見出し画像

固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件 最高裁判所大法廷口頭弁論要旨

令和元年(行ツ)第222号、令和元年(行ヒ)第262号
固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件
上告人兼被上告人(第1審被告) 那覇市長城間幹子
上告補助参加人兼被上告補助参加人(参加人) 一般社団法人久米崇聖会
被上告人兼上告人(第1審原告) 金城照子

口頭弁論要旨

令和2年12月25日

最高裁判所大法廷 御中

被上告人兼上告人(第1審原告)訴訟代理人 
弁護士 德永 信一 
弁護士 岩原 義則
同 訴訟復代理人 
弁護士 上原 千可子

第1 訴訟代理人による弁論

1 儒教の宗教的性格について
参加人(久米崇聖会)と上告人(那覇市長)は、未だに、儒教は宗教ではなく学問
であると強弁しています。その根拠として挙げている宗教学上の通説なるものは、約50年も前のものです。この裁判では儒教学の泰斗・加地伸行大阪大学名誉教授の意見書を提出し、そもそも儒教が宗教的性格を濃厚に有するものであることを論証しています。また、お茶の水大学大学院の高島元洋教授はNHK放送大学講座において、日本において儒教が宗教ではないと誤解されてきた理由を明晰に解説しています。更には、京都大学の小倉紀蔵教授は、儒教の代表的宗派である朱子学について鬼神が重要な役割を果たしており、それが血の連鎖に基づく宗教思想であると断言しています。
加地伸行名誉教授は、その意見書の中で儒教の世界観について語り、「儒教は魂魄という霊的存在を中心に置くものであり、仏教の世界観である輪廻転生と厳しく対峙してきた。」としています。朱子学は、人は死ぬと、それまで一体となっていた魂魄が分かれ、魂は天井に上り、魄は地下に沈潜するのであり、それが一体となって輪廻転生することはありえないとして仏教を批判してきたのです。儒教は、決して科学的でも実証的でもありません。それが倫理や学問としての側面を有することを否定するつもりはありませんが、そのことはキリスト教やイスラム教や仏教においてもいえることです。
2 釋奠祭禮の宗教的意義について
「孔子祭り」とも称される釋奠祭礼が宗教的意義を有するものであることは、歴史上、清の時代に起こった「典礼問題」に照らして明らかです。明の時代に中国でキリスト教の布教をはじめたマテオ・リッチのイエズス会は、祖霊崇拝や孔子祭りを習俗であるとしていましたが、バチカンのローマ教皇はその実態を知り、これを異教の偶像崇拝であるとして信徒の参列を禁じたのでした。
また、久米崇聖会らは、日本国内にも多久聖廟や湯島聖堂といった孔子廟があり釋奠が行なわれていることを指摘していますが、それらは久米至聖廟と違って、いずれも史跡や文化財としての指定を受け、公益法人ないし地方自治体がその運営を担っています。その公共性ないし世俗性には格段の違いがあるのです。
釋奠祭礼は御霊の帰還を儀式の根本に置くものであり、祖霊の帰還を機軸とするお盆の行事と同じく、シャーマニズムの性格を色濃くもっているのです。
3 久米至聖廟の宗教施設性について
戦前、久米至聖廟の前身である旧久米至聖廟は寺社に類する施設として指定されていました。現在の久米至聖廟も釋奠祭礼のときだけ開く「至誠門」を構え、フェンスで囲われています。久米至聖廟は、主として釋奠祭礼を挙行するための施設であって、それが宗教的性格を色濃く有するものであることは明白です。
4 久米崇聖会の宗教団体としての性格について(同)
久米崇聖会は釋奠祭禮の挙行をその活動の中核であるとしており、釋奠祭禮の司祭は久米崇聖会の理事に限定されています。久米崇聖会の構成員は、今でも明から遣わされた職能集団を起源とする久米三十六姓の末裔、しかも男性に限られています。儒教が男系の血統による生命の連鎖を中心に置く「孝」の宗教であることに照らすなら、その祭礼が男系の血統を重んじる血縁集団を中心として担われていることは、むしろ自然なことです。久米崇聖会が宗教団体としての性格を有していることは明白です。
5 公園敷地の無料利用提供にいたる経緯について
空知太神社訴訟判決の事案では、公有地の利用提供となるに至る歴史的経緯において、やむをえないものがあったとされています。しかし、本件では、逆に、計画案の策定段階における委員会や作業部会において、「いくら宗教ではないと主張しても宗教に限りなく近い」などといった懸念等が指摘されていました。那覇市は、久米至聖廟を今の形で移設するのに積極的に関与しているのです。しかも、これを松山公園に移設しなければならないやむをえない事情も、公園使用料を全額免除しなければ、久米崇聖会の信教の自由が害されるという状況もありませんでした。
6 一般人の評価について
さて、空知太神社訴訟の最高裁判決における判断枠組みの重要な要素に、「一般人の評価」があります。これについては、上告人兼被上告人である金城照子さんご本人から直にお話しを聞いていただきます。

第2 第1審原告金城照子による弁論

1 自己紹介
私は、今年の3月で93歳になります。平成26年に提起したときからこの裁判を戦って参りました。私は、那覇市民として沖縄県民として、そして日本国民の1人として久米至聖廟(孔子廟)に対して感じていることを率直に申し上げたいと思います。
2 釋奠祭礼をみたとき「これは宗教だ」と強く感じたこと
私がはじめて釋奠祭禮のことを知ったのは、久米崇聖会がホームページにあげている動画をみたときのことでした。黒い礼服を着た司祭たちが出てくると、「至聖門」が開かれ、そこから中に入ってこられる孔子様の御霊(みたま)をお迎えし、お線香をあげ、お蝋燭をともし、お供物をささげ、お像の前で中国式の独特の礼法を繰り返し、やがて提灯をもって孔子様の御霊をお送りし、「至誠門」を閉め、提灯の灯を消して終わるのです。見終わったとき、「これは宗教だ」と直感しました。平成26年9月、実際の釋奠祭禮をこの目でみましたが、その思いはますます強くなりました。エイサーやハーリーと同じ沖縄の習俗だという意見がありますが、それは間違っています。釋奠祭禮は、長い間、久米三十六姓(クニンダンチュ)の儀式として伝えられてきたものであって、沖縄の一般市民にとっては全くなじみのないものでした。
3 神職による遷座御願の宗教性について
久米至聖廟(孔子廟)の移設に伴って行なわれた遷座御願(せんざうがん)の動画も久米崇聖会のホームページでみました。神職による拝みを映した動画でした。それがユタなのかノロなのかは分かりませんが、神霊的な力を持つ霊媒師による拝みや占いは、今でも沖縄ではよくみられます。そして、そのこともまた、私の「これは宗教だ」という思いを強くしたのでした。
4 久米至聖廟前に座り込んで礼拝する方々の姿について
久米至聖廟の前では、御座や座布団を敷いて座りこんで、一心不乱に祈りを捧げる方々をよくみかけます。中国や台湾の方々のようですが、その熱心な礼拝から、久米孔子廟に関わる儒教の信者さんたちに間違いないように思えます。
5 「学業成就」の御札の販売について
今はもうなくなりましたが、以前には、「学業成就」の御札が販売されていました。ありがたい「灰」が封入され、御利益があるというふれこみでした。これは、そのことをありがたく思う信者が多数いるという証拠です。
6 感想
私が釋奠祭禮や久米孔子廟を宗教だと感じている理由の概略は以上のとおりです。菅原道真を祀る天満宮とどこが違うのでしょうか。こうした施設を公園に設置し、使用料を全額免除することが、特定の宗教に対する援助になるのはあたりまえのことです。多くの那覇市民、沖縄県民、日本国民は私と同じように感じるはずです。最高裁判所の裁判官におかれましては、「一般人の評価」を量る上で、今、私が申し上げましたことも充分にご配慮いただきますよう心からお願いします。

第3 結論

第一審判決及び原判決が認定しているように、年に1度、孔子の御霊を招いてする釋奠祭禮を挙行することを主たる目的として建てられた久米至聖廟が宗教的性格の濃厚な施設であることは、学術的見地からはもちろん、一般人の宗教感覚に照らしても疑いのないことに思われます。そして、この宗教的施設に対し、那覇市が市民公園の広大な敷地を提供し、しかも使用料を全額免除していることは、特定の宗教に対する援助や助長に当たり、政教分離原則に違反することは疑いの余地のないことに思われます。最高裁判所におかれましては、憲法の本旨に立ち返り、正しいご判断をいただきますようお願い申し上げる次第です。
以上
固定資産税等課税免除措置取消(住民訴訟)請求事件 最高裁判所大法廷口頭弁論要旨
那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(1)
那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(2)
那覇市孔子廟裁判の最高裁大法廷弁論について(3)久米孔子廟と5本爪の龍柱
孔子廟訴訟 報道動画(1)
孔子廟訴訟 報道動画(2)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?