ふらんすへ行きたしと思へども
原田マハさんの美術関係の小説はすべて読んでいる。それ以外については、あまり興味がない。それが面白いとか面白くないという話でもない。ただ僕は、原田マハさんの美術関係の小説が好きなのだ。これは、石田衣良さんのほとんどの作品が好きじゃないのだけど、池袋ウェストゲートパークだけは一番好きな小説シリーズの一つであるのと少し似た構造のような気もする。
その原田マハさんが、レオナルドダビンチの没後500年の大規模な展覧会を見るために、パリを訪れている時に、今回のロックダウンを目撃することになった。
その際の不安や興奮を、短い小説というか日記風の文章にまとめたものが、小説「喝采」だ。
彼女の公式サイトで、「喝采」という文章を読み、そこに載せられたパリの風景を観ながら、僕は、2018年の暮れから2019年の新年にかけて、家族で行ったロンドンやパリのことを思い出していた。
子供たちが、それぞれ働きはじめ、結婚をする前に、一度、一緒に旅行しようかという一種のセンチメンタルジャーニーだった。美術館巡りが好きな妻と娘の趣味に従っての日程だった。
ロンドンのTete Modernやパリのオルセー、ルーブルなどをたっぷりと回った。当時は、黄色いベスト運動が真っ盛りで、パリへ行くというと周りの知り合いから心配された。
ハリーポッタで有名な駅の近くから出る電車でユーロトンネルを抜けて、パリの北駅に着いた時の不安と軽い興奮を思い出している。
高校生の頃、フランス語専門の大学を受けようと思うほど、フランスかぶれだった青春時代を持っているわりには、仕事ではフランスは一切縁がなく、実に初めてのパリだった。
年末から年初にかけてのパリは、天気もどんよりとしていたが、その方がはるかに歴史の埃の持つ匂いのようなものを感じることができたような気がする。
ルーブルはあまりに大きすぎて、ちょっと閉口したが、昔、駅だったこの美術館は印象派中心に多くの名画が陳列されていて、時間の過ぎるのが惜しかった。
2019年の初めだから、当然、ノートルダム大聖堂も、まだ、昔の姿でシテ島に聳えていた。
観光名所を駆け回るような旅にはしたくなかった。初めてのパリは、ゆっくりと味わいたかったからだ。この後、ここ数年、再開していたフランス語の勉強や、フランス語での読書、印象派の歴史についての勉強などをたっぷりとしてから、あらかじめ目的を決めてから、もう一度来ようと思いながら、帰国した。
それもあって、原田マハさんの今回の滞在記はとても印象深かった。
世界中の人々がすべて平等にウィルスの支配下に服従し、自らを流刑の境涯に置かざるを得なくなったという世界史的な出来事の中で、パリは、自分を愛してやまない極東の女流作家を呼び寄せたのだろう。
刑務所に入った時に、やっておくといいのは、外国語を学ぶことだと大杉栄が言っていた。
僕は、流刑先の東京でフランス語を学ぼうと思っている。それは足元では何の意味もない。しかし流刑地で、心を希望を殺さないためには、不可欠なのだ。
一瞬、久しぶりにゲームを始めてみようかと思った。しかし、僕には外国語という終わりのないゲームがあるのだと思いなおした。
流刑地で学んだ言葉を試すことのできる日常はいつ戻ってくるのだろうか。
萩原朔太郎の100年近く前の旅情が一瞬自分の中に交差するような気がした。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
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