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【読書記録】鹿の王

今回は、上橋菜穂子さんの "鹿の王" です。
壮大で繊細。ミクロとマクロ。一個人が生きるということと死ぬということ、大きな規模で子孫を残していくことや、自然と共存するということについて考えさせられる。読んでいてめちゃくちゃエネルギーを使う。

この本への記憶

これは私が大学受験の時に、二次試験が終わったら読むぞ、と決めていた本である。受験生の冬、全娯楽を封印し勉強していた私が、終わったら読む、終わったら読む、どんなに試験がひどい出来でも終われば鹿の王を読める、出来ればひどい気分で読みたくないから頑張って勉強する、と、唱えていた作品。
二次試験が終わった翌日、朝から高校の図書館にこもって読んだ (高3の冬は自由登校で、図書室は常時解放されていた)。没頭も没頭し、すべてを忘れて読んだ。読み終わって現実と向き合うのが怖かった (結局合格発表までの日々は他にもひたすら本を読みまくった記憶)。

 改めて読んで

上橋菜穂子さんのファンタジーはやっぱり重厚感がすっっごくて、一つの物語を読んでるのに本当にあった歴史を直近で見ているような気持ちになる。何がすごいって、統治者などの権力を持つ人間の、いろんな意図が絡み合って、各々にしか見えていない真実があったりして、誰がどの情報を握っているのかすらもはや把握できないくらいにいろんな意思が交錯する中で、大きな物語としての伏線がどんどん回収されていく感覚。この感覚にいつも圧倒される。

ただ、その壮大な物語の渦の中で私をひきつけるのは、その大きな世界の中で生きる、普通の人の暮らし。
大きな力に逆らうことが出来ずに恨みや諦めを抱え、それでも日々をなんとか生活しているような人たちがいること。そこにある ”生活” の匂いがちゃんとすること。衣服や食べ物、建物などの描写が丁寧である、人が暮らしている場所には、それぞれそこに "文化" がある。そういった細やかな描写が、より物語を私に近いものにし、私を物語へと引っ張り込んでくれる要素になる。 

それに加えて、魅力的なのが、皆が (たとえ一国の王であろうとも)、人間らしい弱さを抱えているのが見えること。
全員に自分の正しさがあり、大切なものがあり、それに対する順位がある。ヴァンにはヴァンの、ユナにはユナの、オーファンにはオーファンの、サエにはサエの、ホッサルにはホッサルの、那多瑠には那多瑠の (キリがないので以下略、略された人たち、すみません)、譲れないものがある。
だから「ああ、なんてことを…」って思ってしまう出来事が起きて、もどかしくなることはあっても、読んでいる私には、誰も糾弾することが出来ない。

上橋さんの作品を読んでいると、人間はいろんなものを操っているように見えて、でも実は途方もない大きな自然の一部でしかないというような、世界からすれば取るに足らない、と言えばいいのかな、他の動物となんら変わらない存在、とまではいかなくも、人間がいろんなことをなんとかできると思っているのは傲慢でしかないんだ、という感覚を覚える。

1個体としての私の人生ってなんなんだろう。

上橋菜穂子さんの物語は、嫌な感じというか、逆らえない大きな力みたいなもので、人が死ぬ。それが少し苦手だ、そう言っている人がいた。
その言い分に、私はとても納得した。でも同時に、私には真理なのだと思える、それが。

1個体として見ると、死ってすごく理不尽で、そう考えると生そのものも理不尽なんではないか。だって生きていれば早かれ遅かれ死ぬわけで、死ぬのは生があったからこそそう認識されるわけだから。生と死は常に一緒にあるものだから。 

生きている中で起きる理不尽は、私自身の捉え方でなんとかなったりならなかったりするけど、死ぬことに関しては本当に私たちの手では届きようのないところにある、と思う。生を与えられた時点で、人生なんて理不尽なのかもね、とすら思うこともある。

同時に、人間という種を基準に考えるならば、生きてるかぎり何かしらに貢献せねばならないのではないか、という気持ちになる。
本来子孫を残していくのが生物的本能であるはずだけれど、いま人間として生きているなかでの幸せは、それと必ずしも対応しているわけじゃない気がする。色んな人生がある。いろんな人がいる。
たとえ私が結婚して子供を産んで、それが幾代かは続いたとして、でもその先人類は滅びるかもしれない。だったら、私が生きていることって何の意味があるのだろうか。堂々巡り。

結局考えたって仕方がないから、自分の人生を楽しむことが私に一番可能で、でもそれなりに難しくて、頑張るべきなのかもしれないな、なんてありきたりな割り切り方で、堂々巡りの思考に終止符を打つ。

映画も観ました。

こんなにも複雑に絡み合った作品を映像にするのは、どんなに難しいだろうと思いながら。上橋菜穂子さんの作品は、いろんな視点から、いろんな人の思惑を見ながら進んでいく物語だから。常に第三者であり続ける映像という媒体で、どんなふうに伝えるんだろう、と、興味津々だった。
原作を読まずに見た人に、どれくらい伝わるのかは分からなかった。けれど観終わって、それぞれの登場人物に思いを巡らせてみると、とても原作に忠実なのではないかという気がした。色んな声があったけれど、私の中ではそういう意味で、素敵だった。

今回はここまでです。読んでくださった方ありがとうございます。
鹿の王というより、上橋菜穂子さんの作品に対する感想みたいになってますが。
昨日ついに秋の花粉の訪れを感じてしまい、少し嫌な感じです。まだこんなにも暑いのに。みなさまもどうぞご自愛ください。

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