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那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(2)

那覇市孔子廟事件の解決の指針となる判例は、平成22年の空知太神社事件最高裁判決です。そこでは政教分離違反の判断の枠組みとして、学術的ないし専門的な観点だけでなく、「一般人の評価」も重要なメルクマールとされています。

そこで大法廷の弁論では、一審原告の金城テルさん本人に一般人を代表して15人の裁判官に直接、訴えかけてもらう予定で準備してきました。

しかし、直前の新型コロナの第三次感染拡大に伴う、緊急事態宣言の発令です。93歳になる金城テルさんに大法廷に出廷してもらうのは余りにもリスクが高いというご家族の反対もあり、金城テルさんは、やむなく弁論を断念し、その代わりに弁護団に手書きの弁論書を託されました。これを上原知可子弁護士が代読するという形で弁論をおこないました。その弁論書を紹介させていただきます。

いうなれば、そこで吐露されている「これは宗教だ!」という金城テルさんの直感を法的に整理して根拠づけることが、私たち弁護団の仕事でした。
以上
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1 自己紹介
私は、今年の3月で93歳になります。平成26年に提起したときからこの裁判を戦って参りました。私は、那覇市民として沖縄県民として、そして日本国民の1人として久米至聖廟(孔子廟)に対して感じていることを率直に申し上げたいと思います。
2 釋奠祭礼をみたとき「これは宗教だ」と強く感じたこと
私がはじめて釋奠祭禮のことを知ったのは、久米崇聖会がホームページにあげている動画をみたときのことでした。黒い礼服を着た司祭たちが出てくると、「至聖門」が開かれ、そこから中に入ってこられる孔子様の御霊(みたま)をお迎えし、お線香をあげ、お蝋燭をともし、お供物をささげ、お像の前で中国式の独特の礼法を繰り返し、やがて提灯をもって孔子様の御霊をお送りし、「至誠門」を閉め、提灯の灯を消して終わるのです。見終わったとき、「これは宗教だ」と直感しました。平成26年9月、実際の釋奠祭禮をこの目でみましたが、その思いはますます強くなりました。エイサーやハーリーと同じ沖縄の習俗だという意見がありますが、それは間違っています。釋奠祭禮は、長い間、久米三十六姓(クニンダンチュ)の儀式として伝えられてきたものであって、沖縄の一般市民にとっては全くなじみのないものでした。
3 神職による遷座御願の宗教性について
久米至聖廟(孔子廟)の移設に伴って行なわれた遷座御願(せんざうがん)の動画も久米崇聖会のホームページでみました。神職による拝みを映した動画でした。それがユタなのかノロなのかは分かりませんが、神霊的な力を持つ霊媒師による拝みや占いは、今でも沖縄ではよくみられます。そして、そのこともまた、私の「これは宗教だ」という思いを強くしたのでした。
4 久米至聖廟前に座り込んで礼拝する方々の姿について
久米至聖廟の前では、御座や座布団を敷いて座りこんで、一心不乱に祈りを捧げる方々をよくみかけます。中国や台湾の方々のようですが、その熱心な礼拝から、久米孔子廟に関わる儒教の信者さんたちに間違いないように思えます。
5 「学業成就」の御札の販売について
今はもうなくなりましたが、以前には、「学業成就」の御札が販売されていました。ありがたい「灰」が封入され、御利益があるというふれこみでした。これは、そのことをありがたく思う信者が多数いるという証拠です。
6 感想
私が釋奠祭禮や久米孔子廟を宗教だと感じている理由の概略は以上のとおりです。菅原道真を祀る天満宮とどこが違うのでしょうか。こうした施設を公園に設置し、使用料を全額免除することが、特定の宗教に対する援助になるのはあたりまえのことです。多くの那覇市民、沖縄県民、日本国民は私と同じように感じるはずです。最高裁判所の裁判官におかれましては、「一般人の評価」を量る上で、今、私が申し上げましたことも充分にご配慮いただきますよう心からお願いします。
金城照子 
以上 
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固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件 最高裁判所大法廷口頭弁論要旨
那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(1)
那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(2)
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孔子廟訴訟 報道動画(1)
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