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「スポットライトに照らされて」 8 (全17話)

 新学期、夏休みに会わなかっただけなのに、女子はみんな大人っぽくなっていて驚いた。男子も妙に背の高いやつが何人もいる。気温が高いとヒトもよく育つのか。
 玲奈は葵の情報通りに彼氏と別れていた。なんでも花火大会で喧嘩したらしいが、その程度で別れるものなのか、経験のない私にはわからない。麻利亜は興味深そうに質問していたが。

 ホームルームでは文化祭の出し物が議題に挙がっていた。案として出されたものが黒板に書かれている。カフェ、お化け屋敷、迷路。やっぱりそんなものしか思い浮かばない。あまり大変じゃなくて、盛り上がれるものならなんでもいい。ステージに立てない文化祭に興味はないし。
 担任である古賀先生は興味がないのか、教室の前の窓際に座ってぼんやり外を眺めている。

 挙がっている三つの中で意見が割れる。みんな、先輩やらお兄さんお姉さんやら他校の知り合いから聞いたという情報を挙げていく。
 お化け屋敷と迷路は準備がものすごく大変だそうだ。いろいろ作らなくちゃならないから、かなり人手と時間がいるらしい。そのくせ、当日はお化け役以外の人は結構暇で疲れる割に盛り上がらないとの意見も出る。最悪じゃん。
 カフェはそもそも権利が得られるかどうかにかかっている。飲食と販売は審査を通ったうえで抽選という激戦部門なのだ。

「他に意見はありませんか?」

 入江の声がむなしく響く。もとい、騒がしさに紛れて響きもしない。
 もうこうなると、みんな発言どころではなく、議事進行をしている学級委員がなんとかしてくれるだろうと、関係のないおしゃべりに花が咲く。私だっておしゃべりはしないものの、誰か早く終わらせてくれないだろうかと完全に他力本願の域に達している。
 古賀先生なんか目を閉じちゃって、あれは確実に夢の中だな。

「ちょっと聞きたいんだけど」

 突然、葵が電車の時刻表を囲んでいるグループに声をかける。時刻表って、冊子のやつね。すっかり脳内旅行に出かけていたらしい彼らは怯えた顔で葵を見る。

「SLの音とかって持っている?」

 いったいなに? クラス中がそう思ったに違いない。教室が静まりかえる。

「それは発車音でしょうか、車中音でしょうか」
「どっちなら持っている?」
「どちらも持っていますが、真岡鉄道 は小型のSLでC一二。一方、秩父鉄道 のSLはやや大きめのC五八ですが、客車の発電機がうるさいかと思います」

 ……なに語? さっぱり通じないんだけど。

「とりあえず、持っているのね。じゃあ、SLの内装に詳しい人は?」
「自分ですね。SLといってもいろいろありますが」
「ああ、とりあえずわかるかどうかだけで」
「どの程度の知識を求められているのかは不明ですが、大概のことは答えられるかと」
「うん、ありがと」

 葵はなにをしたいのだろう。

「次は……リコーダー以外の楽器使える人、手を挙げて。上手下手は関係なく」

 クラスの半分ほどが手を挙げる。みんなそんなに楽器できるの? 私なんてまさにリコーダーだけだよ。

「その中で、大きい楽器の人は手を下して。ピアノとかドラムとか持ち運べない大きさの物ね」

 残ったのは、六人。葵は満足そうに頷く。

「はい、次は――」

 まだあるのか。けれど、みんな、うんざりというよりはなにが起こるのか興味深々の様子。次はもしかしたら自分が手を挙げることになるかもしれない、と身構えているのだろう。
 葵は次々と該当する人たちに手を上げさせていく。その分類に統一性は見いだせない。
 工作や木工の得意な人、裁縫の得意な人、イラストの得意な人……。この辺りで「あれ?」と思ったのはたぶん私だけだろう。

「……そして、最後に。演技の経験のある人」

 恐る恐る手を挙げる。みんなの視線が突き刺さる。
 演劇をやっている人は緊張しないと思われているけれど、そうじゃない。授業とかで当てられれば耳まで赤くなるし、幕が開く直前だって心臓がバクバクしている。それに、自主的に見せるのは平気でも、自分の意志と関係なく見られるのはやはり苦手だ。演劇部員は実は結構みんな内弁慶なんだ。

「うん。結構結構」

 葵は腰に手をやり、何度も頷く。

「劇はどうでしょう? 演目は『銀河鉄道の夜』」

 ざわつく教室。でも今度の騒がしさは私語じゃない。葵の提案について話し合う声だ。

 たいした演出家だなぁ、と思う。いきなり「劇をやりましょう」では反対されるだろう。それをクラスの大半が自分の得意なことを活かせると示した上での提案。それも該当者を挙手させるという、最初から参加型の説明だったんだ。もし本当にクラスで劇をやることになったら、演出は当然、葵だろう。

 ただ、心配な点もある。

「はい、木内さん」

 挙手した私を入江がさす。

「演技が初めての人はステージからだと声が聞こえないか、台詞が聞き取れないと思うんですけど」
「それは考えました。まず、ステージ使用は申請しません。教室でやります。これはやることになったら、いろいろ理由を説明したいと思います。これで声の問題はクリアになったと思うんだけど、やっぱり、あまりに棒読みの演技じゃお客さんが入らないと思うので、二組の演技経験者にも出てもらいたいと思っています」

 またもやざわつく教室。二組の演技経験者って、美香でしょ? クラスの出し物なのにどういうつもり?

「実は、二組と合同で出し物をやったらどうかって、あっちの学級委員にも話してあるので、今頃うちと同じような話をしているはずです」
「合同ってどういうこと? 一緒に劇をやるってこと?」

 誰かが大きな声で問いかける。

「劇も一緒にやるけど、カフェも一緒にやろうと思って。この企画なら審査を通る自信があります」

 みんなの頭上に「?」が見えるようだ。当然私の上にも。

「二つの教室を銀河鉄道の車内にします。片方は劇、片方は食堂車。劇の世界観のままのカフェを併設して相乗効果をねらいます」

 『銀河鉄道の夜』には鳥の形をしたチョコレートみたいなお菓子が出てくる。そういう作品にちなんだ商品を出すのも面白いだろう。
 教室のドアがノックされて、細く隙間が開いた。入江が近づき、二、三言交わしてドアを閉める。

「二組はこの案でまとまったそうです」

 葵が入江と頷き合い、みんなに向かう。

「さあ、うちのクラスはどうする?」

 葵の手の込んだ演出のせいもあって、決を採るまでもなかった。
 決定に盛り上がる盛大な拍手に、古賀先生が椅子から転げ落ちた。

 劇とカフェの分担はかなり大雑把だった。まとめ役として一組の学級委員が劇を、二組の学級委員がカフェを担当することとし、他は希望する方に参加するというものだ。結果として、劇は一組の生徒と二組の生徒が三対二くらいの割合となり、カフェはその逆となった。一組と二組は普段から体育など合同で受ける授業があるので顔見知りが多い。二クラス合同でやることの障りは特になかった。

 劇とカフェに分かれて初めてのミーティングの時には、劇をやるメンバーは「劇団」、カフェは「食堂車」と呼ばれるようになっていた。

 体育館ステージではなく教室だし、演劇部ではなく初心者の集まりだけれど、文化祭で演劇ができる。葵には感謝してもしきれない。
 けれど、私と美香がお礼を言うと、葵はびっくりした顔をして、次の瞬間にカラカラと笑った。

「やだなー。違う違う。選挙活動の一環だから」
「選挙活動?」
「文化祭の翌週に生徒会役員の選挙があるの。立候補するつもりなんだ。文化祭で大成功収めたらいいアピールになると思わない?」

 したたかだなぁ。

 私たちが一緒になって笑っていると、「でも」と言って笑顔を収める。

「城東学院の『夕鶴』を観なかったら劇をやろうなんて思わなかったかも」

 そうだ。葵もあの劇を観たんだ。瑞希の演技を。葵は演劇部ならみんな瑞希みたいな演技ができると思っているのかもしれない。
 負けられない。
 なにに対してだかわからないけれど、負けられないと強く思う。瑞希の演技にかもしれないし、葵の期待にかもしれない。戦う相手がわからないのに私の中では闘志が沸々と湧いてくる。

「脚本、書いてみたけど、いいのか悪いのかすらわからないよ」

 入江がダブルクリップで留められた紙の束を机に置いた。

「原作にある台詞はそのままにした。というか、台詞の部分を抜き出しただけだよ。ト書きっていうの? あれもよくわからないから、地の文から必要そうなところを抜き出しただけ」
「それでいいんじゃないの? ――どう?」

 葵が出来たての脚本を私の手に乗せた。表紙をめくると、美香が覗き込んできた。
 授業のシーンから始まっている。先生の台詞。答えられないジョバンニ。答えを知っているようなのになぜか答えないカムパネルラ。
 いじめっ子のザネリはいつもジョバンニをからかう。その様子をカムパネルラは気の毒そうに見ている。
 ジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道に乗り、他の乗客たちと会話をしていく。

「ストーリーを追っていくには問題ないんじゃない?」

 私がそう言うと、美香が「でも」と言いかけて口を閉じた。

「なに? 言ってくれてかまわないよ。俺だって、完璧なものができたとは思っていないし」
「もっと変えちゃってもいいのかなって思って」
「変えるって、どういう風に?」
「終わり方とか」

 小説の終わりは、カムパネルラが川で行方不明になったとの知らせを受け、「いろんなことで胸がいっぱいになって」家へ走って帰る。
 小説としては感じるものがあるラストだが、劇としてやるには、それこそ劇的な演出がほしいところではある。

「お姉さんはなんて?」

 葵が訊いた。城東学院演劇部のお姉さんがいることを聞いているらしい。

「姉ちゃんには読ませてないよ」
「そうなの? アドバイスしてくれないの?」

 ああ。やっぱり葵は演劇をやってこなかった人なんだな、と実感する。ちょっとがっかりだけど、まあこんなもんだろう、とも思う。私自身も心のどこかでは本番の仕上がりが全てだと思っている部分もある。その過程がどんなものであろうと、劇の完成度が高いに越したことはない。
 けれど、入江は「わからないなぁ」と呟いた。

「そりゃあ、頼めばいろいろ言ってくれると思うけど、これは俺たちの劇だろ? よりによって他校の演劇部の意見なんか取り入れられるかよ」

 さらりとプライドを見せた言葉に、おおっと周囲で感嘆の声が上がる。入江は「なんだよ、当たり前だろ」と照れ隠しに不機嫌を装っている。

 ……やばい。
 不覚にもカッコイイとか思ってしまった……。

「おっ、脚本できたの?」

 両手をポケットに突っこんで、ヒョコヒョコと弾むように歩いてくるのは、我らが古賀先生。

「どれどれ、見せて見せて」

 脚本を手にした瞬間、私と美香でその脚本の反対側をガシッとつかむ。

「……お?」
「古賀先生、やっとつかまえましたよ」
「センセ、二学期になったら説明してくれる約束ですよねぇ~」

 演劇部が活動休止状態にあった説明をまだ受けていない。ホームルームや現国の授業で教室には現れるものの、その時間を使って問い詰めるわけにもいかない。終了と同時に廊下に出た先生を追いかけるが、妙に逃げ足が速い。放課後だって、部室の鍵を小島先生に預けて自分はどこかに雲隠れしている。

「あれ? 覚えていた?」
「当たり前じゃないですか!」

 他の生徒たちは何事かと静観を決め込んでいる。

「……あ! 俺、なんか用事があった気がする!」

 古賀先生はパッと脚本から手を離した。よろける私たち。その隙に先生は教室を出て行った。

「ああ、もうっ! また逃げられた!」
「……なにごと?」

 葵が訝しげに問う。

「これがまた話すとややこしいんだよね……」

 どこからどう説明すればいいのか見当もつかない。

「演劇部の謎に迫っているところなのでぇーす」

 美香が恐ろしく省略した説明をしたら、みんな「へぇ~そうなんだ」「面白そうだね」と軽い反応。そうなるわな。みんなそれどころではない。脚本ができたとなれば、これからやらなければならないことが山積みだ。

 一組の教室が劇場となるため、大道具担当の人達は客席とステージのスペースをどうとるかということから考えなければならない。セットはその後だ。小道具と衣装は食堂車と共通にすることになり、担当者は一組と二組を行ったり来たりしている。
 主なキャストはほぼ出ずっぱりのジョバンニとカムパネルラで、これを私と美香がやることになった。どちらも男の子だけれど、少年ということもあり、多くの演劇部で女の子が演じている。そう、この作品はよく演劇にされるのだ。
 主役のジョバンニは、出番も台詞も多い。

 私は中学時代からどうしても出番と台詞の多い役に惹かれてしまう。要は目立ちたがり屋なんだと思う。けれども、瑞希は出番が少なくても個性的な役を好んだ。結果、目立つのは瑞希だった。それをわかっていても、私は一秒でも長くステージに立っていたかったし、声を出していたかった。
 今ならわかる。私は劇が好きなわけじゃない。自分が演じていることが好きだったんだ。きっと、どちらがいいとか悪いとかじゃないんだと思う。

 でも、今はいい劇にしたいと思う。クラスの出し物だからかもしれない。みんな初心者で、ライバルではないから。
 なんてみんな楽しそうなんだろう。おままごと遊びの延長のように劇の世界を作り上げることを楽しんでいる。演劇って達成感や満足感のためだけでなくて、楽しむものだったんだな。

 だから私はカムパネルラをやる。その方が合っていると思うから。

 演出はやはり葵がやることになった。提案者だからというのもあるけれど、葵は文化祭実行委員でもあるから、当日は忙しいらしい。演出ならば当日はやることがない。というよりできることはもうなにもない。これが演劇部の発表だと、少し淋しい立場ではある。当日が実力発揮のピークであるみんなの中で、演出だけが見守るしかできないのだから。けれど、今回に限っては葵にうってつけの役割だった。
そうなると、当日に全体を指揮する人が必要になる。そこで入江が舞台監督を務めることになった。
 舞台監督ブタカンはスタッフも含めた劇全体を統率する立場だから、本来ならかなりの花形のはずなんだけれど、演劇部でもどうも影が薄い。プロの演劇ではそんなことはないんだろうけど、部活だとどうしても具体的に仕事がある者が生き生きと目立ってしまう。まあ、舞台監督を進んでやろうという人は目立ちたくてやるわけではないだろうけど。

 十月にもなると、教室の後ろに作りかけの大道具が置かれ始め、ロッカーが非常に使いにくい。
 湿気の多いこの学校ではベニア板はすぐに反り返ってしまうから、新聞紙に包んで、裂いて広げたビニール袋やラップを使って保存しなければならない。手間がかかる分、妙に愛着がわいてくる。
 キャストも順調に演技らしくなってきた。銀河鉄道の乗客たちは入れ代わり立ち代わりの登場だから、一人一人の出番がそんなに多くないのと、どこか不思議な存在の登場人物だから多少の動きや台詞のぎこちなさはかえって非現実的な雰囲気を出している。

 問題はジョバンニとカムパネルラだ。もはや私たちの演技で劇全体のレベルを決めてしまうことになる。

 文化祭の出し物の劇は、きっとコメディーの方がウケがいいのだろうと思う。実際に演目を決める時には『ロミオとジュリエット』を男女逆でやったらどうか、という意見もでた。けれど、そこそこ面白いかもしれないけれど、ありがちな企画であること、演劇部のステージ発表がない文化祭でなら一定の集客が見込めるのではないかとういことから、真面目にできるだけ本格的な演劇を目指すことに決まった。
 だから私と美香は観客に対してだけでなく、クラスメイトをも感嘆させる演技をしなければならない。
 下郷高校演劇部の意地にかけて。

 文化祭まで二週間をきった。

 私と美香は放課後だけでなく、昼休みも練習に充てることにした。葵と入江が付き合ってくれて、四人で中庭に出ていた。
 やっぱり円形劇場のようなこの中庭はいい。なのに、地味な女子生徒の二人組がいるだけだ。みんなも中庭に来てみればいいのに。それともこの形状に魅力を感じたりはしないのだろうか。

 美香と出会ったばかりの頃、ここでランチミーティングをしたっけ。入江が本を読みながらパンをかじっていて。あの時は頭にきたな。思い出してひとりクスリと笑ってしまう。

「……言うべきかどうかわからないんだけど、俺だったら、どんなことでも知らないよりは知っていた方がいいと思うんだよね」

 入江が歯切れの悪い言い方をする。似合わない。いつも要点だけを言って、言葉が足りないくらいなのに。

「どーぞ、言っちゃってくださーい」

 美香が両手を広げて受け止めるしぐさをする。
 入江は肩で大きく息をひとつすると、口を開いた。

「――城東学院の演劇部が県大会に出場する」

 美香が広げた手のやり場に困って、腕を上げたままで指をモジモジさせる。その腕に手をかけてそっと下してあげる。

「当然の結果だよね」

 さらりと言えただろうか。笑顔で言えただろうか。
 入江はさらに続ける。

「県大会はうちの文化祭と同じ日程」
「……」

 なんだろう、この苦しさは。
 県大会を見に行きたかった? 文化祭を見に来てほしかった? 
 どちらでもあって、どちらでもない。

 城東学院の劇を観たら、きっと冷静ではいられない。そこに瑞希がいたらなおさら。けど、そうとわかっていても、行けるものなら観に行ってしまうだろう。
 文化祭での『銀河鉄道の夜』を観てほしいと思う。ううん。どうかな。私は二週間前になっても瑞希に連絡していない。今の私の演技を観てほしい気持ちと、観られたらがっかりさせるのではないかという恐怖。

 県大会と文化祭が重なったのはよかったのかもしれない。自分で選ばなくてもいいから。

 ガシャン。

 軽いプラスティックの音がして、ふと我に返る。中庭でお弁当を食べていた二人組の片方が箸箱を拾っていた。

 その時。

「おー、やってるねー」

 はっ! この声は!

 職員室の窓から古賀先生が手を振っている。どこにでも現れるな。

「せっかくなんだし、そこの三年生に観客になってもらえば? 別に秘密の稽古じゃないんでしょ?」

 急に指名された二人組女子がビクリとする。そりゃそうでしょ。ただ居合わせただけの人を巻き込むなんて強引すぎる。すみません、先輩方。

「あ。いいかも」

 葵が乗り気になる。え? そうなの? 乗っちゃうの?

「すみませーん。少しご協力お願いできますか?」

 両手を合わせて先輩たちに近寄っていく葵。

「え……でも……」

 先輩たちはうつむき加減に視線をそらす。

「ただ観ていてくれればいいんです。それで、ちょっと感想でももらえたら」

 食い下がる葵に、二人は顔を見合わせている。お気の毒に。こんなにおとなしそうなのに。

「観てやれ、観てやれ。先輩だろ、お前たち。ついでにいっぱいダメ出ししてやれ」

 窓から古賀先生が言いたい放題だ。ダメ出しなら、部外者にやらせないで自分がやればいいじゃん。――あ、やっぱいい。古賀先生は関わらなくていい。関わらないで下さい。

「……じゃあ、観るだけなら」

 古賀先生と葵に圧された感じで、先輩たちは引き受けてくれた。本当にすみません。

「ありがとうございます。どうしても内輪だと客観的に見れない部分もあって」

 お礼を言いながら、葵も先輩たちの隣に座る。

「それじゃあ、最初の場面ね。先生は上手かみてに立っているつもりで」

 先輩たちが誰もいない右側の空間を見る。
 舞台に向かって右が上手かみて、左が下手しもてとなる。これを知らないと、右だの左だのでは、どこから見て右なのか左なのか混乱する。演劇の基本中の基本だ。

 最初は教室。ジョバンニがセンターの位置。カムパネルラは下手の舞台袖近く。ここでは花壇の端の方だ。

先生「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」

 葵が先生の台詞を読み上げる。
 カムパネルラが手をあげる。ジョバンニも手をあげようとして、急いでやめる。

先生「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう」

 ジョバンニ、勢いよく立ち上がる。が、うつむいてモジモジする。

 授業の場面は先生とジョバンニとカムパネルラのいくつかの台詞だけですぐに終わる。夜空と銀河をイメージさせるのが目的の導入シーンというところだ。
 原作で次にくるのはジョバンニがアルバイトをしている活版所の場面だが、今回の劇では省略した。そのため、すぐにジョバンニの家になる。授業の後、カムパネルラは下手に退場したが、ジョバンニは残り、下手舞台鼻に立つ。つまり客席から見て左側の舞台の一番前。母親との会話になるが、いるのはジョバンニのみ。母親は声だけの演出だ。

お母さん「そうだ。今晩は銀河のお祭りだねえ」
ジョバンニ「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ」
お母さん「ああ行っておいで。川へははいらないでね」
ジョバンニ「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で帰ってくるよ」
お母さん「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一緒なら心配はないから」
ジョバンニ「ああきっと一緒だよ」

 このやり取りの後、ケンタウル祭の夜の場面になる。ここをどうするかがまだ決まっていない。いじめっ子ザネリやその取り巻き、カムパネルラとケンタウル祭で会う。そして銀河ステーションへと続くわけだが、この流れがしっくりこない。

「やっぱり、廊下の窓から入るしかないんじゃない?」と葵。
「それだと、ケンタウル祭はどうするの? 中庭でやるの?」と私。
 ここのところ何日も同じやり取りを繰り返している。

「あのぉ……」

 一人の先輩が小さく手を挙げている。小っちゃくてかわいらしい人だ。動作も小さくてリスみたい。

「あ、はい。なんでしょう?」葵が振り向く。
「劇って、教室でやるんじゃないの?」

 ねえ? と隣のキリンのように細い先輩と、目配せをする。ずっと仲良しなんだろうなと思わせる距離感。いちいち声に出さなくても意思の疎通ができている感じがして、ふと中学時代の自分と瑞希の関係を思い出してしまう。この先輩たちは三年生になる前からの友達なのかもしれない、などと関係のないことまで考えたりして。

「ああ、そうか。今日初めて観た人にはわからないのか。中庭で練習しているのはただ単に練習場所として使っていると思うよな」

 入江が独り言なのか葵に言っているのかよくわからない話し方をする。葵は入江のそれを独り言ととったらしく、相槌を打たずに先輩たちに説明を始めた。

「メインは教室なんですけど、教室は銀河鉄道の中だけなんです。セットも変えないので、大きなものも作れますし」

 葵が考えた演出はこうだ。
 教室の狭い空間での場面転換は無理がある。スペースの問題もさることながら、暗転も慣れないメンバーで動けるとは思えない。だったら、ほかの場面は教室以外でやればいい。
 幸い、中庭は文化祭の使用区画外だった。だからといって使ってはいけないということでもないらしい。いわば忘れられた空間だった。けれど、ここがなかなか都合のいい場所で、一年生の教室の階と同じ高さなのだ。窓の下に台でも置いて乗り越えれば、すぐに一組の前の廊下に入れる。観客には廊下と教室を移動してもらうだけで両方を観てもらえるのだ。

「余計なお世話かもしれないけど、思いついたことがあるの」

 リス先輩がキリン先輩にまたもや「ね?」と視線を向ける。キリン先輩は頷くだけで自分から話す気はなさそうだ。

「ケンタウル祭って、お祭りよね?」
 リス先輩は一応という感じで確認する。
「そうですね」と葵。
「だったら、昇降口から入って廊下を使ったらどうかな?」

 私たちは中庭の向こうにある昇降口を見る。教室に行くには遠回りだ。すぐ目の前に一組があるのに。
 メリットがこれっぽっちも見えていない様子の私たちを見て、リス先輩は言葉を続ける。

「ジョバンニのお祭りに行く通り道にするの。それで、教室の前の廊下でザネリたちとの場面をやるのはどう?」

 これは……。

「面白そうだな」

 入江が脚本を開きながら呟く。

「そうね、いいかも」

 葵も廊下の窓の並びを頷きながら眺める。

「文化祭の雰囲気がちょうどよくケンタウル祭の背景として使えるかも。関係ない人たちがエキストラみたいなものだもんね」

 美香も楽しそうに賛成する。

 一組の教室が廊下の突き当たりなのも使える。廊下で演技をしていても通行の邪魔にはならない。

 この自由さは演劇部の発表ではありえない。
 劇の中には客席の最後列にスタンバイしていて、そこから登場するという歌舞伎の花道のような使い方をするものもあるけれど、なぜか大会の講評ではあまり褒められない。私自身はそういう演出はワクワクするんだけどな。

 これは演劇部の大会でもないし、誰かに評価されるものでもない。ましてや勝ち負けなんてどこにもない。ただ、観ている人と作っている人が楽しければそれでいい。クラスの出し物としての劇の魅力に気付かされた気がした。

 そこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 二人の先輩たちは「がんばってね」と優しい笑顔を残して校舎に入っていく。私たちは口々にお礼を言い、何度も頭を下げた。
 ふと、職員室の窓を見上げてみたが、古賀先生の姿はなかった。あんな担任より見ず知らずの上級生の方がずっと親切で力になるじゃんか。

「ねぇ、さっきの先輩たちなんだけど」

 教室に向かいながら、美香が耳打ちしてくる。

「なによ、そんなにこそこそして」
「だって、もし違ったらいけないし」と更に声を潜める。
「あの人たち、演劇やったことあるんじゃないかな?」
「え?」

 あんなちょっと話しただけでなんでそう思うんだろう。

「上手って演劇やったことのない人にもわかるもの?」
「えー? わからないでしょ」

 実際に、うちのクラスでは誰もわからなかった。脚本を使えるものにするために書き直す段階になって、ようやくそのことが判明した。それまでは、みんな右とか左とか言っていたらしい。そんなんじゃステージ側からか客席側からかわからない。

「だよね。さっき学校の場面やる時、葵がね、『先生は上手に立っているつもりで』って言ったの覚えてる?」
「うん、言ったね」

 それが決めてあった立ち位置だ。

「あの時、先輩たち二人ともすぐに上手を見たの。ああ、ここね、って感じで」

 そうだっただろうか。ということは、演劇未経験者でも上下かみしもくらいはわかるのかな。うちのクラスがたまたま誰も知らなかっただけ? いや、クラスで一人も知らないのはたまたまとは言えないでしょ。確率とかわからないけど。数学苦手だし。
 じゃあ、あの先輩たちがたまたま知っていたとか? いやいや、たまたま知る機会なんてある? 上手なんて言葉。日常会話で使わないでしょ。

 だとすると、あの先輩たちはもしかすると……もしかするよね?

 美香の方に顔を向けると、美香もこっちをじっと見ていた。私の反応を見ている。美香と同じ意見かどうか。

「あの人たちってさ、いつも中庭にいるよね」

 後ろを歩く入江が葵に話しかけている。私たちのひそひそ話は聞こえていないはずなのに、話題は同じ先輩二人のことだ。何の気なしに聞き耳を立てる。

「そうなの?」
「俺、昼休みは大抵中庭にいるけど、いつも見かけるよ」
「……入江は未だにクラスに馴染めないの?」
「ちげーよ! 中庭は人が少なくて本を読むのにちょうどいいんだよ」
「ちょ、ちょっと待って!」

 美香がくるりと振り向いて、両手を開いた。

「あの人たち、いつも中庭にいるの?」
「そう言っているじゃん」
「じゃあ、古賀先生は先輩たちがいつもいるのを知っていたのかな? 知っていて、窓から声をかけたのかな?」

 美香は何を気にしているのだろう。
 誰の返事を待っていたわけでもないらしく、美香は今度は私の方を振り向いた。

「古賀先生が観てもらえって言ったのって、あの先輩たちならアドバイスをくれると思ったからなんじゃないの?」

 そういえば、古賀先生は彼女たちのことを「そこの三年生」って言っていた。知っているんだ。あの人たちが、一年生でも二年生でもなく、三年生だと知っている。もしかしたら、顔と名前が一致しているのかもしれない。それは授業を受け持ったことがあるから? それとも、古賀先生が知っている演劇経験者の生徒といったら……。

「あ、そうか! 幽霊部員の!」

 キーンコーンカーンコーン。

 私の言葉が正解だとでもいうように、本鈴が鳴る。

 古賀先生が知っていて、舞台の上下がわかる。演劇部員だったら自然じゃん。そして、三年生というのも、活動休止した二年前に一年生だとしたら計算が合う。
 これはただの偶然なんだろうか。偶然じゃないとしたら、古賀先生はどうして活動休止の理由を教えてくれないのだろう。どうしてあの人たちが演劇部の先輩だと教えてくれないのだろう。……やっぱり、ただの偶然なんだろうか。

「なに? いったいなんの話よ?」

 眉を寄せて聞いてくる葵の向こうに小島先生の姿が見える。

「ほら、チャイム鳴ったわよー」

 次の授業は小島先生の古典だ。

 私たちは間投詞と共に教室へ急いだ。


次話


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