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今、起きている変化を考える

TOKYO町工場HUBとは何か

TOKYO町工場HUBとは何かを説明するのは少し難しい。「◯◯屋」であると表現がしにくいのだ。それはやっていることが複雑であるということではない。時代認識の共有が前提になるからである。「組織」の時代の「間尺」では測ることができない。存在の仕方そのものが、「個」の時代に特有のものだという理解がないと、全くつかみどころがない。

まず、株式会社という法人ではあるものの、組織を持たない。たくさんの職人や技術者、クリエイター達と仕事をしているが、組織的な形はほとんどない。営利事業には違いないが、マッチングを行う会員組織でもなく、事業支援などのコンサルタントでもない。いわゆるプラットフォームでもない。手数料を稼ぐビジネスモデルではないのである。行政の助成金や委託料目当てに動くのでもない。資金は動くが、資本は動かない。モノは動くが仲介はほとんどしない。仲間は多いが、滅多に集まらない。

間違いなく経済活動ではある。近いものを探せば、投資活動かもしれない。しかし、投資しているのはお金ではなく、知恵と工夫と時間である。あるいは誤解を恐れずに言えば、様相としては農業に近い。当然、金銭的なリターンはあるし、そのように仕組んでいるのだけれども、果実が育つための手間と時間を売っているわけではない。実った果実を売って稼いでいるのである。

このようなものの伝え方は、明らかに誤解と混乱を生むものだと理解している。そこで、少し遠回りにはなるけれども、TOKYO町工場HUBとは何かを理解していただくために、私たちが経験している社会や経済の変化とその意味について、私なりの整理で解説したいと思う。

今、起きている変化の意味

企業の目的とは何か

変化を語る前に、いくつか根本的な認識について理解をすり合わせておきたい。まず「企業の目的とは何であるか」ということについて。どう考えたら良いであろうか。

「モノやサービスを顧客に提供し、利益を上げること」。このような回答があるかもしれない。間違いとは思わないが、どちらかと言えば「ビジネスとは何か」という質問への回答としてふさわしい。利益を出すことは、必ずしも企業に限った限った目的ではない。

企業とは株式会社(あるいは類似の有限責任会社)のことであるとすれば、資本家の投資に見合う価値を創造し、それを顧客に売って利益を出し、十分な配当を支払うことであるとも言える。

ただ現代社会においては、利益を出せば良いと単純化はできなくなっている。企業には従業員も、取引先も、仕入れ先も、地域のコミュニティや環境団体まで、たくさんのステークホルダーがある。今や「三方よし」どころか「八方よし」の姿勢で臨まないといけないようにもなっている。しかも、企業は企業であることを持続し、成長させることが求められている。

近年では企業の経済的な役割にとどまらず、社会的な役割の重要さがクローズアップされている。CSRから始まり、SDGsやパーパス経営まで、企業の社会的な貢献が求められているだけでなく、企業が特定の社会貢献を「企業の目的」である宣言する企業も出てきている。今や企業は単純に稼ぐだけでは存在価値を認めてもらえず、たくさんのことを背負っているのだ。

「個」の時代の事業者

さて、「個」の時代では「事業主体」のあり方も多様化している。利益を目的としていなかった「非営利団体」が積極的に経済活動に参加し、個人事業主のような最小単位の事業体も勢力が増して、一定の力と影響力を持つ時代になった。

事業目的は実に千差万別である。ありとあらゆる無数の目的がある。各企業や事業体に固有名詞があるように、固有の目的がある。自分のアイデアを表現したい、創造することを楽しみたい、人と繋がりたい、社会課題を解決したい、人の笑顔が見たいなど。「組織」の時代の企業から見ればどんなに「とるに足りない」目的であっても、個々の事業者にとっては切実なものである。

そしてこの無数の多様性が受容され、存在しうるところに、「個」の時代の本質がある。投資家も従業員もいない事業主が大半である。個々では社会における存在感は小さく、ステークホルダーと言っても限定的で、まさに吹けば飛ぶような存在であるが、その分、純粋に目的に力を注いでいるようにも見える。

「組織」の時代の論理で言えば、こうした事業活動は緩すぎるかもしれない。経済的な合理性に欠くようにも見え、ボランティア活動や趣味の一種に見えるかもしれない。しかし、「個」の時代の合理性には敵うのである。

生産と消費の再融合

「個」の時代の土台には、技術革新と社会の受容性の変化が大きく影響している。今までの「組織」の時代では、このような「事業」は市場を介することがなかった。事業とはみなされもしなかったし、事業たりえなかった。

ハンドメイドアクセサリーは趣味の世界で完結していたし、弱者支援のようなソーシャルな諸活動は、それが社会や人々の課題を解決しうるものであっても、ボランティアとして取り組まざるを得なかった。

しかし、「個」の時代にあってはそうした零細な諸活動も市場を介して経済活動に取り込むことができるようになった。どこへでも、誰にでもモノやサービスを届けることが可能な時代に生きている。市場への参加は自由であり、低コストで、社会に悪影響を与えるものでない限りフィルターはない。どんなに「価値がない」と一般にみなされるようなモノやサービスであっても、特別な誰かに届けられる。

40年前にアルビン・トフラーが書いた「第三の波」では、産業革命によって分断された生産と消費が、再び融合して「プロシューマー」が生まれることを予測していた。ここで対象としていたのは、「家事」のように明らかに実質的な生産活動を行なっているのに関わらず、市場を介したものではないために経済的な価値がないとみなされている諸活動である。

産業革命前は、農業が主体であった。農家での家事は生産活動そのものであった。家族総出で「家事」を行い、必要に応じてコミュニティで相互に助け合った。そこには、生産者と消費者の区別はなかった。

しかし、産業革命によって農家の働き手は工場に吸い取られ、そこに生産と消費の分断が起きた。生産は工場で、家では消費。生産と消費を繋ぐものは市場であったが、市場に乗らない「家事」は経済とは無縁の活動になってしまった。

トフラーは、科学技術が発展して普及することで、再び生産と消費が融合し、プロシューマー(生産者であるプロデューサーと消費者であるコンシューマーを合わせた造語)が生まれると考えた。高度に情報通信技術が発展し、世界の隅々まで普及した現代において、私たちはその現実を目の前にしている。

創造力のある人たちが自由自在に活躍できる社会

TOKYO町工場HUBが「創造力のある人たちが自由自在に活躍できる社会」の実現をビジョンとして活動しているというのは、上記の時代認識を受けてのものである。「個」の時代は到来しているが、まだ入り口に入ったばかりだ。特にものづくりの世界は、どこもかしこも未知のフロンティアである。

TOKYO町工場HUBの構成論理や戦略は、「組織」の時代の企業の目的や役割という視座からは見えにくい。依って立つ土台が違うのである。もちろん、「個」の時代の観点から見ても、現状は完成されたものとは到底言えない。日々試行錯誤あり、思い違いや失敗も少なくない。しかし、何を目指しているのかということは、少しご理解いただけたであろうか。

このビジョンを実現する担い手として、東京の町工場は重要な鍵となる。「新しい時代のものづくりエコシステム」は、「個」の時代が本格稼働するための有力なベースのひとつとなるはずだ。

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