心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その2

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書きます。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす

 「ロケットふわふわ、ゴミふわふわ」
 将棋のプロ棋士になれなかった自分について振り返る時、父親に関しても印象的な出来事がある。 
 これも、やはり小学校2年か3年の頃だったと思う。
 両親と自分と妹と4人で夕食を食べている時、ゴミ処理の話になった。
 自分たちが住んでいた東京都は、ちょうど美濃部さんが都知事になった頃で、廃棄物(ごみ)の処理・処分に関する地域紛争が起きたりして、美濃部都政の課題としてゴミ問題が話題になっていた。自分も学校の社会見学で清掃工場を身に行ったことがあり、なんとなく大変な社会問題だということは知っていた。
「とにかくゴミ焼却炉を持つ工場を増やさないといけないんだけど、住民の反対が起きたりしてなかなか大変だ。なかなか名案がない」
 と父が話すのを、自分たち3人はうなずきながら聞いていたのだが、その時自分は、突然変な考えが頭にひらめいた。
「ゴミをロケットと一緒に宇宙に打ち上げて宇宙空間に捨てれば、ロケットもゴミも宇宙でふわふわしていていいんじゃない」
 そうすると、母は「あははは」と笑った。父は、その時点では別に怒っていなかった。それどころか、少しだけ顔がほころんでいた。
「ゴミもロケットも宇宙の中でふわふわしていれば、地球の人は困らなくなる」
 同じようなことを重ねて言った。
 すると父は、突然眉間にしわを寄せた険しい表情をして、きつい口調でしゃべり出した。
「全然意味ヌアーイじゃないか。ロケットふわふわゴミふわふわ。全然意味ヌアーイじゃないか」
 父は「~ない」という部分を強調したい時に、「ヌアーイ」というふうに伸ばして発音する癖がある。
 自分は、父が突然機嫌が悪くなったのでびっくりした。しつこく同じことを言ったのが悪かったのだろうか。真面目に解決策を言ったつもりなのに、なんで意味がないのだろうか。
「えっ君イ。デンデン全然意味ヌアーイじゃいか。デンデン意味ヌアーイじゃないか」
 「デンデン意味ヌアーイじゃないか」の連呼が始まった。かなり興奮している様子で、父は興奮してくると、「全然」のことを「デンデン」と発音する癖があった。
「ロケットふわふわ、ゴミふわふわ。ロケットふわふわ、ゴミふわふわ。デンデン意味ヌアーイじゃないか。意味ヌアーイじゃないか。えっキミイ。デンデン意味ヌアーイじゃないか…」
 父は、自分と違う意見とか自分の理解できない物の見方に出会うと興奮してパニックを起こしたようになり、同じ言葉やフレーズを連呼することが多かった。機嫌が悪い時に特によくこの癖が出る傾向があった。
 それにしても「意味ヌアーイじゃないか」を連呼されても、真面目に意味があると思って言っていたので、何で突然あんなに機嫌が悪くなったのかよくわからなかった。
 なんで意味がないのかを全然言わずに同じフレーズばかり連呼し、しかも興奮している様子なので、どうしたらいいかわからず、ずっと下を向いて黙ったまま父の機嫌が治まるのを待っていた。
 しばらくすると父は、しゃべり疲れたのか、同じフレーズを連呼するのをやめ、何事もなかったように、残っている食べ物を食べ始めた。
 今自分がその時の父の立場だったらたぶん、「ロケットで運べるゴミの量なんて、東京都で出るすごいたくさんのゴミにくらべればほんの少しだから、君の言うやり方でゴミ問題を解決するにはロケットをものすごくたくさんの数打ち上げないといけないけど、そんなお金は東京都にはない。費用ってわかるかな。かかるお金のことなんだけど、その面から考えればそのやり方はまったく現実的ではない。現実的でないってわかるかな、実際にやろうとしてもできないっていうことだ」等、子どもが真面目に話しているのだから、一応1~2回くらいだったら、それに対して真面目に意見を言うと思う。この方が教育的なような気がするのだが。
 父は時々、相手が自分の考えや常識などと違うことを話す場面に出会うと極端に不機嫌になり、面倒くさくなるのか同じ言葉やフレーズを連呼していた。聞いていた印象では、どう表現したらいいかがわからないのではなく、何を表現したらいいのかがわかっていないようだった。自分は10代~20代の前半にかけて、父によるこういったうっとうしい同一フレーズ連呼によって嫌な気持ちにさせられることが多かった。
 もしかしたら他の家庭でも似たようなものかもしれないが、自分の父は、自分が立っている場所を教えてくれたり、どこに向かって歩いたらいいのか、何をしたらいいのか教えてくれたりする存在ではなかった。例えば父は、「勉強した方がいい」という趣旨のことを述べることはあったが、なぜ勉強した方がいいのか納得のいく説明は得られなかった。
 でも、父は他人を嫌な気持ちにさせる同一フレーズの連呼によって、この世界が混とんとしていて、人間が無力でむなしい存在であることを自分に教えてくれたのかもしれない。

※ 次の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その3

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