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「休憩」で息継ぎをする


昨日、“あの人”と会った。

初めて我儘を言った日を入れて、四回目だった。


最初の日、私をはじめて組み敷いたとき、こちらをじっと見ながら「なにがあったの」とその人は聞いた。何も言えなくてただ目を見返すことしかできなかった私を見て、「今そういう話するのは違うか。ごめんな」と頬を撫でてくれた。そしてそのまま、ただただ熱をぶつけ合った。それ以来、私になにがあったかとか今付き合ってる人はいるのかとか仕事の詳しい内容とか一人暮らしなのかとか聞いてくることは一切なくて、ただ毎日だらりと、好きな漫画の話とか、好きな食べものの話とか、今日の仕事はハードだったとか、ほっぺたつねりたいとか、いやだとか、生意気とか、次会ったらどうしてほしい?とか、なんかスタンダードなのがいいとか、なにそれとか、一時間くらいただぎゅってするだけとかとか、なにそれ超ピュアじゃんとか、おつかれさまとか、おはようとかを緑の吹き出しに閉じ込めて送りあっていた。


ひさしぶりに会ったその人は、ホテルの部屋に入ると立ったまま私を抱きしめた。背が高いから、鼻が鎖骨のあたりにごつんとぶつかって痛い。彼は私と背が同じくらいで、ハグをするときはいつもお互いの顎がお互いの肩に乗っていた。それに慣れてしまっていたから収まりどころがわからなくてもぞもぞしていると、ぎゅうと頭を押さえつけられて、撫でられた。鼻がつぶれる、などとぽつりぽつりと話しながらしばらくの時間そうしていて、一体今日はどうしたのだろうと考えだしたとき、自分が吹き出しに閉じ込めた言葉を思い出した。ああ、「ただぎゅって」してくれてるのか。

付き合ってもないのに、どうせこれからピュアじゃないことをするのに、律儀に私のリクエストを遂行してくれるそのひとがなんだかかわいくて、この状況がおもしろくて、とくりと心臓が動く。ふふ、と笑うとその人のたばこと汗の匂いがして、それを感じたとき、急に「罪悪感」のようなものが押し寄せてきた。


一体、なにに対する罪悪感なんだろう。

わからなくて、「とりあえずシャワーを浴びよう」と言って体を離した。


そうして私たちは結局ピュアじゃなくなって、ベッドの上に転がっていた。部屋に入ってからほぼずっとお互いに触れている。でも心には一切触れず、ただただ汗だくで「休憩」を終えるのだ。そう思っていた。なのに、その日のその人は、ゆるゆると私のなかに熱を埋めながら唐突に

「最初に会った日さあ、彼氏かなんかと、なんかあったろ」

と言った。


急に来た“そういう話”に驚いて顔を見ると、とてもわるいかおをして笑っていた。


「なんかあって、そんで、もうやだーってなって、俺のこと呼んだろ」

「…」

「な。」

「……怒らない?」

「怒らない」


目をみたまま頷くと、目の前の人は心底楽しそうに「やっぱな」と言って、くしゃりと顔を歪めて笑った。


いつからわかってたの、と聞くと「うーん、なんとなく最初からなんかあったんだろうなとは思ったよね」と。

「さっき言ったようなこと考えながら乗っかってくれたの?」「だってもうあの日しかないと思ったから」「やさしいね」「優しくはないでしょ、下心あったもん」「そうかな」「そうだよ」「なにかあったのはあったけど、もう彼氏じゃなくなった人とだったよ。」「ふうん。いくつの人?」「あなたより年上、私の九個上。」「なにそれ犯罪じゃん。」「はは」「エッチした?」「それは…だって三年付き合ってたから」「へえ。よかった?」「ううん、今のほうが気持ちいい。」「ったりめーだろおじさんなめんなよ。」


その人は31歳だけど、自分のことをおじさんと言う。彼は、その人より年上だけれど、一度も自分のことをおじさんとは言わなかった。私がふざけて言おうものならちょっとしょげていた。

目の前に別のひとがいるのに、自分のなかに別の熱があるのに、私はやっぱり彼のことを考えてしまう。完全にスイッチの切り替えができなくなって思考停止した私を、その人は突き上げる。う、と声が漏れたけれど心は完全にここに在らずだった。

それはたぶん、その人に伝わってしまったのだと思う。がり、と結構な強さで鎖骨を噛まれた。怒っているのかと思ったら、その人はやっぱりとても楽しそうに「燃えるねえ」と笑った。思わずつられて笑ってしまって、今度は唇に噛みつかれて、そこから先はずっとその人の背中にしがみついていた。


この人といると、呼吸がしやすい。


さっき私が抱いた罪悪感は、無意識に抱いていたこの感覚だったのだと思う。彼といて呼吸がしやすいなんて思ったことは一度もなかった。つまり、いままでずっと息を詰めていたのだと思う。それが、別れてからなのか付き合っていたころからだったのかわからないから、それが彼に対する罪悪感を生み出していた。わたし、ぜんぜん、曝け出して向き合えていなかったんだなあ。


帰りの車で、私は私の仕事や、私のことを話した。嘘偽りなく。あの人も、自分の仕事と、自分のことを話した。休みの日、なにをしているか。昔なにが好きで、なにを諦めてなにを諦めきれないのか。私の家の最寄り駅に着くまで、ずっと話をしていた。

自分のことを偽らないのは、こんなにも楽なことなんだ。お互いのだめな部分を笑いあって受け入れることはこんなに心地がいいことなんだ。

家につき、鏡をみると鎖骨の上に痣ができていた。指でなぞりながら目線を下に落とせば、そこには彼の歯ブラシが置いてある。喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。まだ、時間はある。今からでも、曝け出してみよう。どうせだめになるなら、向き合って、曝け出して、だめになろう。


私は、もう少し、この部屋で潜る。5時間の「休憩」が酸素をくれている。






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