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#022 『我が友、第五福竜丸』を観劇して考えたことと振り返ったこと。

先日、『我が友、第五福竜丸』を観劇した。
↑上の画像はお借りしました。検索ワードは『水爆』です。第五福竜丸はさすがになくて。

私はこちらの劇団関係者ではありません。友人知人もいません。座・高円寺のお知らせの大きいやつをたまたま図書館でもらって、みてたらなみちけというのがあって、さらにそれが4回か4人分になると知り、上演スケジュールと我々のスケジュールを照らし合わせたのです。

『我が友、第五福竜丸』チラシ

劇中のセリフにあったように、「呼ばれて』チケットを買った。そして前日。
水爆が原爆のパワーよりもはるかに強いことを知り、頭の中が真っ白になりかけた。


『我が友、第五福竜丸』チラシ裏
上演スケジュール

なんで知らなかったのか。
知らせてくれなかったのか。
そんなこと、おしゃべりな親も親戚も一言も言ってなかった。(農家だし、海から物理的にも遠い。)
私は少なくとも小、中では真面目に教科書も資料集も読んでいた。載ってたら知ってたと思う。(私は中学までは暗記と再生型の勉強はできて、真面目に勉強して公立の進学校へ進むが落ちこぼれたタイプ。)では、高校でやったか?化学?あー。寝てた。載ってたかもしれない。化学Ⅰだけ履修した(ことになってる)。廊下に落ちているホコリにも放射線はあるという説明は印象にある。じゃあ、あったかもな。水爆の話、少しくらいは。(私は殆ど寝ていた。就寝時刻が遅いのと起きるのはぎりぎりなのと、昼間とにかく眠くて寝ているので、今思うともったいなかった。相談すればよかったなと思う。)

ま、でも、国の方針は『ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下された。』ということに的を絞ってる感じはするし、そういうことかと、納得はできる。

日本国のやりそうなことだ。こういう事を当時声に出したら憲兵とかに殴られたり、村八分にされたり、下手すれば殺されたのだろう。なんという時代と国なんだろう。で。今、変わったのか?と問われれば『ほとんど変わっていない』というのが正解だろう。私はそう思う。それに、このお話もそう語っていたように感じる。良い方に変えねばならない。



さて、当日。1時間くらいかな、と思ったら、2時間半でこれまたひっくり返りそうになった。そうか、高校演劇のコンテストはⅠ時間以内だけど、これは違うのだ。(スズナリで松尾スズキ氏の8050問題を題材にした二人芝居を見たのも2年くらい前か。忘れてた。時間は自由だけどそんなにやるんだったっけ。と正直思った。演劇をやるところは最近の映画館と違ってケツと背中が痛いのだ。若くて元気のある人しか見られない。それがつらい。)

しかも、あまり知らされていない史実を元に作品が作られ、上演される。説明的なセリフも自ずと多くなる。マグロ漁に出て事件に遭ったところから第五福竜丸が焼津港に戻るまで2週間かかったというんだから、2時間半なんぞ短いもんだ。


(書きながら、ちょっとトイレ。劇とはぜんぜん関係ないが、まぁまぁ良いうんこが大量に出た。大漁です!よかった。2023/11/21手帳にも書いておこう。)

そう、それで。

劇場は、座・高円寺の1。
一階にあった。
客席は段差になっており、前の人の頭で見えない!ということはない。また、椅子が、簡易的だが、10cm程度左右に隙間を作る形で座席ナンバーを示しており、隣の人とくっつくことはほぼなかった。が、誰かが歩いたり、大きく動いたり体重移動?したりすると、地震??と思うほど揺れを体験した。(震度1か2程度)(おそらく地震ではなく、釣り物やおいてあるものも全く揺れていなかった。今は揺れない仕組みなのか?)

いろいろなお芝居のやり方があると思うのだけど、客席を向いてセリフをいうのはどこに向かって喋っているのだろう。これをパートナーに言ったら、『何を言っているのかわからない』と言われてしまった。

うーん。
じゃあ、客は何として劇をみているのだろう。これも『何を言っているのかわからない』と言われてしまった。(ちなみに、パートナーは、『プロデューサー目線』であらゆるものを見、自分本人まで俯瞰して毎日を過ごしていると言う。みなさん、どうなんでしょうか。)

そうか。話の本題ではないし、別にいいのだけど。でも、私は細部がとても気になってしまって、話が進められない。

たとえば、
①劇(お芝居)を見ている観客(リアル)に向かって説明をしている。

それはそれで、わかる。

②客席含む劇場全体を第五福竜丸の博物館やその場面に見立てて、そこにいる一人として見せている。

それもわかる。だから観客はタイムスリップしたり、その場の木になったり、登場人物になったりして勝手に解釈して見れば良いと思う。

③その他

たぶん、場面により①と②を使い分けていたのだと思うのだけど、なにせ説明が多いのでついていくのが精一杯だった。
そんな中でもやはり役者さんたちはそれぞれ素晴らしく、それぞれの味があり立ち姿や一言だけで間や空気を変えられるベテランの方や、若々しいフレッシュな肺活量と発声と動きを見せてくれた方や、声量はそれほどではないものの、あの時代のその人(ならばそれくらいの声量でちょうどいいはずだ。)を演じ切っていた方たちがいて、この人たちと同じ時代を生きているんだな、と思うとそれに涙が溢れた。(劇の向こう側に話題がそれている。)

まとまらないけど、そんな感じ。

原水爆禁止!反対!と、見かけたことはあるけど、それが仕組みもパワーも全然違くて、何度も実験が行われていて、被害者もでているのに、補償が不充分だったり、訴えが認められなかったり、逆に認められても周りの人たちから差別や偏見や誤解の対象にされるなど酷い目に遭ってきた人達(少数者、マイノリティ)がいることを知った。良い機会だった。
 自分もマイノリティだけれど、ある側面から見たらマジョリティだし、ある側面から見たらダブル、トリプルマイノリティになる。だから、そのへんも見逃せないのだ。

 それと、沈黙はだめだ。できるだけ意見を共有し、声を上げるべきだと思った。一人ひとりが、できる範囲で良いから、さまざまな人たちがこの世界にいることに対して理解を深めることが求められていると感じた。

 そうすれば、日頃から心ない言葉や行動に傷つく人も少し減ると思うし、もっと人々のための国の運営が行われると信じたい。(ってことは信じられない、絶望ってことです。)

 でも、演劇を通じて名前しか知らなかった第五福竜丸について以前より知ることができたし、これからもっと知りたいと思うようになった。これは希望がある。

以上です。
ありがとうございました。

まだの方は、ぜひ観に行ってください。

もう一度貼る↓

上演スケジュール。↓あってます?自分でスマホで打ったので間違ってたらごめんない。
画像で確認して下さい。

11/22(水)14:00〜
11/23㈷14:00〜 と  19:00〜
11/24(金)19:00〜
11/25(土)14:00〜 と  19:00〜
11/26(日)14:00〜

『我が友、第五福竜丸』パンフレット裏より
上演スケジュール


追記、2ステージ/日はきついよーーーーー。(もし私が劇団側の人だったら思う。)と思うんだけど大丈夫かな。

 遠慮なく直接的に書くと、声が枯れて心配な役者さんが数人いたの。でね、あまりにもセリフがみんなに多いので、これから続けていくためにも録音とか、映像とかをもっと利用して、ここぞというところで体と声を使って温存してほしいと願っているんです。

 実際に有名な俳優さんの録音を使っているんだし、もっともっと利用していいと思う。

 無理をしろとか、修行して強くなれとか、言いたくないし、選ばれしものしかやるなとも言いたくない。
 やりたい者がやるのが一番いいと思う。
 ただ、そのハードルがあまりにも高いから続けられる人が少なくなってしまう。それは日本の大きな問題の1つだと私は考えている。(他の誰かも考えていると思うけど。)

 スーパースター以外舞台に立つなというのは間違っている。そんなの一人芝居しかできなくなってしまうし、つまらないではないか。

 使えるものは使って、椅子に座るでもいいし、明るいまま場面転換するでもいいし、マイク使うでもいいし、やり方はいくらでもある。心身や生活に負担なく継続できる演劇の作り方と、作り手の確保が急務なんじゃないだろうか。(前々から誰かが言っていると思うんだけど、私が私の頭を使って私の言葉で書いたのはこれが初めてだ。)
 
 新人、スタッフ募集ともあったし。

 というのは私も、演劇をかすった(かじってもいないだろう)ことがあり、40を過ぎて病を得て、回想すると思うんです。
 二十歳頃バイトしてて、何かで演劇関係者と飲み会があって『演劇なんて芝居なんてやるもんじゃないよ。』なんて(今思うとかっこつけて)言っている年上の方がいて、なんかその時は、あーそうですよね、私なんかにつとまりませんよ、やりませんよ、それにお金も稼げないし、例えば居酒屋のバイトしながら公演中は長く休んで、それで、またチケットも売って、働いてなんてできないですよーって思ったんです。しかも、正しく朝起きることもできない人なんで。(高3で映画学校の俳優コースも不合格だったし。ま、それしか演技系は受けてないんだけど。)スタッフの道も考えたけど、現実は厳しく、私自身の人生の他の重要な用事もあり、それに経済的負担と使われる時間が重くのしかかっていたのもあり、演劇を離れることにしました。ギャラの貰える商業的なものは単発でやったこともありましたが、もうやっていません。あ、近年は、無所属のボランティアで映画のエキストラをやってました。ノーギャラなので、お弁当が美味しい現場は嬉しいです。でも、お弁当が美味しいということは、予算が潤沢である(外資とか外資とか外資。。。)ということだし、それはインディペンデントとはかけ離れてしまうということにも繋がりかねないということも考えられます。自分が参加した作品が公開されるのはとても嬉しいです。でも、その作品全体が良いともっと嬉しいということに最近気が付きました。(演技のプロじゃないんだからそんな真剣に考えるなよ、というのは置いといて、自分は自分の人生をよかったなー、楽しかったなーとか、美味しかったなーとか、納得のいくものにしたいんです。)
 
ごく最近は全くやっていないです。ちなみに『首』にも『福田村事件』にも呼ばれなかったです。(笑)

参加したかったなー。単純に衣装着たり走ったり武器持ったりするのが楽しいんですよね。戦争は反対です。戦いなんて人殺しなんてしたくないです。お芝居、作品として昔話をやるのは良いと思います。(やり方にもよりますが。例えば国から『こう考えろ』というプロパガンダに使われるのはイヤ。)

 あ、思わぬカミングアウトをしてしまった。

おしまい。


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