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恋愛ってなんだろ、新宿 -第1話 千と二郎の相席ファミレス-

PM21:00。幸せそうな恋人たちから目を背けたくなる秋がやってきた、新宿歌舞伎町にて。カードローン会社の隣にあるファミレスで、わたしの目はたぶん血走っていた。

退勤したその足でここへ来て、PM18:30からスマホ画面を眺めたまま、1歩たりとも動かずにいた。いや、嘘だ。盛った。何度かドリンクバーに飲み物を取りに席を立ったり、注文したドリアを5口ぐらいで食べ終えたりした。ついさっきなんて、季節限定のスイーツを追加で完食もした。

彼氏の種田慎司(たねだしんじ)-通称たねくんからのLINEの返信は、今日を含めて丸2週間届かない。トーク画面の吹き出し横のステータスは「既読」だ。珍しいことではない。

彼は既読スルーに関してはプロだった。一級品の既読スルーを君にってか。やかましいわ。わたしはそれを何度やられても慣れない。既読スルー素人のままだった。

「はぁぁぁあーあああー」

あからさまに独特なため息をついても、やり過ごせない夜がここにある。

ふと、先月の誕生日で何歳になったんだっけ、と不安になった。思い出したくなくて、思い出したかけた数字を思考の奥深くに封じ込めようとしたけど失敗して、結局思い出した。そうだ。29になった。

25歳で結婚する予定だったライフプランからは4年もオーバーしていた。いつ立てたライフプランかって? もちろん高2の夏だ。軌道修正もろくにせずに、ここまで生きてきてしまった。

なんだよそれ、と思われるかもしれないけれど、わたしはこのときため息をつくのに夢中だった。そんなヤツいるかよ、と思うかもしれないけれど、29のそんなヤツがここにいる。

そのせいで、ファミレス店員の「相席お願いできますか?」という質問に、ほとんど無意識に「はい」と答えていた。今なにか言われたなあと、相変わらずスマホ画面を血走った目で見つめながら、ほんのつい先ほどの記憶を遡る。

「え、相席?」

勢いよく顔を上げ、そう問い返したときにはすでに遅かった。向かいの席には見知らないもじゃもじゃ頭の男。目をつむり、テーブル下に見えなくなってしまうんじゃないかと思うほど深く腰掛けていた。ファックスされかけてるコピー用紙かよ、と思った。歌舞伎町の夜はヘンテコな人間ばかりだ。

男はやたらと脚が長いらしく、わたしのヒールを履いた足の左隣に、黒い靴下で覆われた足首と革靴が覗いていた。テーブル上に見える上半身とテーブル下にはみ出る革靴から見るに、嫌味なほどに長身だった。

なんだか見ているだけで腹が立ってくる男だった。わたしは眉間にシワを寄せたものの、そのシワがこれからの人生に深く刻まれることを恐れて、眉毛を回転させるように動かした。表情をリセットし、わたしはまたスマホに目線を戻す。うんともすんとも言わない彼のアイコンに向けて、もう何度目かのため息をついた。

「男から返信でも来ないんですか?」

向かいのもじゃもじゃが話しかけてきた。スマホに集中しているわたしの視界では、本当にもじゃもじゃした生き物が喋っているように見えた。めんどくさいこと極まりなかったので、しょっぱい対応をした。

「まあ」

わたしが口にしたのは、このたった2文字だ。ついでに、「これ以上話しかけてくんなオーラ」もちゃんと出した。

「どんなメッセージ送っちゃったんですか?」

しつこいぞ。SHITSUKOIZO。

「ふつうの会話です」

嫌悪感をひた隠して、わたしは平然と答える。絶対に目は合わせない。どうせ惨めな女をからかいたいだけだろう。

「僕でよければ相談のりますよ? 目には目を、男には男を、ですよ」

それを聞いたわたしは、簡単に心がぐらついた。それもそうだと思った。なぜ今の今まで思いつかなかったのか。

革靴の先っちょからだんだんと目線を上げ、男の顔をそろっとうかがう。わたしがまたしょっぱい対応をすると思ったのか、男は口をとがさせながらタブレットでメニューを見ていた。

「あの、これどう思います?」

まったくの初対面の男に、わたしはLINEのトーク画面を差し出す。男はタブレットから顔を上げると、わたしの手のひらに収まったスマホを覗いた。それから目を細めて、「あーこれ、やっちゃってるなあ」と言った。

そして、わたしの手元に置いてあった社員証の名前ー千木良千秋(ちぎらちあき)をチラ見して、「だいたい千がしつこいんだよ、繰り返し過ぎ。ご両親はそこ気にしなかったのかな」とも言った。「まあでも、千明千明にならなかっただけマシか」とも。

わたしは、いったいどこからアドバイスが始まるのだろうかと思いながら、男の身振り手振りに合わせて口を開けたまま顔を上下させていた。そこでようやく気がついた。嫌味な長身に、ただもじゃもじゃと嫌味を言われているだけじゃないか、と。

「ちょっと、なんなんですか」

「あ、僕は富所二郎(とみどころじろう)です」

「別に名前聞いてないです」

わたしとその男ー富所二郎が話している頃、店裏では店長がバイトのスタッフを叱っていた。

「どうして他に席空いてるのに相席お願いしたんだよ」

「あ、これから混むかと思って」

「いや、これからむしろ空く時間だから」

「でもなんか、話盛り上がってるみたいだし。いいんじゃないすか、あのままで」

そんな会話にわたしたちは気づくはずもなく、楽しくもないのに盛り上がっていた。

「第三者に相談する女の人って、男から返信来なくて困ってる人多いんですよ」

「返信をよこさない男がいるから、女は相談するんです」

「え、そっちが先? 相談するような性格だから、男は返信したくなくなるんだよ、わっかんないかなあ」

いつの間にか富所が頼んだフライドポテトがテーブルに届いた。わたしはなんの許可も取らず、それを数本掴み取って口に入れた。富所は「あー、この人勝手に食べたー」と平坦な声を上げてわたしを指差す。

「嫌味の数だけ食べてやるっ」

「わかった。これだけは言わせて」

フライドポテトに伸ばしかけた手を止めて、富所の目を改めて見る。一重のくせして妙に印象の濃い目元だった。

「恋愛に答えはないよ」

「そんなこと、知ってます」

富所の低くゆったりとした声に、わたしは先に頬張っていたポテトを落ち着いて咀嚼した。どうしてか少し、悲しくなった。昔あったいくつかの恋を同時に思い出した。

「恋愛ってなんなんだろうね」

また、いつの間にか富所が頼んでいたチュコレートパフェのデラックスサイズが届いた。テーブルにチープな華やかさが添えられる。富所は、パフェ用の長いスプーンを覆っていたペーパーナプキンを慣れた手つきでシュッと取った。なんかイラっとする。

「こっちが聞きたいです。男女のいざこざを吐くほど見てきたこの街にでも聞いてみてください」

富所はふいに窓の外を見た。わたしもつられて見ると、向かいの建物に入っている無印はもうすでに消灯していた。

「恋愛ってなんだろ、新宿」

うわ、本当に聞いたよこの人。わたしはかなり引いて、吐瀉物でも踏みつけたときのようなひどい顔で富所を見た。

そんな際どい出会い方だった。


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(これを読む時に聞きたい曲:『Low Season』/プールサイド)


第1話 千と二郎の相席ファミレス(終)

第2話へ続く。毎週火曜22:00に更新いたしますのでお楽しみに!



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