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精霊の国日本 東京神社 三島神社

クイズです。こちらの神主さんは○○○○のご子孫だそうです。
それは誰でしょう。

由来が元寇でした。
関東の御家人も、九州に駆けつけたんですね。それもそうか、国の一大事です。神社の公式HPより。

「弘安4年(1281年)、元寇の役の際、河野通有(こうのみちあり)は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願して出陣、大山祇神社の神使(しんし)、白鷺(しらさぎ)の導きによって勝利を得た。

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その帰陣にあたり、夢の中で受けたという神のお告げにより、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊をお迎えし、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりという」

三島神社

大山祇神社って、全国にあるのだけれど、どちらの神様なんだろう・・・。と思ったら、書いてありました。愛媛県今治市です。

愛媛・大山祇神社(大三島宮)


山の神様かと思っていたら、「山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神」とあります。ほほお・・・。
関東から元寇の戦地である対馬や福岡に行くのなら、船で馬ごと乗り込んで(当時はそういう大型船はあったのか?)、瀬戸内海を渡ったのかなあ。
想像が膨らみます。

いろいろ調べてみたら、河野家はもとは伊予(愛媛)の水軍でした。江戸は妻の一人が江戸氏の出身でした。

元寇の絵巻物というのでしょうか、別の人が描かせたもののなかに、河野通有が出てきています。

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(九州大学コレクションより 「蒙古襲来絵詞」)

中央に座る赤い衣裳の男。左は長男。志賀島の戦いのあとなのでしょうか。元船に二艘の小舟で夜襲をしかけて通有は負傷、叔父は戦死しながらも敵方の将を生け捕りにする手柄を立て、没落しかけていた河野家を再度盛り返したのです。


 三島神社は江戸時代幕府の命令により遷座、けれども氏神様が遠くて困るという氏子一同の念願から、分霊を金杉村字金杉町(現在の台東区下谷)に勧請。これが現在の三島神社である。三島神社の宮司は代々河野通有の子孫が奉仕している。

クイズの答え:河野通有の子孫、ということ。すごいですねえ。江戸時代より以前からの神主さん。



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