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【読書記録】名もなき毒


今回は、宮部みゆきさんの、"名もなき毒" です。

ドラマ化もされた杉村三郎シリーズの2作目です。私はこの作品しか今まだ読んでいませんが。

読む前に

宮部みゆきさんの作品は、あまりたくさん読んでいない。なぜなら、私が苦手とするジャンルがメインだから (ミステリ系)。ただ、ミステリやサスペンスがメインのわりに、私としては読みやすい印象がある。それなのになぜあまり読んだことが無いのかというと、恐らくボリューミーなのが多いからだと思う。休憩しながら読むと結局最初の方を忘れてしまい、よく分からなくなる、という事象が生じる。完全に私の記憶力の問題。

初めて読んで

毒。か。人知れず生み出してしまっている、毒。私もどこかで生み出しているのかもしれない。私の中にも存在してるのであろう毒。

突然なんですがちょっと、自分の話していいですか。というかさせてください。

数日前、自分の杜撰さが仕事に影響し、とてつもなく後悔する出来事があった。私お得意のまあいっか精神が生んだ問題だったのに、その問題が解決してからもその後悔をまあいっかに変換することができず、しばらくうじうじとネガティブの沼に沈んでいた (というかまだ完全回復はしてない)。

少し自分語りになってしまうが、私は昔、潔癖で、完璧主義で、色んなものが許せない子供だった。何にイライラしているのかもわからずに怒っていた。他人に対する怒りよりも、自分が、自分の中で設定されている理想に届かない、というようなことにとりわけ怒っていた。
その分努力したおかげで出来るようになったこともあるから、一概に悪いことだとは言えないのだけれど、今思い出すとわりとしんどかったと思う。親としても育てづらい子供だったと思う。

人生のどの段階だっただろうか、それが、だんだんと ”まあいっか” と思えるようになった。完璧な人間なんていないと気が付いたからかもしれないし、完璧であろうとすることに疲れてしまったからかもしれない。このままでは生きづらいということに、そして完璧でなくても認めてもらえる、好いてもらえるんだということにも、気づいたのだと思う。
そして、一度手にした “まあいっか” は、私の中の支えになり、栄養になった。でもゆき過ぎたまあいっかはいつしか無責任さとなり、先の後悔を生んでしまった。

完璧でなければ気が済まなかった頃、その思考そのものが、あの頃の私の魅力であり、個性であり、毒でもあったと思う。
まあいっかにすくわれた私は、まあいっかに蝕まれてもいるのだと思う。
恐らく人の性質というのは、諸刃の剣なのだろう。
いい塩梅、というのは本当に難しい。

身のまわりに潜む毒

私の話はさておき。
この物語の毒は、自分自身の中から勝手に生まれてくるものというより、世間の中に生み出され、だれかを蝕んでいくものだと思う。だからといって世間というものが悪、というわけではない。そんな単純ではなくて、個々人の性質や環境に、世間というものが過剰に、もしくは歪んで、作用して、毒となってしまったもの。

“こういう風に見られたい”、“私に気づいてほしい”という、誰にでも多少はある当たり前の想いが、自らも周りも蝕んでいってしまうこと。逃れようのない日々の中で、気づかぬうちに侵食され、痛みや恐怖を伴うものとなって初めて気が付くこと。

その人の立場に立ってみなければ分からないことって、本当にたくさんある。

こうありたい、という気持ちは、あっていいものだと思う。自分の置かれている理不尽に疑問を持つことも、必要だと思う。みんな間違っているような気もするし、みんな正しいような気もする。

生死を握ることが、結局一番強い

これは私も少し感じることがある。例えば突然訳も分からずナイフを突きつけられたら。これまで私が培ってきた何物も、役には立たないだろう。いつも口にしているものの中に、ある時毒が混入されていたら。私はあらがう術を持たずにその毒を体内に取り入れてしまうのだろう。

秩序というものが生み出され守られているから、今私は生きていられるのであって、その秩序が永遠に保たれる保証はない。いつ崩れ落ちてもおかしくない均衡に、私は守られているに過ぎない。そういうことを、再度認識した。

みんなで決めたルールをもってして、もしくは決まっていなくとも共通の認識とされていることをベースとして動いているこの世界で、それを全く無視することができたら。恐らく脅威の存在となりうるのだと思う。
起こる可能性はなくはないけれど、”普通は”起こらない、と思ってしまっていることって、思っているより多いのだと思う。人の行為に限らず、天災などもそう。

そして、そんな可能性全部に目を向けていたら怖くて生きてゆかれない。

この作品は、物語は物語なんだけども、読み終わった後、いつもより自分ごとに引き寄せて考えた。
この世界に出てくる人たちが、自分の感覚と近いところで生活しているような印象を受けるからだろうか。同じ”普通”の基準の上にいるような。
コンビニで買った飲み物が。会社で入れたコーヒーが。たまたま同僚になった人が。婚約者となった人の兄弟が。どれも自分の周りで起きうること。平々凡々な日々を送っている私でも、遭遇しうるようなこと。だからかもしれない。

読み終わった後はそういうことを考えた私ですが、結局のほほんと、昨日と変わらない今日だと信じて日々を送っているのですけれども。
昔は苦手だったな。そういうの。星新一さんのショートショートを読んだ日なんかは、今にも宇宙人が侵略してくるんじゃないかとおびえて全然寝られなかった。

本日はここまでです。読んでくださった方ありがとうございます。
三連休の人もそうでない人も、良い一日をお過ごしください。
あと熱中症にはお気をつけて。


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