わたしが子どものころ、出会いたかった大人になる。
年々歳を取るたびに感じていることは、毎年生きるハードルが低くなっているということ。毎年行動の自由度がレベルアップしてきていて、小さかったときに比べると色々な理不尽に付き合わなくても良くなっているし、うまく受け流す方法もわかってきた。
子どもの時に覚えた生きづらさは思い返してみると、周りの大人によって作られていたように思うことが多い。それは、自分が未熟ゆえのアドバイスだったり、指導だったりする。でも、自分周りの大人の一方的な推奨は、必ずしも正しくもない。大人というのは、子どもの人生の責任なんて取れやしないのに、なぜあんなにも自分の正義を言い切ってしまうのだろう。
投影同一視(Projective Identification)という現象がある。自分の中にある感情や振る舞いを一方的に他者に投影し、その投影を他者の中に探したり、体現するよう期待する行為。身近な関係にある人同士でよく見られる、いわゆる「他人に期待し、要求してしまう」ような行為のこと。※
口を出したくなってしまう大人の気持ちもわからなくもない。でも、無自覚にもその気持ちを投影してしまっては、要求・司令のように伝わってしまう。こういった投影は意識しないことには、回避が難しい。この原因としては、子どもを個人として意識的に認識し、接する事ができないと、起こってしまうのではないと思う。
もちろん、投影・思いを受け取る側の話もすると、そもそも受け取る側の心の余裕の問題とかもある。投影された気持ちや思いに負けて、その投影を取り込んでしまうのももったいない。
小さいときって、一番親にどうして欲しかったか思い返すと、私を納得させて欲しかったという記憶を思い出す。両親のほうが知見があるのは、子どもながらにわかってた。でも、私の主張を聞いた上でなぜそれが理想的なのかを、教えて欲しかった。もちろん、そんなことを要求することもすごく贅沢なことなんだけど、聞く姿勢をもった大人に私はもっと早く出会いたかったなと思うこの頃。
※心理学の専門家ではないので、大まかな説明です。
参考:
https://www.pep-web.org/document.php?id=IJP.060.0357A
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