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【日記】同級生の結婚式に出席しました。

今日は大学時代に部活で同期だった女性が結婚するとのことで、結婚式に出席してきました。
とても楽しかったです。

今回は思ったことは以下のようなことです。

① 結婚すると女性はお姫様になれるんだなと思いました。お色直し後のドレス姿があまりに綺麗で「お姫様」すぎたためそう思いました。ティアラにドレス、幸せそうな微笑み、どれをとってもお姫様みたいでした。

② 結婚することは親にとって嬉しいことなのかもしれないと改めて思いました。そうするとやはり結婚することは親孝行なことなのかもしれないと思いました。
(特に私の場合、母は明確に子の結婚を望んでいるので、私たち兄弟が結婚すれば喜ぶと思われます。また、父も家系の繁栄を望んでいそうなので、私たちが結婚すれば喜んでくれると思います。あと両親は結婚することで私たちがより幸せになるだろうと考え、そういう意味でも私たちの結婚を喜ぶと思われます)。

③ もし自分が結婚式を挙げるなら、今回の新婦同様、私も家族に対する感謝のお手紙を読み上げたいなと思いました。私は両親だけでなく兄弟に対しても感謝を伝えたいなと思いました。
私がいかに幸せな家庭で育ったか、そのことがどれだけ私の人生を幸福なものにし続けているかについて、家族に対して感謝を真っ直ぐに伝えたいなと思いました。(そういうことを考えてたこともありめっちゃ泣いていました)。
両親に対しては何かと感謝の念を抱いているので、正式に感謝を伝える場を設けるという意味でも、ぜひ結婚式は開きたいものだなと思いました。

④ 久しぶりに大学時代の仲間たちと会えて本当に楽しかったです。結婚式自体も素晴らしかったですが、大学時代の仲間たちが再び集合する機会を作ってくれたという意味でも、結婚式招待には心から感謝したいです。

⑤ 自分も恋人なり婚約者なりができたら嬉しいなと思いますが、おそらくお互いに警戒心や怯えの心理があるなかで、どうやってお互いに信頼関係を築いていけばいいのか私にはよくわかりません。

直接的な当てもない中で、「いつか特別大切にしたい人ができたら末永く大切にしたいものだ」という覚悟だけを勝手に自分の中で高めているような毎日です。

とりあえず素敵な出会いがあればいいですね。ということでこれからもいろんな人に会って楽しく過ごつつ、仕事することで人間として大きくなっていけたらいいかなくらいのスタンスでいます。

もし大切にしたい人が現れたときのためにも、とりあえず人間として多面的に成長しておきたいものです。

⑥ それにしても今日出席した結婚式の新郎新婦は素敵なカップルでした。お互いに愛し合っている感じがビンビン伝わってきましたね。
愛情や祝福といった好意的な感情で満ちた空間で過ごせて非常にハッピーでした。

彼女らは「結婚」という生半可な気持ちでは踏み切れなさそうな決断を行い、それを公に示すことで後には引けない状況になったわけです。そんな思い切った決断をすることが可能になる程度には、お二人の信頼関係と経済状況、社会的地位が十分確立されていたのでしょう。そしてそこに至るまでに、新郎新婦それぞれが人生の各段階(小中高大…)で様々な経験を積み、努力を重ねてきていたのです。私から見える一面としては、新婦は大学時代に1ヶ月間海外留学したり、1年半くらい公務員試験の勉強をめちゃくちゃがんばっていたのを覚えています。そうした過程あってこその、職場恋愛からの双方公務員結婚ですよ。強い人生に見えますね。
親が与えてくれた環境で子が精一杯がんばり、子がそれなりに望ましい状態で社会に出て、それから新しいパートナーを見つけ、それを親やその他関係者たちに報告してくれたのです。
(もちろん新郎新婦には見えない苦労や困難がたくさんあったのかもしれませんが)、ひとまず結婚までの道のりをこういう風にまとめてみると、すごく人生がうまくいっているように見えますね。
新郎新婦の人生を振り返るムービーなどもありましたが、私の目からはお二人の人生が幸福に満ちたものに見えました。自分の人生に対してそう思える瞬間が一度でも多くあると嬉しいですよね。

⑦ 新婦が両親に対して読み上げた手紙の締めの言葉として、次のようなメッセージがありました。
私はお父さんとお母さんのもとに、○○○○(本名)として生まれて来られて幸せでした」と。
これは本当に胸にグッと来ました。
(実際に親になったことがないのでわかりませんが)、これは親にとってこれ以上ないくらい嬉しい言葉のひとつなのではないでしょうか。

私は(名字を含む)○○○○として生まれて来られてよかった」という言葉は、「(端的に)自分の人生」、また「この両親の子としての自分の人生」、その両方ともをまとめて強く肯定する言葉だと思います。
「私の人生の門出」、そして「両親に育てられたこの私の人生の門出」、両方に対する強い肯定です。
(子の)結婚は、「自分のライフストーリー」という枠組みの中でも大きなイベントですし、同時に「親による子育て」という枠組みの中でも大きなイベントです。その両方に対する強い肯定を感じるんですよね。胸が熱くなります。

⑧ 「私はお父さんとお母さんのもとに、○○○○として生まれて来られて幸せでした」といったメッセージに関して語りたいことがまだあります。
私は大学(院)時代、哲学科で「人の同一性(Personal Identity)」について研究していました。これは「ある人を他ならないその人にする中核的要素とは何か」を探求する分野だと言うことが(ひとつには)できます。つまり、これは「人の本質」について探求する分野でもあるわけです。
その研究過程で、一度「魂」概念についてまとめたことがあります。
私は「魂」が実際に存在するとは思っていませんが、私たちがなぜ「魂」のような概念を用いて自分たちのことを把握しがちであるのかについてはよく掘り下げた方がいいと考えていました。そこから重要な洞察が引き出せるのではないかと思っていたのです。言い換えると、「魂」概念を掘り下げることで、私たちは私たち自身のことをどのような存在として理解しがちであるのかを引き出すことができると考えていたのです。
そして、結論から申し上げると、私が「魂」概念と関連させながら導き出した、重要だと思われる人間の自己理解は次のものです。すなわち、私たちは、私たち自身について「他の仕方で誕生することもありえたようなもの」として捉える傾向にある、と。
例えば、以下のような思考はごく自然なありふれたものだと思います。
「私は他の親から生まれていたかもしれない」
「私は他の時代に生まれていたかもしれない」
「私は他の土地(国)に生まれていたかもしれない」
「私は今とは違う身体特徴や体質をもって生まれていたかもしれない」など。
そして、このような自己理解と「魂」概念は非常に相性がよいのです。
よくある「魂」概念を用いた自己理解は次のようなものだと思われます。すなわち、"自分が生まれる前から非物質的核であるところの「魂」が時空を超越して存在しており、それが特定の時代、特定の場所、特定の親のもとに宿り、特定の身体を伴って誕生してきた。そして自分の身体が死亡すれば、またその「魂」はどこかへ去り行く…"という捉え方です。これは私たちにとってそこまで不自然な捉え方ではないと思います。(少なくとも何を言っているのか自然にイメージできます)。
逆に、魂など存在せず、ただそこに存在しているのは、「特定の受精卵から分裂して大きくなった身体と、そこで生成消滅を繰り返し続けている意識と感覚」だけである、といった自己理解に基づくと、「私は他の仕方で誕生することもありえた」という思考をするのが難しくなる気がします。(ただ本当にそうした思考が難しくなるのかは要検討ですが…)。

そして、「私は他の仕方で誕生することもありえた」という自己理解は、様々な倫理観や苦悩の根っこのところで重要な働きをしているのではないかと私は考えたのです。
「生まれもった人種や身体特徴を理由に不遇な扱いをするのはよくない」だとか、「生まれの偶然性で人生がずっと縛り付けられるのはいやなことだ。生まれた土地や家系に左右されず、人生では当人のやりたいことを追求する自由があった方が望ましい(そのタイプの自由を社会は保証すべきだ)」など。あとは、「違う親のもとに生まれていればよかったのにな」、「違う体質で生まれていればよかったのにな」など。
こうした倫理観や悩み事が可能であるためには、「私たちは他の仕方で誕生することもありえた」という発想が根本的・決定的な働きをしているのではないか、と思ったのです。
ただ、残念ながら私は、そうした倫理観や苦悩の根本に必ずしも「私は他の仕方で誕生することもありえた」という自己理解が必要なのかについて、いまいちよい根拠を提示することができていません。

そして私は、「人間が自分たちのことを『他の仕方で誕生することもありえた』ようなものとして理解しがちであるということには、何か重要な洞察の源泉が潜んでいる気がしてならないんだけどな…」という思いを抱えつつも、それをはっきりと示すことができないままに大学院を修了し、研究を中断し、社会人生活を送っています。

(なお、修士論文は少し異なるテーマで書きました。修論の内容はnoteにまとめていますのでもしご興味あればぜひご一読ください)。

⑨ こうした背景があり、私は「人間が他の仕方で誕生することもありえた」という思考に対して少しだけ敏感だったりします。
だから、私は今日の結婚式で新婦が「私は○○○○として生まれて来られて幸せでした」みたいなことを語ったとき、もしかすると人一倍感動していたかもしれません。(もちろん多くの人がここで大きく感動していましたが)。
いくらでも「他の親のもとに生まれていれば」という思考が可能なはずの人間として生まれておいて、「私は自分が他ならないこの親のもとに誕生したことを喜ばしく思い、強く肯定する」というメッセージを放つことは、かなりの程度祝福された人生を歩んでいる人でないとできないことだと思うのです。
だからこそ、あえてそう言ってのけた新婦(私の部活の同期)には痺れましたね。そこまで自分の人生を肯定できるのかこの結婚真っ只中の新婦さんは、と思いました。

⑩ 『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画に次のシーンがあります。

新婦はおそらく人生の各所で様々な勇気の一歩を踏み出してきたことで、ここまで強く人生讃歌を歌い上げることのできる境地に至ったのでしょう。
今日、幸福と祝福に満ちていた彼女に憧れて、私も人生の要所要所で勇気を出していきたいなとしみじみ思いました。

おわり

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