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自分の居場所って、私がいる意味あるのかな

自分の居場所
なんだか、私がいる意味あるのかな。
そんなことを思う日もあるだろう。

うまく行かなくてつまづくとき、そんなことを思う。

人に気を使いすぎているうちに
自分が何をしたいのか
わからなくなってしまう。

疲れ果てて、とうとう
自分の存在の意味を考えるようになり、
いてもいなくてもおんなじなのではと
頭の中で自問自答し、
また疲れてしまう。
自己肯定感が低いのかもしれない。

逆にうまく行かないときに他人のせいにする人もいる。
これは、自分は正しいと自尊心が高く、往々にして空気が読めず人を慮ることができない人に現れがちだ。

いずれも、実は問題から目を背けている。

また誰にも、弱気な気持ちを
吐露してはならない、と考えて
また心のなかに苦しさを溜め込んでいく日もあるだろう。

なかなか本音を言える相手がいないのは、気を許せないのだ。
人を信用していないかもしれないのは、臆病になっているだけかもしれない。
ひょっとすると、こころ深くに
人を信じて傷ついたトラウマに苦しんでいるかもしれない。

傷つかないよう、生きる術として
自ら、いくつもの自分を作り出し、鎧だらけで生きているかもしれない。

そして、ますます本当の自分がわからなくなっていく。
今の自分に、居場所やいる意味があるのかと悩み、更にそこへ、臆病や保守性が加速、孤立してしまうことになりかねない。

人生は、悩みの連続でもあるし、
自問自答の連続でもある。
自分なりの
答えを導き出しながら生きている。

いくつもの自分があることは
感性豊かに過ごして生きているということ。
感性豊かであれば当然、様々な感情が生まれる、そして悩む。
大事な個性だ。個性との付き合い方を知ればいい。
まずはその個性を受け止める訓練をしてみよう。
自分のがんばりや不甲斐なさもそのまま受け入れてほしい。

自分がいる意味はないなんて
言わないでほしい。
あなたが今気がついてないだけ、
あなたが今見えてないだけ、
誰でも持ち味という魅力がある、
あなたにもある、他の人には見えている

自分の居場所、いる意味に答えが見つからなくなるのは、ただ霧に包まれる季節にいるだけ。積み上げた努力は誰かは見ているし、人に話す勇気がないのなら自分自身へ声をかけてほしい。
恥ずかしければ小さな声でいい、寝る前、起きたとき。どんなときでもいい。
「〇〇、いつもありがとう、頑張ってるね」と。
ぜひ
自分を勇気づけるいつもの励ましの言葉を繰り返し、声色を変えながら、心地よい声かけを見つけて、語りかけてほしい。

居場所は、きっと近くに意外なところにある。もう一度足元をしっかりと踏みしめ前に進み、積み重ねて行けばいい。

自分の居場所、自分のいる意味は、今のありのままの自分の感情や吹き出してくる苦しみをそのままもう一人の自分が受け止め、受け入れること。
感情や苦しみの種を冷静に暗闇の中から見つけ出すこと、でもある。

周りに気を向けすぎて、自分をなくさないように、自分を取り戻す、向き合う、癒やす、励ますこと。
忙しい毎日の中であっても、そんな時間を作ってほしい。

霧はいつかは消える。
そしていつか晴れる。
周りの景色も違って見える。

明日はきっといい日になる。

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