心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その42

 元奨励会員の筒美が、将棋指しになれなかった自分の人生を振り返り思い出すことを書いています。
※ 最初から読みたい方は、心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだすから読むことをおすすめします。 
※ ひとつ前の話→心の中に住み着いた「将棋君」が暴れだす その41

 本八幡教室
 研修の後半から本八幡教室に配属になり、その後、授業を持って本格的に仕事をしたのもこの教室だった。
 本八幡教室は市進最大規模の教室で、当時は生徒数が2千人を超えるマンモス教室で、熱気にあふれていた。
 スタッフも多く、正社員5人・専任講師20人・非常勤講師5人程度の構成だった。
 専任講師というのは日給制で、勤務時間はたぶん4時から9時まで、日給が1万2500円だった思う。授業の前後の時間も拘束されるが、授業がない日でも教室にいれば日給がもらえたので、他の業界でも準社員と呼ばれる身分があるが、それに近いと思う。
 非常勤講師は、「授業1時間につきいくら」というシステムで、あまり人数は多くなく、原則として学生など週に3回以上来られない人がやっていた。
 正社員は比較的常識的な人が多かったが、専任講師にはいろいろと個性的な人物がいた。
 例えば、Kさんという髭もじゃの特徴的な容貌の先生がいて、生徒からオオカミ先生と呼ばれていた。オオカミ先生は、とにかくほら話が大好きな人だったので、その面でも、オオカミ先生という名前が合っていた。誰かが授業参観に行った時に聞いたらしいのだが、授業中に「自分はハーバート大学の教授だった」という大ぼらを真面目な顔で生徒に信じさせようと一生懸命しゃべっていたそうなのだが、もちろん生徒たちは全然本気にしていなかったようだ。Kさんは普通に就職したことがなく、塾業界を渡り歩いているようだった。わりあい正社員の評価が高く、上のクラスを持つと力を発揮すると見られていた。駿台予備校の講師たちの話をするのが好きで、自分も駿台予備校に通っていたことがあったので、その点では話が合った。
 野村證券を退職して塾講師になったFさんという先生もいた。この先生は肥満体で顔が大きくて脂ぎっていて、とにかく熱心なのだが度が過ぎているところがあった。
 例えば、夜の11時近くまで生徒の自宅に電話して、正社員から止められていた。市進では、授業を持っている人が生徒の家に電話して、保護者に生徒の塾での様子を話し、生徒の自宅での様子を聞くことが、専任講師の業務に含まれていた。でも、11時近くになって電話するというのは行き過ぎで、親が「何事か」と思うだろう。
 それから、講習会で教えた生徒のその後の成績をチェックしているのかたまたま見たのかわからないが、成績がよくないのを発見すると、学期中の授業を持っている先生のところにいって、「成績を上げるために、どんな対策をとるのか」と管理職みたいなことをわざわざ問い詰め、煙たがられていた。
 また、会議中に、その場の話題と関係がないことを長々と話し、教室長に怒らたこともあった。
 Fさんは、万事そういった調子で、「空気が読めない」という言葉はこの人のためにあるようであった。
 そんなふうに、自分も含めて今ふうに言えば「濃いキャラクター」を持ち、人間味あふれる個性的でどこか残念な部分のある人たちが多かった。
 土曜日などは帰りにみんなで飲みに行って徹夜になったりして、講師同士のつながりもあり楽しかった。日々が充実していたためか、「将棋くん」や「元奨くん」が自分の心の中に姿を現す機会は少なくなった。

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