心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その43

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その42

 「『将棋の読み』で解けちゃうんじゃない」
 市進では、5時から6時50分までが小学部の授業、7時から8時50分までが中学部の授業で、各教室を2回転させることができ、経営上うまくできているシステムだと思った。
 小学生の授業時間が日能研・サピックスなどのライバル塾に比べて短いので、小学部の上位層の実績が今一つという面はあったが、商売としてはうまくいっているようだった。
 小学校6年と中学3年の担当者は、保護者との面談も仕事に含まれていて、自分は、中3は持っていなかったが小6の授業を担当していたので、そのクラスの保護者全員と面談をした。
 保護者と話をしてみると、自分の授業は意外と評判が悪くないことがわかった。「先生の授業は子どもが楽しいといっています」と言ってくれる保護者がけっこういたのである。これは、別に自分の授業が特別に優れていたわけではなく、市進が地域で信頼されていたり、教材やカリキュラムがうまくできていたりしたことが原因だと思う。
 うまくいっている組織で働くと楽しく働けるというのは当たり前のことかもしれないが、自分はこの頃、初めて実感的にこのことを理解することができた。
 
 小6の場合、2月の初めに入試の日程が集中しているので1月いっぱいで授業がなくなる。
 塾の新年度は3月に始まるので、小6の授業を持っていた講師は、2月は授業が減ったが、契約している曜日に行けば、授業が少なかったり、全然授業をしない日があったりしても給料はもらえた。
 その点でも、講師というより準社員という感じである。
 2月の初頭、難関校を中心に各中学の入試問題が本部からファックスで送られてくる。
 難関校の一つである開成中学の問題が送られてくると、教室長が、算数の問題をコピーしてその場にいた講師に配ってくれた。教室長は体格がよくてキューピー人形みたいな童顔の人あたりのいい人で、噂では30代後半らしかった。
 自分はそれを見て、なんとなくすぐに解けそうな感じがした。時間があったので少し考えてみたら、案の定すぐに解けた。
「教室長、解けましたよ」
「えっ、もう解けたの」
「はい」
 そういって、式や答えが書き込んである紙を教室長の席に見せに行った。
「あー、確かにこれは正解だろうなあ。『将棋の読み』で解けるちゃうんじゃない」
「『将棋の読み』と算数の解き方が関係あるんですか」
「まあ、なんとなく考え方が似てそうだ」
 以前の飲み会で、将棋の話をしたことがあったので、教室長はそれを覚えていたのだろう。
 ここでも、算数の問題が解けたということとセットではあるが、将棋が強いということがそれなりに評価されているようだった。
 将棋が強くなれるような資質が評価されていたのか、将棋を通じて身につけた先を読む力なり直感力なりが評価されていたのか、その両方に厳密な区別はなくて、なんとなく評価されていたのかわからないが、意外と将棋強いことが評価される場面もあるんだなと思った。
 意外なことのようでもあり、ありそうなことのようでもある。やはり、将棋も一つの日本文化としてそれなりに認知されているのかもしれない。と思った。
 この頃は、将棋は全然指してなかったし、将棋雑誌も読んでいなかった。
 学生時代将棋部で将棋に熱中した人でも、社会に出て仕事を始めた時期はそうなる場合が多いようだ。
 自分の場合は特に、仕事をしながら将来どういう方向に行くか考えなければいけないので、将棋を指そうという気持ちにはなれなかった。
 「将棋くん」「元奨くん」はこころの中のどこかにはいたのだろうが、どこにいるのかわからなかった。たぶん休眠中だったのだろう。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その44

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