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INTERVIEW: Slow Art Collective(スローアートコレクティブ)加藤チャコ

2022年11月14日から12月2日まで東京・大手町のサンケイビルで開催の「Slow Art Collective Tokyo(スローアートコレクティブトーキョー)」。来年の「東京ビエンナーレ2023 」に先行する「東京ビエンナーレ2023 はじまり展」の一環で実現しました。

このプロジェクトは、オーストラリアの芸術集団「Slow Art Collective(スローアートコレクティブ)」が東京・大手町に滞在し、市民や子供たち、学生、このエリアで働く人々と共にインスターレション作品を共同制作する参加型アートプロジェクトです。街を行き交う人々の恊働で、見慣れた風景をカラフルで有機的な空間に変容させ、その過程で緩やかなつながりを生み出すことを目指します。

今回お話を聞いたのは、2008年より「スローアート」という概念を提唱し、グループを立ち上げた加藤チャコさん。現在、ディラン・マルトレル(Dylan Martorell)さんと共にグループの中心となり、フレキシブルなアーティスト集団としてオーストラリア・メルボルンを拠点に活動を続けています。

大手町にて制作中の加藤チャコとディラン・マルトレル

──スローアートコレクティブを立ち上げたきっかけを教えてください。

スローアートコレクティブを立ち上げたのは2009年に遡ります。当時私は大学院を終えて、画廊に所属し、制作をしてそこで発表してといういわゆるアート界への「王道」を歩み始めた時期でした。
ところが、自分自身ただ作品をつくってホワイトキューブで発表して、わかる人に見てもらってという在り方にちょっと疑問を感じはじめたんです。とにかく作ってみせて、売って(うまくいけば)、残りは保管場所を探して倉庫入りというプロセスがとてつもなく窮屈に思えました。なにかもっと新しいモデル、新しいパラダイムを開いていくべきではないのか、、、と自問自答をしていました。

ギャラリー(画廊)というアート関係者のみの閉ざされた空間ではなく、もっと社会の大きな場所やアートギャラリーには来ないような人たちとも交流したい、と。

色々試行錯誤していましたが、その当時スロームーブメントが全盛だった頃でもあり、こういう思想をアートにもってこれないかと考えました。もっとゆっくりと社会や市民がアートを楽しみ、それによってアートと私たちの社会・生活がもっと豊かになっていく、そして、それがゆっくりと成長していく……。
それはアーティストが作ったものをただ見に来るのではなく、見に来る人もまた制作に参加し、それ自体がアートとなる。そんなことができないだろうかと思ったんですね。
まあ、こういう考えに至ったのは本を正せば、当時作品を制作しても、またそれをどこかに保管しておかなくてはならないのに、もう保管場所がない。一体どうしたらよいものかと、ほとほと困っていたからです。 作れば作るほど困っていくというジレンマです(笑)。なぜこんなことを繰り返しているのかという疑問が大きくなり、制作意欲が激減してきました。つまりアーティストとしてサスティナブル(持続可能)ではなかった。

スローアートという切り口は、残りの人生をアーティストとして生きていくためにどうしたらサステイナブルでいれるのか、という問いへの答えのひとつだったのです。

「Slow Water Pavillion」タラワラ美術館、ビクトリア、オーストラリア、2021

──アート活動を続けていきたいのに、現実はきびしい……多くのアーティストが抱える問題ですね。

はい、私はそこを打開したかったんです。
アートは私の根幹であり、自分の人生でたくさんの時間とお金と魂を投入してきたものです。今まで投資してきたものに何かしらリターンがなかったら意味ないですよね。一生アーティストでありたいと思っていましたが、あの現状ではちょっとどうかなあ……と。
それに家族がいましたので、作品を保管するために家が作品で一杯になってしまっても困る。私はアートの仕事も家庭生活もどちらも持続させ、充実した人生を生きたいと思っていましたし、普通の幸せな一市民としてアート活動を模索したかったのです。それが一番切実なところでした。

──なるほど、それでスローアートに辿り着いたのは?

当時はサステイナブルな生活をする、という概念がオーストラリアでは強く根付いてきた時代でした。ソーラーエネルギーは一般化し、野菜オイルをガソリンに変えて使ったり、家も庭もDIYで作ったり。巷の社会では今までの人間中心の世界観から少しずれて、環境や地球の立場から物事をみていかなくてはならない時代になっている。そういう風潮を見て、アーティストとして自分のアートを考えるとき、そういう流れを組み入れなくては嘘だろう、と思ったんです。そういう新しい視点がとても面白いと思いました。

──加藤さんの提唱するスローアートの概念について、詳しく教えていただきたいです。

スローアートを要約すると、アートを生活の中から生み出し、生活そのものをアート化していくという円環哲学です。
ここでいうアートとは「アート的な考え方、思想」の問題で、美しいものや新しい形を創り出すということだけではありません。今後の環境問題、多文化社会を推進していくためにはアート的発想や思考ができる社会でなくてはならないということです。
そのためには、社会がアートをもっと当たり前なものとして受け入れる必要があります。今はまだ西欧社会でもアートは余剰として考えられており、何かあれば必ず真っ先に教育の時間や予算が削られるという現状が残念ながらまだまだあります。なんとか実践を通じてアートの力を少しずつでも体感してもらいたいのです。

「Slow Art Collective Tokyo」大手町での様子、2022

──なるほど、考え方が大切なわけですね。アートの言説でもあるわけですね。

そういう転換を図ろうとしている時は、やはり何かその枠組みを組み替える文脈と言語が必要ですよね。それは当時のポストモダンや脱構築の枠組みともちょっと違っていると感じていたんです。それで当時、自分自身が興味をもっていた「スローライフ」「スローフード」にみられるスロー運動というライフスタイルの思想を参照して、自分のアートの方向性を徹底的に考えてみました。
それは端的にいうと「日常すべてのことにおいて過程そのものを大事にして楽しむ、その体験と実感こそが社会を変えていく」という思想です。それは愛読していたドゥルーズのライゾーム(地下茎)的発展、という考え方ともシンクロしました。

──ゆっくり作る、ということの大事さもあるのでしょうか?

私たちのスローというのは、ゆっくり作るということでもないんです。逆に私たちの制作は即興ですごく速い。与えられた場所と時間でそこにあるものを使って最大限のものを作り出します。
スローアートとは、社会的・精神的・経済的な活動のことでもあります。アーティストがものを作った対価としてお金をもらうのではなく、もっとスローに社会やコミュニティ、環境と交わるということに重点をおいて、じっくりとアートが社会に浸透していくことを目指す。そして、それに対して社会がアートというものに対価を支払うという緩やかな円環経済活動システムです。
あらゆる生活の中の物事をアート的柔軟な思考をもって対応できる力のある社会こそ、何よりも豊かな社会であると思います。アートの浸透度こそが社会指標と言っていいのではないでしょうか。現在の社会の諸問題を考えるにも、アート的思考をもって対処するということの重要性を強調したいと思います。
ともかくアートというのは思考の一番核となる部分で、あらゆる分野の人たちにインスピレーションを与えることができます。そういうものが画廊の中にアートとして陳列されるものだけではなく、もっともっと街や社会の中の日常にもあるべきなんです。それによって日常の中に非日常という新しい概念、考え方、ものの見方が溢れている社会になっていきます。
それにはまず、アーティストであるということが持続可能な社会と環境が必要です。

「Slow Art Collective Tokyo」大手町での様子、2022

──現状としては、美術系の大学を卒業しても、その後ずっとアーティスト活動をする人は少ないというのがありますよね。

現状はオーストラリアでも大変優秀な美術系の学校を卒業しても、3年後には8、9割の人がアート活動をやめてしまうという統計があります。何故かといえば、経済的・環境的に無理が多すぎるからでしょう。結婚したり子供ができたりしたら、アートなんて言ってられないとなってしまうのが、まあ、普通でしょう。
それでももちろん、アーティストとして生き残るすごいアーティストたちもいるし、それくらいのたくましさがなければアーティストとしての資質がないという意見もありますが、美術教育を受けた人のたった1割の人だけでは無駄が多すぎる。社会はもっと多くのアーティストが生き残れる環境を目指すべきではないでしょうか?
13年前の世の中はAirb&bやUberのような時代に劇的に変わっていった頃でした。それらが良い・悪いということではなく、アートの中でもそういう新しい代替えの発想、アプローチをもっと考えるべきで、それ自体がアート的ですよね 。ツリー型の構造の発想(一本の幹から枝が分かれるもの)でなく、地下茎型(あらゆるところから根が張り出し発達する)形が良くも悪くも今日的なのだと思います。
スローアートはその答えとは言えませんが、確実にその考えに根ざしたひとつの考え方です。

──その後活動の場所は提供されてきたのでしょうか?

私たちは特に何の宣伝活動もしていませんが、この13年間本当にありがたいことに途切れることなく活動が続いています。オーストラリア政府のアート活動への予算は何かあればすぐ削られてしまいますが、まだ余白があります。
私たちのようなアート活動への認知度はずいぶん高くなってきましたし、美術館、地域のアートセンター、学校、大学、公共施設、ガーデンなど、様々な形で仕事のオファーをもらってきました。

「Slow Hume」ブロードメドウズ・セントラル, ヒューム市からのコミッションワーク、ビクトリア、オーストラリア、2022

──では、画廊だけでの発表という形態より、13年前にスローアートへの道を進んだことは間違ってない選択といえますね

はい、いろんな人と一緒に作っていくので本当に楽しいです。アーティストは孤立しがちですが、私にはみんなで色々と揉めたり妥協しながらもやっていくことが精神的にもとても健全に思えます。
ただ私は自分で作品制作をしたり、絵を描いて画廊に展示する価値を否定しているわけではなく、私自身ソロアーティストとして画廊や美術館とも仕事をし続けています。相方のディランもとてもユニークなサウンドアーティストとして活動しています。そしてお互いのものをまたコレクティブの活動にもってきて、料理し直して使っています。
スローアートは相対する考えではなく共存、両立してアーティスト活動を続けていくひとつの方策の提案です。他分野の人たちも共感して参加してくれるので、より活動と表現の幅が広がり、予想外の面白いものができたりします。それに対する報酬も支払いますので、彼らとしても身になる体験になるわけです。
私自身はディレクターやプロジェクトマネジャーのような役割も多くなり、必ずしも自分だけで全部制作しなくても良いと思っています。

「Tanabata:Star Village」パワーハウスミュージアム、シドニー、2016 Photo by ArtsPeople

──スローアートコレクティブの活動内容と作品には、どのような特徴がありますか?

スローアートコレクティブの活動では特にコラボレーション、環境、コミュニティとの関わり方に焦点をおいています。そしてサイトスペシフィック(その場所の特性によって作る)であり、その場所をさらにアクティベイトする(活性化する)という概念が大切です。具体的にはその場所で子供たちや学生たちとワークショップをして、それを展示の一部にしたり、パフォーマンスや食事会、ゲームをやったりと、その作品の中で行われることで作品自体の意味もどんどん変わっていきます。
今はとても多くの人が関わりたいと言ってくれるので、規模によってはコラボレーターという形で若いアーティスト、子供、いろんな業種の人を招待して一緒に活動しています。
私たちはコラボレーションの予期せぬ力を大きく信じています。自分以外の人たちとの共同作業、与えられた環境、自然、街、そして素材、予算とのコラボレーションです。それは「enviromentally responsive」(環境まわりの状況に反応的であるという意味)で、自分たちの条件をただ押し付けるのではなく、そこに合わせて変化できるということを目指しています。
予期できないところに大きな未来があるし、そういう考え方に対して大きな可能性を感じています。

「Slow Art Collective Tokyo」大手町での様子、2022

──制作方法や素材は、どんなものを用いていますか?

定番の作品は基本的には竹などの材料で、何度も使用可能なリユース素材を使用します。竹で組んだ櫓状のものに、ロープのマクラメなどを編み込んで基礎を作り、そこに街で拾い集めたものやリサイクルしたものをどんどん組み合わせていき、半分は即興的に制作しています。
大体は大きな構築物を作り、ディランの専門であるインタラクティブなサウンドインスタレーションを組み合わせるというパターンが多いです。2人とも即興ということにとても重きを置いているので、その場でできていくものもたくさんあります。DIYの弓矢やサンドバッグなどを使って遊びの場をつくったり、寝転んで休める場所を作ったり、いらないものを集めてきて、立ち寄った人たちが自由に基地や隠れ家を作れるような場所を提供したり。
要するに単純でシンプルな材料と場所と機会があれば、人々はとても喜んで何かをつくり、遊べてしまうものなんだなあとつくづく感じます。大人もみんな「子供心を思い出す」と言ってくれますよ。

──参加した人たちはどんな感想を持つのでしょうか?

みな日常では得られない時間をちょっとゆっくり過ごしていってくれるようです。とても印象的だったのは、ある小学校でみんなで1か月間かけてインスタレーションを作っているとき、6年生の子供たちが「今まで6年間みんなとクラスを共にしていたけれど、こんなにゆっくり話をしながら遊べたことはなかった。みんなのことがもっとよく分かり、とても好きになった」と言ってくれたことです。
また去年、美術館で行った屋外でのプロジェクトでは、子供たちにパイプやボールを与えたら、そこらへんにいた子供たちみんなが(全く知らない子供同士)巨大な「ピタゴラスイッチ」を作り出しました。みんな何時間も夢中になって駆け回り、とても盛り上がっていましたよ。
私たちにとっては全く予期していないものができた良い例です。誰一人携帯電話を触ったりしてなかったですよ!(笑)

──コアメンバーであるディランさんと一緒に活動するいきさつは?

私が色々模索している時期に、ディランの展覧会を見に行き、そこで出会いました。彼の作品が衝撃的に面白く、まさしく自分が考えていたような価値観を持っていたんです。彼がそこにたまたまいたので、声をかけて話をし、一緒に活動をすることにしました。
彼は必要なものがあると、ふとどこかのゴミ箱からそれを見つけてくるような、実に不思議な能力が持ったすごい人なんです(笑)。現在の活動も彼があの時、あそこにいたから始まったともいえます。彼に出会えたことは本当に幸運でした。
それに彼も私にもお互いの家族がいて、いつも互いの家族を巻き込んで仕事をしてきたことも、ここまでスムーズに発展してきた理由だと思います。
お互いの子供たちが常に作品制作に関わり、今までの制作の中には子供たちとのやりとりから生まれてきた作品がたくさんあります。そういう有機的な在り方がとても好きです。
当時は幼稚園児だった二人の子供たちも今や頼もしい美大生になり、スローアートコレクティブを支えてくれる第一人者です。下準備や設置のときはいつも彼らがいてくれています。それがスローアートコレクティブの1番の成果かもしれません(笑)。


──加藤チャコさんはソロの活動もされていますね。ソロ活動は、どのような特徴がありますか?

ソロ活動は糸や紐を用いて、即興的で大きな建築的インスタレーションを制作することが多いです。糸一本でどんな彫刻ができるのか、どうやってその場の環境条件とコラボレーションできるのかというチャレンジがとても楽しいです。 編むこと、結ぶこと、織ること、そういう単純な機械的運動によってもたらされる結果としての美術作品、そういうことに興味があります。
そして、その中に入り込んで中から外をみる、その場所を変容させる仕掛けを薄い膜のようなものでつくりたい。いかにそこの環境や場所と共同作業をするかということです。身体を使ってそれをする時、初めてその場所というものが身体で理解できるようになるんです。場の空気が変容し、その瞬間がただただ、嬉しいんです。
それから庭仕事ででた草花の根っこや、果物・野菜の皮やへたなども組み込んでインスタレーションとして作ったりもします。

──スローライフから派生してくる作品ですね。

はい、私はともかく「変化し続けるもの」に興味があるので、海藻や菌糸、植物、土を素材に色々な作品もつくっています。庭のコンポストや土づくり、きのこ栽培などをしている時間が何よりの大事な時間で、これは本当にスローアートの基本ですね。そういった素材と記録を使って作品作りをしています。ただ毎日慌ただしくて、なかなか本当のスローライフとは言い難いですが(笑)。
ただ、スローライフの本質というのは過程そのものに価値を置くということです。人生の毎日の過程、そのものを楽しまなくてはならないんですね。

Slow Art Collective公式サイト
https://www.slowartcollective.com

インタビュアー:J. Webb(キャンベラ大学教授)
英文和訳:加藤チャコ
編集:吉岡周流(東京ビエンナーレ2023コーディネーター)

「Slow Art Collective Tokyo」大手町での様子

Slow Art Collective Tokyoは、2023年開催の「東京ビエンナーレ2023」に参加予定です。そして、来年のビエンナーレに向け「生活とアートをゆるやかにつなげること」に関心を持つ人々を、参加メンバーとして募集しています。具体的な活動内容はこれから皆で考えます。参加費は無料です。

※詳細・最新情報はウェブサイトをご参照ください。
http://tokyobiennale.jp/

お問い合わせ先 一般社団法人東京ビエンナーレ
TEL 03−5816−3220 Email info@tokyobiennale.jp

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