心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その1(元奨励会員の心の闇と希望)

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書きます。
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 とろろ芋を本棚に投げつける母
 ときどき、「自分はなぜ50代後半になってまだ結婚していないのか?」「なぜ自分は転職を繰り返しているのか?」と自問自答してみることがある。別に転職回数が多いことが道徳的にいけないことであるわけでもないし、「日本人は○○歳までに結婚しなければならない」という規則があるわけでもないが、確かにさえない話だ。「原因がわかると生きやすくなるのではないか」「考えてみると何かがわかるかもしれない」という感じもする。
 「自分が努力しないから」「自分がダメ人間だから」「自分がわがままだから」「そういう運命だから」等々の答も確かにそれはそれで正しそうだが、もう少し突っ込んで考えてみると、「自分はなぜ将棋のプロ棋士になれなかったのだろうか?」という問いとたぶん関連が深いのかな、と想うこともある。
 自分のこれまでの人生は、「将棋盤のある場所に戻れないか」「将棋盤のない場所にも自分の居場所がないか」と試行錯誤を繰り返しながらさまよう旅だったような気がする。それは、プロ棋士の養成機関である奨励会を親の反対によって退会した時に始まったのではないか。
 この「自分はなぜプロ棋士になれなかったのだろうか?」という問いが頭に浮かんだとき最初に思い出すのは、たぶん小学校2年か3年の頃だと思うのだが、親戚のおばさんが家に遊びに来た時の出来事だ。どういうふうにつながっているのかを論理的に説明するのは難しいのだが、なんとなく関係が深い事柄のような気がする。
 秋晴れの土曜の昼下がりに、親戚のおばさんが自分の家に訪ねてきた。当時の公立小学校は、土曜日は午前授業で、自分と妹と母が家にいた。
 親戚のおばさんは、太り気味でなにかにつけてウヒャヒャヒャという豪快な笑いを繰り出す明るくて面白い人で、自分たち兄弟には人気があった。一方、母は概ね真面目で落ち着いた感じの人だったが、たまに強烈に怒りだすこともあった。
 おばさんは母と自分と妹と小さな応接間でよもやま話をして、帰り際に「何か欲しいものがあったら買ってきてあげるわよ」と言った。ぼくと妹は「とろろ芋がいい」と言い、おあばさんは「そんなものあるかしらねえ」と言いながら帰っていった。
 その30分くらい後で、「ついに見つけたわよ」とにこやかに言い、買ってきたとろろ芋を置いていってくれた。
 自分と妹は大喜びだったが、母はいい顔をしなかった。
「私はつくらないからね。食べたければ自分で料理しなさい」
 そこで自分は、台所でおろし器を出して自分でとろろをすりおろし始めた。
 やってみると意外と面白いもんだと思いつつ、サクサクと音をたてて楽しくすっていた。
 その様子を見ていた母はイライラしている雰囲気だった。恐ろしい思いつめたような目つきでこちらをにらみつけていたが、ついに怒りを爆発させ、「台所でこんなことをされたら邪魔」と鬼の形相で怒鳴った。そして、とろろをひったくり「うちはね、うちは…、おばさんに養ってもらっているわけじゃないんだからね」と大声で叫びかつ泣きながらおろしかけのとろろをちぎっては投げちぎっては投げして、隣の部屋にあった本棚にたたきつけた。とろろは「グシャッ」という鈍い音を立てて無残にもあっけなくつぶれ、本棚からは汁がたれていた。
 妹とぼくは、その凄まじい様子にあっけにとられていた。
 だが、その後母がすべてのとろろを投げ終わると、自分は「もったいないなあ」と思って本棚のところに行き、とろろの汁がたれているところに指をつけてはなめることを始めた。
 それを見た妹も、マネをして同じことを始めた。
 母は「あなたたちそんなにとろろが食べたかったの。もういいでしょう」とあきれながら、雑巾で本棚を拭き始めた。そして、多少ほっとした表情を見せた。
 どうも、叔母さんのことが好きだから喜んでいたのではなく本当にとろろ芋が好きで喜んでいたのだということが納得できて、気持ちが落ち着いたという雰囲気だった。
 見方によってはほほえましいエピソードなのだが、あの時の母の地獄を見つめるような目つき、鬼の形相は凄まじかった。あんなに本気になって怒らないでもいいのにな。と思った。それは、今でもそう思う。
 文芸評論的な書き方になるかもしれないが、「グロテスクに肥大化した自己を他人に対してこれでもかこれでもかと徹底的に見せびらかして恥じることのない、救いようがない女の姿」を見せつけられてしまった。あまりこういう書き方は好きではないのだが、母の人間性の一面を描写していると思う。
 近年定着してきたフェイスブックのような書き方だと、「あそこでああいうことを叫び、ああいう行動を実際にやってしまうというセンスがすごい。ユニークとしか言いようがない」とでも書くのだろうか。こっちの方が少しソフトな表現かもしれないけど、まあ、あんまりかわらないかもしれない。
 極端な出来事を選んでいるのかもしれないが、わりあい自分の母親の性格や行動様式の一面をわかりやすく表しているエピソードだと思う。
 母は、都心の一等地にある名門女子中学・高校・短大英文科を出ているのだが、全然教養があるように思えなかった。そこが母の困ったところでもあり親しみを感じるところでもあった。
 その頃から自分は「女はヒステリックだから怖い」と思い始めた。
 最近わりあいよくスナックとかバーに行って飲んだ時、「『東西南北女は怖い』と『古今東西女は怖い』どちらがピッタリするのかなあ」なんていうことをわざわざアルバイトの女の子に聞いたりすることがあるが、小学校の頃から女が怖かったのである。
 ただし怖い理由は、その頃はただ単に「女はヒステリックだから怖い」ということであったのだが、それはその後変化していく。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その2

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