「書」っていいな
「書」っていいな。
昨年末、八戸市美術館に行った時、展示されていた作品たちを見ながら改めてふとそう思った。
とくに僕が一番気に入ったのは下のこれだ。
小野寺美奈代さんという方が書いたものらしい。
力強く、潔く、それでいて突き抜けたような明るさがある。
初めて遠くから見た時「ララ」に見えた。
でも、これは「一つ一つ」だ。
どんなことも一つ一つを積み重ねていくことで、
ラララと音楽のように明るい気持ちになっていく。
そんなメッセージがあるのかなと想像を楽しむ。
相田みつをじゃないけれど、書によって、一味も二味も言葉にコクのようなものが生まれる気がする。
これもまた、書いた人の実感がこもっているようだ。
荒 了寛というお坊さんの言葉らしいが、数ある選択肢の中からこの言葉をチョイスするセンスが好きだ。
10年来の友人に書家・デザイナーの日置恵さんという人がいる。
バナナの「甘熟王」や伊右衛門の「焙じ茶」などいろいろなパッケージデザインを手がけており、最近ではEテレで香取慎吾さん草彅剛さんらと一緒に「美味しゅう字」という番組もやっている。
ナチュパラを創業するとき、会社のコンセプトを彼女に書いてもらいとても気に入っている。
このコラムの題字もまた彼女に書いてもらったものだ。
他にも会社のメンバーの名刺などいろいろなものを書いてもらってるけど、彼女の書く字は、書としての美しさと対象が持つ特有の旨味を引き出すような優しさやユーモアが同居している。
彼女が書いてくれて初めて「あぁ、そうそう、そういう良さがあるよね!」と自分が初めて気付かされるような不思議な感動を味わう。
昨夜、日比谷で映画『哀れなるものたち』を観たあと、溜池山王駅で乗り換えをする時、無人の本屋を見つけた。
LINEで友達登録をすると中に入れた。店員もおらず気軽に本を探せるし、セルフレジで購入できる。経営的にも人件費が浮く上に、マーケティングもできていいのだろう。
世界が今、向かおうとしている一つの方向性のようなものを見た気がした。
無人本屋を出た後、本屋に店主や店員がいるということは、その人たちの気配もまたその本屋が醸し出す1つのコクのような意味合いがあったのだなと思った。
手書き風フォントはいくらでもあるけれど、人が書いた字にその人特有の息遣いが感じられるように。
合理化のもと、いろんなものが無人化・自動化していく。
そこに一抹の寂しさがないといえば嘘になるけれど、八戸市美術館に展示されていた一つの書が背中をそっとさすってくれる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?