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「スポットライトに照らされて」 12 (全17話)

 楽屋にしている教室に戻ると、つい十日ほど前に卒業したばかりの凛先輩とありす先輩が出迎えてくれた。

「お疲れ様」

 先輩たちの方が疲れているような顔でねぎらってくれる。

「せんぱーい」

 美香が叫んで、二人の先輩にまとめて抱きつく。ありす先輩が小さくグエッと苦しげな息を吐いた。

「あれ、差し入れ」

 凛先輩が、美香に抱きつかれたまま、机の上の箱を指さす。と、そこに視線を動かしたとたん、美香は先輩たちに巻きつけていた腕をするりと離し、今度は箱に抱きついた。

「やったー。ドーナツだぁ!」
「ありがとうございます」

 私と葵でお礼をしている間に美香は既に箱を開けている。

「私、これ!」
「美香ちゃん、それ季節限定でひとつしかないから……」
「ありす先輩の分?」
「ううん、私はいいけど」
「凛先輩は?」
「私たちは気にしないで」
「じゃあ、やっぱりこれ~」

 美香は桜色のドーナツにかぶりつく。

「ごめんね、人気商品みたいでラストだったんだ」

 ありす先輩が美香の口元を眺めながら言う。凛先輩も気の毒そうに問いかけてくる。

「梢ちゃんと葵ちゃんも食べたかったんじゃない?」

 私たちは「大丈夫です~」と笑って答える。
 季節限定と聞いたら食べてみたかったけど、正直、そんなに食欲がない。あの劇の後で美香はよく食べられるなあ。

「もう一個いいですかぁ?」

 指をなめながら美香が振り向く。あんた、食べるの早いな!

「どうぞ。たくさんあるから」

 凛先輩が苦笑気味に答える。

「あなたたちも早くしないとなくなっちゃうよ」

 食欲があるわけじゃないけど、糖分を補給したい気もする。私たちはあれこれ迷いながらドーナツを手に取った。
 先輩も含め五人でドーナツをかじっていると、「あー!」と叫び声がした。ビクリとして振り向くと、古賀先生と入江が入ってくるのが見えた。

「お前ら、いいもの食ってんな~」
「先生もどうぞ」

 ありす先輩が箱を古賀先生の方に差し出す。

「お、いただきまーす」

 薄汚れた手でドーナツをつかむ。

「うげー、先生、手きったなーい。おなか壊しそう~」

 美香が大袈裟に顔をしかめる。

「失礼だな。働き者の手だろ?」

 古賀先生のおなかはちょっとやそっとのバイキンなんか消化しちゃいそうだよ。しかし、なぜ軍手をしていたのに手が汚れるんだ? 不思議に思い、古賀先生の腰のポケットにぶら下がる軍手に目をやる。真っ白じゃん。軍手の存在、忘れていたんだな、きっと。古賀先生にとっても緊張する本番だったということだろう。
 それにしても、軍手使わずによくあの熱いスポットライトを操作できたな!

「入江、お前ももらっとけ。どれ、俺が選んでやる」
「ぎゃー、先生は自分の食べる分以外は触らないでー」
「ミカリン~、そんなこと言われたら俺、傷ついちゃうなぁ~」
「じゃあ先に手を洗ってください」
「葵ちゃんはママみたいだなぁ~」
「先生が幼稚園児みたいだからですよ」

 古賀先生はそれでもひとつのドーナツを手に取ると、入江に差し出した。入江は笑って首を横に振ると、にぎやかな輪から離れて眺めていた私の側に来た。

「姉ちゃんがさ、話があるって、廊下にいるんだけど」
「今?」
「うん。でも、なんかみんなに声かけづらくって」

 ドーナツを囲むみんなは不自然なほどはしゃいでいる。きっと気持ちの持っていき場がないんだと思う。そのくせ、終わったばかりの劇については一言も触れない。

「話聞くのって、私だけでもいい?」

 そう言うと、入江はほっとしたように「悪いな」と笑顔を見せた。
 廊下というから教室のすぐ前にいるのかと思ったら、もうひとクラス先の廊下の壁に寄りかかっていた。窓からの光が萌先輩の輪郭を金色に縁取っている。入江は少し手前で立ち止まると、興味なさそうにそっぽを向いて壁に寄りかかった。

「おはようございます」

 演劇部特有の時間帯を無視した挨拶をする。
 私の足音がしてもこちらを見なかった萌先輩がようやく顔を上げた。上げた顔は逆光で表情が見えない。そして、挨拶を返してもくれない。
 あの劇では謝ったことにはならないのだろうか。やっぱり、みんなで城東学院の楽屋に行って頭を下げた方がいいのかもしれない。そう考えていると光が揺れた。

「……ウチの発表、トリなの」
「はい、知っています」
「下郷高校は最後まで、いる?」
「もちろんです。発表の後に交流会もありますから」

 春季発表会は夏の大会と違って、純粋に発表会だ。審査とかは一切ない。だから、上演時間以外の規定とかもなくて、やりたいことをやれる。

「絶対に観て」
「え?」
「城東学院の劇、絶対に観て。できれば、あの先輩たちにも。っていうか、先輩たちにこそ観てもらいたいの」
「それって、もしかして――」

 もしかして、そういうつもり? 私がその先を言おうとすると、萌先輩はフッと小さく微笑んでさえぎった。

「お願いね」

 かすかに首を傾げてそう告げると、廊下をさっそうと歩いていく。光に縁取られた萌先輩の姿を見送っていると、美香のよく通る声が肩を叩いた。

「梢~? ドーナツ、ラスト一個だよ~。いらないのぉ?」

 自分たちの発表が済んで、ようやく安心して他校の発表を観ることができる。だから、終わりに近づくほど観客数は増える傾向がある。今回は城東学院がトリだから、他の学校の生徒全員が観ることになるだろう。

『ただいまより、城東学院による「モラル」を上演いたします』

 客電が落ちる。

 私たちは客席の中央最後列にいる。上手から私、美香、葵、凛先輩、ありす先輩、古賀先生、入江の順で横一列に並んでいる。
 私の想像が正しければ、城東学院もあの事件をテーマにしているはずだ。そうでなければ、わざわざ萌先輩が観てほしいと言いに来た理由がない。しかも演目が『モラル』。なにか道徳的なことに関するテーマを劇にしているとしか考えられない。

 ブザーが鳴り、幕が開く。

 暗闇に一筋のサス。その上からの光の輪の中に浮かび上がっているのは、制服を着た女子高生の後ろ姿。制服を着ているが、自室なのだろう。床に座り、チープなパステルブルーのローテーブルに向かって手作業をしている。後ろ向きなので、なにをしているのかまではわからない。

 うまい、と思う。冒頭から興味をそそられる。
 よくあるのは、空の舞台にその劇の世界を示すための効果音だけが聞こえるとか、登場人物たちが既に会話をしていてその台詞で状況を伝えるとかの方法だ。
この始まり方はそのどちらでもない。それでいて、なにかが起こることを予感させる。

 女子高生が作業を終え、立ち上がる。こちらに振り向こうとした瞬間に暗転。顔はわからないままだ。
 ごく短い暗転の後には地明かり。向い合せの机が四つ。四人の生徒がミーティングのようなことをしている。一人は萌先輩だ。会話が進んでいくと、どうやら生徒会室の設定のようだ。萌先輩演じる女会長と以下男子メンバー。男子部員がいると劇の幅が広がっていいな。
 それにしても、これのどこがあの事件とつながっているのだろう。それとも、考え過ぎだったのだろうか。萌先輩のあれは、ただ単に、城東学院と下郷高校の実力の差を見せつけようというだけの誘いだったのか。

「あ!」

 左の方から、呼吸に音を乗せただけのような小さな声が聞こえた。反射的に首を横に向けると、美香も左を向いていた。葵が美香の耳元になにかささやいている。

「え?」

 今度は美香が小さく叫んだ。そして、私に耳を貸せというしぐさをする。美香の丸めた手の小指が私の頬に当る。

「――海堂沙織」

 ウチの部室で見つかった城東学院の台本に書かれていた名前だ。……で、それがなに?

「城東学院の女生徒会長といえば海堂沙織」

 同一人物なのか。萌先輩の役名は藤堂とうどうとか言っているから、モデルが海堂沙織ということか。
 美香はそれでわかっただろうとばかりに、真剣な眼差しで力強く頷くと再び正面を向く。

 劇が進んでいくと、やはり藤堂は演劇部員だということがわかる。だけど、生徒会との両立は難しく、部活には遅刻がち。ああ、葵と同じだ。違うのは演劇部の層が厚いということ。それはつまり、簡単には役をもらえないということでもある。ついに三年生になった時点で藤堂は、同学年の中で唯一のキャスト未経験者となる。
 私は久しぶりに中学の演劇部を思い出した。下郷高校の演劇部のようにアットホームではなく、もっと統制のとれた組織だった。その中では当然足並みを揃えることが要求される。たった一人のせいで全部員の足並みを乱すわけにはいかない。今演じられている劇の中の演劇部はそうした巨大組織だった。

藤堂「え? 私が? ――もちろん! キャストをやるとなれば、できる限り部活を優先するわ!」

 藤堂は三年生の夏の大会でようやくキャストになれる。『嵐が丘』のキャサリン役で。初舞台は主役だ。
 突然、膝を叩かれる。美香が目を見開いて訴えてくる。大きく何度も頷き返す。
 つながった。作品は違うけど、明らかに事実をなぞっている。あの事件の時に城東学院が上演した劇、『明日の風』は『風と共に去りぬ』が原作だった。そして主役のスカーレット役の海堂沙織の脚本に「下郷に勝てると思うな!」の文字が書かれたんだ。
 劇は大会に近づいている。藤堂は演劇部と生徒会の両立を懸命に頑張るが、どちらからも手抜きするなと責められ続ける。

藤堂「私はちゃんと頑張っている。演劇部と生徒会で力を尽くしている。五十パーセントずつじゃない、百パーセントずつの二百パーセントの力を出しているのに!」

 藤堂は意地になっていく。やりがいがあったはずの生徒会活動も、やりたかったはずの大会での主役も、自分の感情を置いてけぼりにして、周囲に認められる成果だけを追い求めるようになる。

藤堂「絶対に県大会に進出しなくちゃ。その先にはまだブロック大会、全国大会と続いているんだから。私が主役だったせいで地区大会止まりなんて言われたら……!」

 そして、自室でローテーブルに向かう。客席に背を向けて。
 冒頭シーンにつながった。観客席から「ああ」と声にならない声がする。
 ああ、そうなのか。こうやって下郷高校宛の脅迫状は書かれたのか。

「下郷高校は本大会を辞退すべし。さもなくば必ず後悔する」――辞退してしまったから後悔している。辞退しなかったらどうだったのだろう。脅迫状を受け取っただけだったなら、そのまま大会に出場できていたはずだ。でも、仕返しとはいえ、相手の持ち物を汚してしまったのだから、ただの紙切れを送りつけてきた城東学院とはレベルが違う。喧嘩両成敗とはいかない。
 大会当日、ライバル校、坂下さかした高校の楽屋になる教室の黒板に脅迫状を貼り付ける藤堂。それを初めに見つける坂下高校演劇部員役が登場して、私の心臓は急にけたたましく鳴り始めた。

 ――瑞希。

 瑞希演じる私たちの先輩。なんとも奇妙な気分だ。
 瑞希は脅迫状を開く。

部員「……なにこれ」

 瑞希は――笑った。鼻で笑って、脅迫状をくしゃりと丸めると無造作に鞄につっこむ。まるで相手にしていないかのようだ。
 え? そういう扱いなわけ? 私たちの解釈とは少し違うのかもしれない。
 それにしても、瑞希の演技はどうだろう。ややはすっぱに構えた態度は、私の知っている瑞希ではなかった。

 瑞希はいつでもヒロインだった。お姫様だった。ライバルや汚れ役は私の役割だったはずだ。瑞希は光と影の光。いつだってみんなが憧れのため息をつく中学演劇の女優。そんなポジションとそのポジションにふさわしい演技力が羨ましかった。
 そう、羨ましかった。妬ましかった。本当はいいライバルなんかじゃない。私が欲しいものは瑞希が全て持っていた。そんな瑞希が大好きで、そばにいられることが、対等でいられることが誇らしかった。

 そして――大嫌いだった。

 瑞希の演技を観ているといつも劣等感に苛まされた。本当は瑞希と同じ舞台になんか立ちたくなかった。比べられるのが怖かった。
 でも、比べているのは観客じゃなかった。私自身だ。

 今は素直に思える。瑞希はうまい。羨ましいとか、妬ましいとか、そんな気持ちはこれっぽちも湧いてこない。ただただ嬉しい。いい演技をする人を観られて嬉しい。それだけだ。

 客席がざわついている。

「ねぇ、最初にやった劇と似ていない?」
「下郷高校も脅迫状ネタだったよね?」
「これって、二校のコラボなの?」

 ささやき声とはいえ、何人もの人たちがささやけば、それは体育館の空気を大きく揺らす。
 そこでいきなりの照明C.O.カットアウト
 ピタリと止まるささやき声。けれどもみんなの無言の声が聞こえる。「なにごと?」
 暗闇から「うう~っ」とうめき声。
 上手舞台鼻にピンスポット。袖幕から半身だけ覗かせる藤堂。

藤堂「なんなの、あの余裕は。自分たちにはライバルに値する高校はないとでも言うの? 私はこの大会を勝たなくてはいけないの。あんたたちに負けるわけにはいかないのよ」

 袖幕を翻して舞台袖に消える。

「…こわっ」隣で美香が呟く。
 私が話しかけられたわけでもないのに、うんうんと頷いてしまう。萌先輩、怖すぎ。美人の狂気ってものすごく怖いんだ……。新発見だよ。

 次のシーンで、客席最後列のパイプ椅子が揃って軋んで、前列の数人に迷惑そうな視線を投げかけられる。
 いや、だって、だって……!
 我が下郷高校メンバーは全員が腰を浮かせていた。
 ステージ上では藤堂がキュッキュッと音を立てながら自分の台本に大きく文字を書いている。

藤堂「これでよし、と」

 脚本を両手で掲げ、正面を向く。表情は台本に隠れて見えない。

藤堂「『坂下高校に勝てると思うな!』」

 これって……。
 客席の多くの人が隣の人と顔を見合わせている。無反応の人たちはウチの劇を観ていないのかもしれない。
 藤堂が大きく息を吸う。それから、誰かに聞かせるための大きな独り言。

藤堂「やだー、なにこれ! 誰がこんなことしたの!」

 ――自作自演。

 仲間たちがやってきて大騒ぎになる。坂下高校の楽屋に平然と被害者面で抗議しに行く。私たちが真摯な思いで演じたあのシーンが逆サイドから演じられる。
 左腕に美香がコアラのようにしがみついた。その手をとって両手で包み込むと、美香も両手で握り返してきた。気が付けば立ち上がっていた。ステージからも見えているに違いないが、そんなことは気にならない。

 これが真実だというの? これを隠し続けてきたというの? ウチの顧問の覚悟を、ウチの先輩たちのプライドを、随分と軽く見てくれたじゃないの!

 身体中が熱い。内側から膨大なエネルギーが湧きあがってくるのを感じる。噴火する火山はこんな気分なんだろうかと、とんでもなく場違いな感想を持ってしまう。

 ステージは冒頭シーンと同じ暗闇に一筋のサスの光。セットはなにもない。藤堂だけが後ろ向きに床にぺたりと腰を下ろしている。
 BGMは私が聞いたことのないやけに明るい曲調のクラッシック音楽。音楽が盛り上がっていくのに合わせて藤堂が立ち上がる。ゆっくりと客席を振り向く。今回は観客席に顔を見せる。満面の笑顔。それが徐々に苦しそうに、悲しそうに変化していき、最後は泣き崩れて――音響、照明、C.O.カットアウト

 ――そして、幕。

『これにて全ての発表が終了いたしました。交流会は三十分後に開始します』

 気が付けば、体育館に残っているのは私たちだけだった。凛先輩とありす先輩のすすり泣く声だけが聞こえる。

「――入江、お前、どこまで知っていたんだ?」

 古賀先生がやけに優しい声で問う。

「脚本に書いたことが全てです」
「でも、俺が演劇部の顧問だってこと、最初から知っていただろ。姉ちゃんから聞いていたんじゃないのか?」
「……下郷高校に合格した時にそんな話を聞いただけです。姉も深い意味があって話したわけじゃないと思います」

「今日の城東学院の劇ってさ」葵がいかにも発言しますよというふうに片手を挙げて話始める。
「当時の部員が全員卒業したからやったのかなあ?」

 たしかに、なぜこのタイミングなんだろう。やっぱりウチのホンに合わせてきたのだろうか。

「萌先輩なら、下郷高校がどんな劇をやるか早い時点で知ることができるよね?」

 私の視線を受けた入江が不愉快そうに顔をしかめる。

「俺? 自分の書いたものを姉ちゃんに見せるなんて、そんな恥ずかしいことするわけないだろ」
「もしかしてだけど」今度は美香が手を挙げた。
「全員が知っているわけじゃないのかも」
「あんな劇をやっておいて?」思わず刺々しい声が出てしまう。
「創作だと思ってやっていたんじゃないかなぁ?」
「あれが真相じゃないって言うの?」

 美香を責めてもしかたがないのに、どうしてもけんか腰になってしまう。美香は気にした様子もなく、斜め上を向いてアヒル口をしている。

「そうじゃなくてぇー、萌先輩が部長になったからこの劇をやったんじゃないかと思って」

 なんだそれ。さっぱりわからないぞ。
 葵が「あっ」と小さく叫ぶ。

「部長になって初めて真相を知ったとか?」

 人差し指を立てて身を乗り出す葵に、美香も人差し指を振り回す。

「そうそう! 下郷高校が大会棄権して、活動休止になったことくらいしか知らなかったんじゃないかと思うんだ。そうじゃないと、春の文化祭で会った時にあんなふうに話しかけてこられないでしょ?」

 城東学院の文化祭――萌先輩のロミジュリ。そうか、あれからもう一年近く経つのか。
 たしかに、下郷高校演劇部の活動休止が全面的に自分たちの演劇部のせいだと知っていたら、あんなフレンドリーに接してこれるはずがない。瑞穂だって普通に話しかけてきた。澤田カリンは……感じ悪かったけど、あれはあれで、負い目がないからこその態度だったのだろう。だとすると、あの時点ではみんな知らなかったと考えるのが自然かもしれない。
 葵がおずおずと口を開く。

「私はその場にいなかったからわからないけど、そうだとしたら、やっぱり萌先輩は部長になったから真相を知ったんじゃないかな」

 当時の三年生は夏の地区大会が終わった時点で引退しているはず。二年生だった萌先輩が部長になったのも当然その時期だ。

「部長の引き継ぎ事項ってこと?」

 そんな引き継ぎあるかっ、と心の中で自分の発言につっこむ。けれども葵はしっかり頷いた。

「うん。引き継ぎ事項というか申し送り事項というか。もしかしたら、そんなに堅苦しいものじゃなくて昔話として聞かされたのかもしれないけど」
「たしかに後輩たちには言えないよねぇ、そんな話」美香がため息混じりに呟く。

 部長だけが知っている真相――。当時の部員が誰もいなくなった今だから、そして下郷高校演劇部が再始動し始めたから、萌先輩は自分が知った真相をカミングアウトしたってこと? 部員を傷つけずに私たちには知らせる方法で――。

「――もういいよ、この話は」
「うん、過ぎたことだし」

 泣いていたはずの先輩たちがすごく穏やかな笑顔を見せる。
 そうだ。これは先輩たちの問題だ。私たちがかき回していいものじゃない。
 と、突然、

「悪かった!」

 急に大声が聞こえて、私たちはコントのように揃ってパイプ椅子に倒れ掛かる。

「全部、俺のせいだ」

 古賀先生が先輩たちに向かって深く頭を下げている。

「俺があの時すぐに脅迫状を問題にすればよかったんだ。せっかく、お前たちが知らせてくれたのに、俺はおおごとにしないことを選んだ。いや、選ぶまでもなく、それしか思いつかなかった。あれで騒ぎになっていれば、ウチの濡れ衣はなかったんだ」

 城東学院の劇によれば、最初に送り付けた脅迫状に反応がなかったから、自作自演の脅迫状が作られたわけで。でも、それって、なんか違う気がする。そう思っていると、先輩たちがケラケラと笑い出した。

「先生、そんなことどうでもいいですよ」

 ありす先輩が古賀先生の背中をポンポン叩く。

「そうそう。下郷高校演劇部はなにも悪いことをしていなかった。それでいいじゃないですか」

 凛先輩も頭を下げたままの古賀先生の肩に触れて、上体を起こさせる。

「あー、なんだかやっと卒業したって感じがする」
「ほんと」

 二人ともすっきりした顔をしている。あの事件のせいで一度も舞台に立てなかったのに。

「演劇部に籍を残しておいてよかったです。後輩たちも入ってくれて」

 凛先輩が私たちに微笑みかける。
 先輩たちから引き継いだこの演劇部を守って、育てていかなければならない。強くそう思う。

「新入部員、たくさん入部させてよね」

 ありす先輩が偉ぶった態度で喝を入れてくる。

「はいっ!」

 私たちは体育館に響き渡るほどの大声で返事をした。


次話


「スポットライトに照らされて」全17話

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