聴くと日常が愛しくなる音楽|never young beach
「ちょっと最近いろいろ詰め込みすぎて疲れてる!何かオススメのリラックス方法ない?すぐできるやつね!」と友だちに相談されたら私はこう答える。
「とりあえずネバヤン聴いて踊りな。」
never young beach、通称ネバヤンの音楽は日常を忙しく過ごす人の眉間のシワを伸ばして、ニヤニヤの笑顔をくれる。ガチガチに凝った体をほぐしてゆるゆると踊らせてくれる。
いつもと変わらない日常を、「なんもないけど、これはこれでなんかええやん」と愛しく思わせてくれるネバヤンの魅力について語りたい!
ネバヤンのライブで感じた初めての感覚
音楽のライブに行くとき、あなたは何を求めて行きますか?「毎日頑張っている自分へのご褒美」「非日常を味わいに」という人が多いのかなと思う。
もちろん私もそう。ライブハウスでもドームでも野外フェスでも、いつもと違う空間で日常を忘れて盛り上がれるのがライブの魅力だ。
ところが、先日初めて行ったネバヤンのワンマンツアーでは今までと全く違う感覚を味わった。非日常じゃなくて日常を感じた。
ネバヤンの魅力はまさにこれ。この日常感。
聴く人の日常と地続きにあるネバヤンの歌詞の世界
「アルバム出したけどさー聴いてくれる人いんのかなーとか思ってさーそりゃ楽しくて作ってんだけどさーそういうこと思ったりもするわけよー」と親しみやすさ爆発のMCをしてくれたフロントマンの安部勇磨さん。
彼が書く歌詞が私はとにかく好きだ。
子どもにもわかるくらいシンプルでやさしい日本語。あのときの自分のことかなって錯覚するくらい共感できる言葉たち。できそうでできない言語化。
タイトルのとおり本当にどうでもいい日常の一コマ。でもなぜか、夏前のちょっと湿った空気とか髪の毛が顔にへばりつく感覚とか、そういうのを思い出して俗にいうエモい気持ちになる。
これぞネバヤン節。頑張れとも負けるなとも言わずに、「いっちょやったろかな」という気持ちにさせてくれる。しかも重い腰を上げたくなるだけではない。お尻を左右に振りたくなる。
切ない曲もご機嫌な曲も、地元の友だちの話を聞いているような身近さがある。だから心が緩む。
ゆるさを作り出すかっこよさ
そして曲はとてつもなくかっこいい。
音楽を作ったことのない私に専門的なことは全くわからない。でも古き良きものと新しく軽やかなものが気持ちよく混ざり合っているのが感覚でわかる。
YouTubeのコメントでは「ゆるくてかっこいい」という感想をよく見る。
しかもそのゆるさは多分、綿密に作り上げられている。だけど表面上はただただゆるく楽しく奏でているように見える。
親しみやすい音楽とパフォーマンス、その裏に見え隠れするクールさがクセになるのだ。
ライブの後に思うこと「今日はいい1日になったなあ」
冒頭にも触れたけれど、素敵なライブに行ったあとってよく「日常を忘れる楽しさだった!」って思いませんか?
「またこの感動を味わえるように毎日を頑張ろう!」というメリハリもライブの魅力なんだけれど、この場合帰宅後に「あ、現実。ただいま……」という弊害もある。(もちろん毎回そうなるわけじゃない。)
でも、ネバヤンのライブは違う。だってネバヤンの音楽は私たちの日常だから。「あー楽しい1日だった!こんな毎日も悪くない。」と日常の楽しさに気づかせてくれる。
その証拠にライブの翌日は、「昨日とのギャップ。辛い。」とは思わず、「さて!今日もボチボチ行きますか!らりらりらん」という気分だった。
「誰がどうだとか忘れて」「ゆれる心のままに」
ネバヤンの音楽を聴いていると、周りを気にしながらせかせかと忙しくしなくていいかもなと思える。
「そりゃそうだけどやることたくさんあるのよ」と思う人は、昼休みPCの前でお弁当を食べながら、満員電車でもみくちゃにされながら、たまった家事をなんとかさばきながら、ネバヤンを聴いてみてほしい。
音楽を聴きながら進める日常の作業が、いつの間にかちょっと楽しいものになっていますように。
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