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#001 むかしむかし、ある長男夫婦の物語

むかしむかしあるところに

農家のお父さんとお母さんがいました。
2人は正式に結婚していました。

お母さんは街の会社で仕事がしたかったので続けていました。
そのせいで当時の田舎の女性たちより結婚するのが数年遅くなり、年長者からうるさく言われていました。

お母さんはしかたなく、良さそうな人を見つけて結婚しました。

お母さんは長女でした。
お父さんは長男でした。

でしたと言っても過去形ではありません。
生まれたときから死んでもずっとそうです。

お母さんは走るのが速く、村一番。
となり村の運動会にも呼ばれるほど短距離走が速かったそうです。

お父さんは武道の黒帯。
特に柔道では村の代表に選ばれそうになったほどです。

ある日、お母さんは赤ちゃんを産みました。

女の子でした。

親戚中で一番初めに生まれたその子はとてもとても可愛がられました。

ところが。

『次はまだ?』
『次は男の子がいいね。』
 
むかしむかしは、平気でそのような言葉をかけられていました。

お母さんは3年後、赤ちゃんを産みました。
女の子でした。

周囲にはもう何人も赤ちゃんが産まれていて珍しくありませんでした。

それでもお母さんはその赤ちゃんを大切に育てました。

『次はいつ?』
『次こそは男の子がいいね。』

周囲はまだ言い続けるのです。

お母さんは(うるせえな、わかってるよ。簡単にできたら苦労しねえっつうの。そんなに欲しけりゃお前が産め!)心のなかで叫んでいましたが、言うことは慎みました。

また3年後、お母さんは赤ちゃんを産みました。

女の子でした。

お母さんはもうクタクタでした。

それでも
『次はいつ?』
『次こそは男の子がいいね。』

まだ言われるのです。

そして。

またある日お母さんは赤ちゃんを産みました。

女の子でした。

お母さんはヘトヘトになりながらも大切に赤ちゃんも子どもたちも育てました。


『次は。。。』
『男の子が1人くらいいたら良かったねぇ。』
『みんな女の子じゃ。。。』
『婿(むこ)さんとるか』

周囲の長老たちは跡取りのことしか考えていないようです。

まるで女性に価値がないかのように話すのでした。


その場では受け流すものの、お母さんは泣きました。
赤ちゃんを授かるけれど。。。
生まれてこれたのはこの4人だけでした。

どこへ行っても、責められるようでお母さんは爆発しそうでした。

それでも持ち前の見栄っ張りと負けん気で子どもたちを立派に育てるため必死で乗り切りました。

子育ても大変でした。
お母さんはお母さんに大切にされた記憶がないので、どう愛したらいいかわからないのです。介護もあります。
日々、クタクタでした。


料理は花嫁修業でならったし、掃除も洗濯もしていたからできます。
おむつ替えもミルクも幼いいとこの世話をしていたのでやり方は充分わかっているつもりでした。

ところが24時間ほぼ一年中、家に子どもが何人も居るというのは大変なことでした。
祖父母と同居もしていないのですぐに頼むこともできません。

それでも、時々は実家に帰ってトイレットペーパーやおかずをもらってきたり、子どもを預けたり、試行錯誤しながら、周囲の人たちに支えられてお母さんも子どもたちもすくすく育ちました。


家族みんな大きな病気もせず、ときどき熱を出すくらいでした。
子どもが夜中に起きれば優しいお父さんがいつまでもおんぶしてくれました。
子どもたちは安心して眠りにつきました。


お父さんはお金を稼いできて、お母さんは家事を中心に近所付き合いや、子どもたちの送り迎え、高齢者の介護などを一人でやりました。

お父さんに給料が毎月でました。
お母さんには給料は出ません。
職歴もできません。
でもお母さんが全てのお金を管理して将来に備えました。
お父さんはスポーツカーを買ったり、派手に旅行に行ったりして独身時代は貯金が0円でした。

現代では、家庭でのスキルを履歴書に表現してステップアップにつなげることもできます。

むかしむかしはできませんでした。

お母さんは
『この人と別れたら私は生活していけないから多少のことは我慢する。』

悔しいけれど、そう決めていました。

実は外では『私はいつからでもどこででも働けるんだ。』と言っていましたが、自信などありませんでした。

ところが。時を経て状況が変わりました。

女性の社会進出がすすみ、定年退職した多くのお父さんたちが家庭に居て役割を果たさないにも関わらず威張っている事に気づき、友だちが次々離婚し始めたのです。

お母さんは羨ましくもあり、誇らしくもあり、複雑な心境でした。

そんな時はこういうのです。
『お父さんのように、こんなに子どもを愛してくれて、一生懸命働いてくれる人は他にはいない。本当に良かった。ありがとう。』


子どもから手が離れ、晩年になってスパッと別れる夫婦があちこちから見えてきたときにこそ、この言葉を繰り返すのです。

その後も孫やひ孫に恵まれ、畑や田んぼを少しずつ続けながら穏やかに暮らしました。


そして、お母さんはお父さんを看取って、1年後に天国へ行きました。



おしまい。



※現在は多くの職場で定年退職年齢が延長され、よほど余裕のある人、健康状態などに事情のある人以外はこつこつ長く働いているようです。