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賀茂道子「GHQは日本人の戦争観を変えたか 「ウォー・ギルト」をめぐる攻防」から(4)

「マッカーサーが日本や天皇についてどう考えていたのか。」は、彼らが行った一連の戦後改革、憲法改正、東京裁判の評価に関連しており、大変重要な課題です。

少なくてもマッカーサーが日本に乗り込んできた当初は、日本に対して、非常に悪い印象をもっていたことは間違いありません。
彼らがまず着手したのは「神道指令」です。
その後、天皇に会い、更に、日本人がウォー・ギルトにもかかわらず、一向に天皇に対して敵対的にならないことに出くわし、人心は温和であり、治安も驚くほど良好であり、全国で御幸巡行が歓迎され、日本国憲法も定着する一方、朝鮮半島の有事に出くわし、改めて日本の武士道を感じ、日本が直面していた危機と脅威を実感し、原爆投下を主張したことから、司令官を解任され、米国議会で証言を求められる羽目になり、そこで日本と日本の戦争について質問され、日本人は12歳の少年であるとか、日本の戦争は、主として自衛のためであった。すなわち、「大部分は安全保障の必要に迫られてのことであった」という証言をした。

この証言は、日本人からもアメリカ人からも反発を受けた(日本では、主として自衛のための箇所は省かれていた。)。マッカーサーが大統領になる目は、完全に失せる結果となった。当時、アメリカの世論は、まだ日本憎し、天皇戦犯論が優勢であり、マッカーサーの統治は日本に甘すぎるという批判があったからだ。
今、もう一度、この証言の趣旨について見直す必要があると感じた。 

それは2/1ゼネスト中止命令を発し、以来「逆コース」を走ってきたGHQの日本に対する見方と符牒を合わせるものだという視点から、見直してみようということである。 

そして、この逆コースの端緒となった2/1ゼネスト中止命令は、47年の2月1日。
それは、日本国憲法が施行される3カ月前のことでした。 
49年には毛沢東が勝利し、中華人民共和国の建国を宣言し、50年には朝鮮戦争が勃発しました。サンフランシスコ講和条約が締結されたのは51年(マッカーサー証言の年)、それが批准されて効力を発したのは52年のことでした。 

今は、マッカーサーがアメリカの大統領になっておれば、と思う。 
以上 
(R4/8/23  MLへの投稿から)

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