賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」から(2)
GHQの洗脳工作は、占領から1年半後のゼネスト中止命令までのことであることを忘れていませんか。
賀茂道子は「GHQは日本人の戦争観を変えたか」で、江藤淳が打ち出した「ウォー・ギルト・プログラム」による洗脳説に対して批判的視点を提供していますが、その要約を江藤自身の次の言葉に集約させている。
「なぜなら、教科書論叢も、1982年夏の中・韓両国に対する屈辱的な土下座外交も、1942年12月8日を期して各紙に連載を命じられた「太平洋戦争史」と題するCI&E製の宣伝文書に対する空騒ぎだと、いわざるをえないからである。」
江藤は、当時を生きた自らの経験をもって「ウォー・ギルト」などといった議論が国民の中に浸透していなかったことも理解していた。それゆえ江藤は、このプログラムの効果は「太平洋戦争」の記述が戦後歴史記述のバラダイムを想定し、その記述をテクストとして教育された世代が社会の中堅を占めたことで発揮したとする二段論法を用いた。と筆者はいう。しかし、そもそも、江藤淳が依拠したウォー・ギルトの第三段階の提言書は、逆コースと時期が重なり、GHQによって放棄された提言であった。
僕の根本的な疑問は、戦後の言論空間を支配したのは「8月革命説」と「平和憲法の神話」であり、「靖国神社悪者史観」であることを考えるとウォー・ギルトがこれらといかに関係していたか全く不明であることである。
これらを理解するには一旦、ウォー・ギルトという文脈を離れ、日本における左翼、共産主義思想の受容と蔓延について検討すべきだと考えています。
むしろ、2・2・6事件の背骨となった北一輝の国家社会主義の思想です。
ナチスは右翼と紹介されることがありますが、基本的には「理性」によって「社会」を「合理的」に「設計する」ことを目指しているという意味において左翼です。そして政治的体制が「進歩」するという観点も。マルクス主義やボルシェビキとの違いは、天皇がいるかいないかです。
GHQは47年2月にはゼネスト中止命令を発し「逆コース」を走りだした。首相の靖国神社参拝が再開され、警察予備隊が発足し、予定されていた第2次東京裁判もなされず、岸信介が釈放され、レッド・パージが始まり、A級戦犯は刑が減免され釈放されていった。ウォー・ギルトはいかにも中途半端に終わり、その中心にいたコンデらはCIE を追放された。
あるいは、こう問い直すべきかもしれない。
■ なぜ、日本人は、GHQが撤回したウォーギルト的な史観を、自ら進んで精神の中に取り入れていったのか。それが道徳的で理性的な振る舞いだとインテリが理解したのか。
■ 自虐史観ないし贖罪史観ともいうべき日本の悪を史実から離れて強調する基調を受け入れたのはなぜなのか。それが1980年代、1990年代という戦後日本の経済的絶頂期ともいえるバブル期であり、共産主義が次々に破綻していった時期にそれが起こったのはなぜなのか。
■ 僕は、日本人の自虐史観、贖罪史観は、もともと日本人の性格や心情の中にひそむものではないかと考えています。そこを抉り出して批判しなければ、ウォー・ギルトを千回唱えても状況は改善しないと考えています。
以上
(R4/8/22 MLへの投稿から)
●前記事「賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」から」
●賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」から(2)
●賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」から(3)
●賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」から(4)
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