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26歳、人生の岐路に立つ。-仕事を辞めて気づいたことー

つまるところ、再出発というもの

26歳。
20代半ば、数ヶ月前に大学を卒業してから働いていた職場を、辞めた。辞めることに迷いはなく、辞めて後悔したこともない。

23歳から26歳まで。たった3年間、されど3年間。色々な人と出会えたし、経験出来たと思う。ありきたりだけど、成長できた3年間といえる。

私の、仕事。


私がしていた仕事は「コミュニケーションの専門家」とも言われる「言語聴覚士」というお仕事。脳卒中後の後遺症である言語障害や、飲み込みの障害に対してリハビリを行っていく。
他にも聴覚障害に対して、発達障害に対して、対象や仕事内容は様々。

とても素敵な仕事で、やりがいもある。
学生の頃、先生に言われた言葉を常に胸に留めていた。
「言語聴覚士は人の尊厳を守る仕事」
「病院は人生の交差点、病気で今までの日常がガラッと変わる人も居る所。
その道筋を立てることが出来る仕事。」
勉強は嫌いだけど、目の前の人の為と思うとたくさん吸収しなくてはと思っていた。

やめた理由

私には、自分の決めた判断軸がある。
それは明確で、私の人生の選択は全てその判断軸に委ねてきた。
「10年前、10年後の自分が今の自分を見てどう思うか。」
今後の自分を設計し、作り上げていくことができるのは自分しかいない
から、自分のことを好きでいる為に、私は常に考えるようにしていた。

せわしなく時間に追われ、人と向き合う仕事なのにいつのまにか人が嫌いになっていた。イライラして、人を思いやる気持ちもなく、この仕事が嫌いになりそうだった。

職場ではご飯が喉を通らず、帰り道、ふと涙が出てきた。
何か大きな出来事があった訳ではない。人間関係は良好で、優しい人の多い場所だった。そうやって、あと少しあと少し、と言い聞かせていた。

けれど、ふとある日。いつもの様に尋ねてみた、自分自身に。
「10年前、10年後の自分が今の自分を見てどう思うか。」

10年前の16歳の私も、10年後の36歳の私も、今の自分を好きになれそうにはなかった。
辞める決断はシンプルなものだった。

仕事を辞めて気づいたこと

まず、朝が心地いい。
以前は通勤に1時間弱かかっていたから、朝から憂鬱だったけれど起きた瞬間から自由であることがこんなに幸せだと思わなかった。
息を吸い込んで、吐いて、太陽の陽を浴びて。以前と同じことをしているはずなのに、時間の余裕が心の余裕に直結しているんだと感じる。

そして、世界は知らないことで溢れている。
今までニュースを沢山見ない生活だった。ネットニュースをざっと見て、なんとなく知ったつもりでいただけ。時間がなかったから、とかではなく暗く辛いニュースは、疲れた心に大きなダメージを与えるから。意識的に見ないようにしていた。
今は色々なことを知りたいと思う。誰かの辛い出来事も悲しみも知りたいと思う。沢山の問題ががんじがらめで、私が知ったところで何一つ変わらないことは重々承知だけれど、それでも「無関心」よりいくらかマシだ。

結局、人が好きだということ。
あんなにも仕事に行きたくなくて、人と会うのも億劫で、次就く仕事は人と関わらない仕事がいいと思っていたけれど、思い出すのは3年間で関わった患者さんの顔ばかり。あの人元気かな、仕事に復帰したのかしらとか。相手は覚えていないであろう程度の関わりであったとしても、どうか幸せにいてほしいと願っている。

どうする、私。

昔、選択肢が書かれた3枚のカードを持って、次の行動を悩むみたいなテレビCMがあった気がする。
今の私はまさにその状態。どこへでも行けるし、何でも出来る。いや、世間はそんなに甘くないとは思うけれども、でも私の選択は自由だ。
「どんな生き方をしよう。」
「どうやって生きていきたいか。」

しっかりと自分と対話して、ありふれた一般的な価値観に左右されないで、私の生き方を模索中である。

ここ、今、私は26歳。人生の岐路に立っているのかもしれない。



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