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人をもてなす一番の方法を知る人たち【卒業旅行記#20フィンランド:後編】

2023年2月27日にヘルシンキに到着した日の記録、後編です。
前編とは内容が独立しているため、こちらから読み始めても大丈夫です。

正直、やらかしたかなと思った。

一人旅2週目後半頃に入った私は、オランダで寂しさを感じ始めていた。人と、話していなさすぎる。
無機質なホテルに連泊していたのもあり、人の会話とあたたかいおうちが恋しくなっていた。

3週間目前半、コペンハーゲンでの2泊目。
人が恋しくなり始めてからしばらく逡巡していたが、私はとうとう耐えきれなくなりフィンランドの友達に「お家に泊めてもらうことは可能でしょうか……。」と申し入れることにした。友達はヘルシンキに住んでいて、友達の家はもちろん、北の方にある実家やお母さんの家にまで何度かお邪魔していた。

ものの20分もしないうちに、友達から「お母さんの家の部屋空いてるから、いいよ!」と返ってくる。ありがたい、と空を仰いだ。頼り切りでほんと申し訳ない、と同時に有難すぎる。

しかし、卒業旅行4週目の今日。
朝10時にヘルシンキについたときの「フィンランドに帰ってきた!」というこれまでにないぐらいの興奮を経て、午後はものすごい脱力感に襲われていた。

おお、疲れている。
もう人と話したくすらない。ホテルでなんかポテチとか適当な飯を食べて寝てしまいたい。友達も友達のお母さんも大好きだけど、今はお話しするのすら億劫に感じる。

やらかしたな、やっぱり一時の寂しさに身を任せて友達の家に泊まるんじゃなく、ホテル取るんだったかな。身勝手極まりない思考がのぞく。

しかし、この時私は忘れていたのだ。
彼女らは人をもてなす一番の方法を知る人たちであることを。


ヘルシンキに2年ぶりに到着し、感情を揺さぶられた前編はこちら▼


クレカが使えず、正気を取り戻す

ヘルシンキ港に到着し、ベンチでぼんやりとしていると、フィンランドの友達から「お母さんの家の鍵取りに来る?」とメッセージが届いた。友達の名前はアイラとする。彼女はヘルシンキ大学の大学生で、スタートアップ企業を支援する会社で働いてもいる。(フィンランドにはバイトという概念はないらしく、みんなお金を稼ぐときは社員として働いている。)
今日はまず、アイラが持ってるお母さんの家のスペアキーを借りてからお家に向かうてはずだった。

港からアイラのいる職場まではグーグルマップ曰く1時間くらいだったので、アイラに「うん、1時間後くらいに行くね!」と連絡する。

さて、移動するか、と留学中使っていた懐かしいアプリで公共交通機関のチケットを買おうとするも、クレジットカードが使えない。
クレジットカードが使えないのは旅行中、これで6回目。1枚目が駄目なら、と2枚目を試すも、2枚とも使えなかった。あー、おけ。そういう感じね。

もはやあまり動じない。ぼんやりとしていた頭はトラブルの解決に向けてようやくクリアになり始める。
アプリが駄目なら券売機に行くしかないか、と重い腰を上げてヘルシンキ中央駅へと向かう。

ヘルシンキ中央駅へ、そして友人のお母さんの家に荷物を置く

中央駅へと向けてヘルシンキの街を歩くと、そこかしこに思い出があった。

ここは、大好きだった悪友とバカなことを言いながら散歩した道。ここは、私が中国人によって詐欺にあいかけたお店。ここは、初めてできた学外の友人と行ったカフェ。ここは、ここは、……。

思い出がこみあげてきて、今またヘルシンキにいるんだと胸がいっぱいになる一方で、ここにいることを自然なことと感じている自分もいた。慣れた道。グーグルマップを使わずとも、駅に向かえる。

嬉しさで胸がいっぱいな私と、ここにいるのを自然に感じる私との間で感情が行ったり、来たりする。感情が全然落ち着かない。

そうこうしているうちに駅に着く。

駅の変わらない風景に安心する。なんかこの、妙に映えない感じ。(褒めてる)

2年前はマスクをしていた駅の像がその顔をあらわにしているをのを見て、感慨深くなる。

券売機からはチケットを購入でき、一安心。
ただ、荷物を持ってアイラの職場まで往復するのは重すぎたので、一度アイラのお母さんがいるお家に荷物を置かせてもらうことにした。

アイラのお母さんに連絡をすると、「駅で待ってるよ!」と返事が来た。ありがたすぎる。
地下鉄に乗り込み、おうちの最寄り駅につく。駅のホームに赤髪に黒いコートを着てワイン色のマフラーをした格好良い女性がいた。アイラのお母さんだった。
最初、「こんな格好良い人が私の知り合いのはずがない」とか思って通り過ぎてしまった。申し訳ない。

ここまでの旅行はどこ巡ってきたの、なんて話をしながら、お家につく。
家に着くと「Feel at home, くつろいでね。あと、このうちにあるものは好きに食べていいからね。ここにいる間は、お腹すかせないよ」と言われる。しびれる。

友人の職場で紅茶を飲む

アイラのお母さんは家のスペアキーを持っていなかったので、アイラの働く職場へと鍵をもらいに向かう。

バスに乗ると、どっと疲れに襲われた。
朝から感情が忙しすぎた。アイラと会っても「わあぁ~!久しぶりい~!」とかやる元気もないかもしれないなあ、申し訳ねえ、などとぼんやりする。しばらく目をつむる。

は、と気が付くと、バスはアイラの職場の最寄り駅に着くところだった。慌てて荷物をまとめてバスから降りる。

ぼんやりとした頭を抱えたまま、アイラの職場へと向かった。
ついたよ、と連絡するとアイラが奥から出てくる。オレンジのニット帽がかわいい。ハグをする。
ハグしたまま「フィンランドへようこそ」と言われる。私はまた胸がいっぱいで、言葉が出てこない。

友人がいたのはコワーキングスペースだった。小さなキッチンもついていて、「お茶でも飲む?」と言って、マグカップを出してくれた。こくり、と頷く。
紅茶を準備してくれる友人の横で、「なんか今朝から感情が忙しくて、疲れてる気がする」と正直に吐露する。友人は微笑んで「大丈夫。落ち着いて、おちついて」と言う。

友人が入れてくれた紅茶とクッキーを、コワーキングスペースのソファで並んで食べた。コワーキングスペースには他に誰もいなかった。あたたかい紅茶がからだに染みる。満ち足りた気持ちになっていく。「いま、なんていうんだろ、すごい心地よい…feel contentっていうのかな」「content。ん、そうだね」

そのまま、友人とぽつぽつと話をした。

「なんかさ、ヘルシンキに来るのちょっと不安だった自分もいて」「うん」「前回は留学生だったけど、今回は私単に旅行者なわけじゃんか」「…まあ、一理はある」「だから、どうかなって」「うん」「実際のとこ、まだよくわかんない。1週間いる予定だけど、この後の私がどう感じるかも………」

といったところで、目の前に友人のてのひらが現れる。ひらひらと振られる。
「未来のことなんて考えるのやめな、わかんないから。いまはどう感じてる?いい感じでしょ?」

あーあ、もう私はこの人にはかなわないな、と思う。

一拍置いて「うん」と頷く。
「あたたかいお茶に、いい音楽に、」と言い始めるので、続けて「よき友人」と言って笑ってみせる。

しばらくそのまま話したり、静かな時間を楽しんだ。
20分くらいして友人は「仕事に戻るね、好きにしてて」といって机に戻っていった。残された私は、マグカップに残った紅茶をすすりながらぼんやりとしていた。

5時になり、友人は退勤し、一緒にバスに乗った。
友人は頭痛がしていたらしく、バスではお互い静かだった。無言の時間を共有した。

「わーきゃー久しぶりい!」みたいなの、やらなきゃいけないかなと思ってたけど、杞憂だったな、とバスの中で思う。私、この人の前では自然体でいていいんだった。自然体でいさせてくれる、友人だった。

アイラとは水曜日にまた会う予定だった。バスを降り、また水曜日ね!と言って駅前で別れる。

ホテルを取らなかったことを後悔する

そしてまた、疲労に襲われた。
友人に会って精神的に回復しようと、体が疲れているものは疲れている。

おお、とても疲れている。
これからアイラのお母さんの家に戻るわけだが、もうあんまり人と話したくない。友達のお母さんと話すの、結構なんか気遣っちゃうし!!あ~~ホテルでなんかポテチとか適当な飯を食べて寝てしまいたい!!

やらかしたかなあ、やっぱり友達の家に泊まらせてもらうんじゃなくて、ホテルを取るんだったかなあ。そんな身勝手極まりない思考を始める。

こら。人を家に泊まらせるのって簡単じゃないんだんぞ、泊めてって言っておいて何なんだ、と自分を叱責する。叱責しながら、アイラからもらった鍵でドアをあける。

すると、話し声が聞こえた。どうやら、アイラのお母さんの友達が来ていたらしかった。
「あらとりさお帰り!私の友達よ、電気直しに来てくれてるの」とアイラのお母さん。お友達に「こんにちは!」とあいさつする。そのままアイラ母はまた友人と話し始めるので、私はベッドへと直行し、倒れこむ。

彼女らは、人をもてなす一番の方法を知っている

しばらくはアイラ母と友人との会話が続いていたので、私はベッドでごろごろとネットサーフィンをしていた。時刻は18時。晩御飯の支度始めたら手伝おっと。それまでに回復せねば、と考えていた。

会話がやんだ、と思ったら玄関のドアの締まる音がした。友人は帰ったらしい。
すると、ひょっこりとアイラの母が部屋にやってきた。
「お腹すいてる?」と聞かれるので「うん!」と答えながらキッチンへと出ていく。

「そしたらごはんね~」というので、さて手伝うかとセーターの袖をまくり上げたところで、「スーパーで買ってきたサーモンスープがあるのと、あとパン買っておいたわよ。スープの温め時間は電子レンジで2分くらいかな。」とアイラの母。

続けて、「あ、あとお茶とか飲みたかったらこの辺から自由にとって」と言い、「あと何かあったかな…あ、デザート食べたかったら、このアイスクリーム食べていいからね」と言った。

アイラの母は、そうやって、そのままキッチンのものを一通り紹介してくれた。紹介が終わると、リビングのソファに戻った。そしてソファで寝転がり、スマホをいじりはじめた。

晩御飯を一緒に準備するつもりだった私は拍子抜けし、そして、はた、と思い出す。
そうだった。そうだった!

彼女ら、アイラとアイラの母が「Feel at home」と言って家に招いてくれるときは、本当に自分の家にいる時みたいに自由で自然体でいさせてくれるんだった!

家の使い方はちゃんと説明してくれる。食べ物も準備してくれる。そのうえで、あとは放っておいてくれる。彼女らも彼女らで、勝手に過ごす。
2年前の夏に実家にお邪魔したときも、二人のそのふるまいに感動していたのに、すっかりと忘れてしまっていた。

人を家に呼んでもてなすとき、素晴らしいおもてなしを思い浮かべようとすると、致せり尽くせりの素敵なディナーを想像してしまいがちだ。
お皿に載った素敵でおしゃれなごはん、食後には手作りのデザート、デザートを食べた後はハーブティーを飲んでだんらん。

アイラの母の家で出てきたものは、言ってしまえば、この対極に近い。

スープはスーパーで大量生産されている出来合いレンチンして食べるものだし、デザートのアイスクリームは大容量の箱に入って既にスプーンでほじくったあとがある。だんらんのお相手はというと、ソファでごろりと寝転がってスマホを見ている。

でも、それがすごく、本当にすごく、心地よいのだ。
家で、自由にさせてくれる。彼女らも自由にしているから、こちらも安心して自由にできる。

このような振舞いは、実は、まったくもって簡単なことではない。
私は、私の友達が家に来たとしても「自由にしていいよ」とはなかなか言えない気がする。かつ、多分人が自分の家にいることで気を使って私自身もあまり自然体では振舞えないだろう。

仮に言葉では「自由にしてて、私もそうするから」なんて言えたとしても、実際に友達が冷蔵庫を漁って私が買った何かを食べはじめたり、特に断りなく食器を使い始めたら少なからずむっとしてしまうだろう。むしろ、客人には食事の席に座っておいてもらって、準備しておいた手作りの品の数々を並べる方が簡単かもしれない。

そう思うと、この人たちは人をもてなす達人だ、と思わざるを得ない。
家の使い方を教えて、あとは自由にさせる。もてなす側も勝手に過ごす。
これがきっと、人をもてなすときの、一番の方法だ。

雑に扱われているわけでは断じてない。いろいろと食べ物などを勧めてくれはするし、現地での情報を教えてくれる。タイミングが合えば、ぜんぜん会話もする。
でも、無理にご飯を一緒に食べようとしたりはしないし、必要以上にもてなしはしない。
そんな距離感が、本当に心地よい。


くつろぎながら食べるサーモンスープは、とってもとってもおいしかった。

夜は、部屋についているサウナまで使わせてくれた。

フィンランドのマンションにはバスタブ感覚でサウナが付いていることがあり、毎度驚く。
プライベートサウナなんて、東京で行こうとしたら数時間で数万円の世界……などと、下世話なことを考えもする。

サウナであたたまりながら、思いを遠くに馳せる。

いつか、彼女たちが日本に来たら。
私も彼女たちみたいに彼女らをもてなせたらいいな、と思う。
ほどよい距離感で、くつろいでもらえたら。


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