁ、そうじゃ。お前さんは、もし目の前にタバコの吸い殻をポイ捨てする人を見かけたらどう思う?」
「そりゃ、冷たい目で見ますよ。火事になったら危ないですし」
「ポイ捨てした人が知り合いならどうじゃ?」
「まあ、その人の人間性を疑っちゃいますね。今後の付き合い方も考えるかもしれません」
「そうじゃろ。人はそうやって自分の人望を知らず知らずのうちに捨てとるんじゃ。反対にゴミ拾いをしている人を見かけると、さっきお前さんがわしに『素晴らしい』と言ったように褒めてくれるじゃろ」
「たしかに」
「別にわしも褒められるためにやってるわけじゃないが、みんなが捨てた人望を拾ってると思いながらこんなことを続けておったら、今や有名人になってしもうての」
「あなたが?」
「えす、えぬ、えすとかいうやつじゃ。なんかわしのゴミ拾いしてる画像が広まっての。わしもえす、えぬ、えすとやらを先週から始めてみたんじゃが、ふぉろわーとかいうのが20万人を超えたんじゃ」
 思い出した。そういえば、SNSでこのおじいさんの画像を見たんだ。しかも、俺もフォローしてるじゃないか。
 この日以来、俺は道に落ちている“それ”を拾うということを習慣にしている。

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