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「スポットライトに照らされて」 17 (全17話)

エピローグ


 もう何日目の雨天だろう。音もなく雨は降り続く。

 山の斜面に建つ下郷高校は湿気の影響を受けやすいらしく、廊下は薄く水を塗ったように光り、転倒する生徒が後を絶たない。頻繁にモップがけをするものの、次の休み時間には元の状態に戻っている。
 校舎からピロティのある体育館の建物に移動するにはどのルートから行っても外を通らなくてはならない。靴も室内履きから外履きに履き替え、傘を持って昇降口を出る。
 ピロティから見える景色は、細い雨に紗幕がかかったよう。山は艶やかな緑色に染まる。
 部室へと続く階段を降りながら、これから夏に向かいまたカメムシが大量発生するのかとうんざりする。……ああ、でも。その頃、私はここにいないのか。

 ンモォー、ンモォー……。

 相変わらずウシガエルの鳴き声は、カエルの合唱と呼ぶには抵抗がありすぎるド迫力。しとしと降り続く雨に意気揚々と声を張り上げるウシガエルたち。とはいえ、今もってその姿にはお目にかかったことがない。本当にいるんだろうか。まさか音響ではなかろうな?

 演劇部部室の重いドアを開けると、大音量の早口言葉が渦を巻いていた。十五人ほどの部員がそれぞれに壁に向かって違う早口言葉を言っている。それはとても生き生きとしていて、みんなの声が無数のボールになって部屋中をポンポン跳ね回っているかのような印象を受ける。

 入口近くにいた女子生徒が私に気が付いて早口言葉を中断した。

「木内先生、おはようございます!」

 その声に反応して、みんなが一斉にこちらに向き直る。

「おはようございます!」

 演劇部は部員数が増えたころから、挨拶はいつでも「おはようございます」になったと聞いている。

「おはよう。でも、『先生』って呼ばれるのは照れるかな」

 私が臭い演技のように頭を掻きながら照れているアピールをすると、「なに言っているんですか」と初めに挨拶した生徒が笑顔で反論する。

「木内先生は教育実習の『先生』じゃないですか」
「うーん。でも、部活だけはせめて『先輩』にしてくれない?」
「木内先生がその方がいいなら、それでもいいですよ。木内先輩。それとも梢先輩にしますか?」
「じゃあ、好きな方でよろしく」

 私は三日前から国語教科の教育実習に来ている。指導教諭は私の卒業後に着任した先生だ。

 古賀先生は私たちの卒業を待たずに転任した。ギリギリで古賀先生が顧問の演劇部に在籍できて本当によかったと思っている。

 教育実習では部活動指導は必須ではないらしい。けれども私は自ら演劇部のサポートをしてみたいと希望した。私や美香や葵が復活させ、悠基が大きくした演劇部の成長を見て見たかったから。もちろん応援してくれる人たちがいたからできたことも忘れてはいない。

 ドア近くの壁に私の在学中にはなかったキーフックが目に留まった。薄汚れたセーラー服の猫のキーホルダーがぶら下がっている。あの昭和の遺物をまだ使っているのか、と思わず笑みがこぼれる。

「木内先生……あ、梢先輩。今から大会用の脚本の読み合わせをやるんですけど、観てもらえますか?」
「もちろん」
「それと、スタートの掛け声もお願いします。梢先輩にきっかけ貰った方が気が引き締まるんで」
「いいよ。喜んで」

 今年こそ県大会突破の夢を果たせるだろうか。南関東ブロック、全国と進めるだろうか。私たちの果たせなかった夢の続きをこの子たちに託したい。

 部員たちは長机をロの字型に並べて席に着く。私は一番奥の辺にひとりで座る。かつて古賀先生が座っていた席だ。
 私に一冊の脚本が渡され、みんなが一斉に表紙をめくる。

 私はこの子たちにスポットライトを照らしてあげられるだろうか。それが無理なら、せめてこの子たちの進む道を少しでも明るく照らせるといい。

 私は大きく息を吸い込んだ。なぜか公会堂の舞台袖の匂いがした。

「はい、では始めます。――よーい……スタート!」

 私はパンッと手を叩いた。なんだかとてもいい音がした。



『スポットライトに照らされて』 終幕 


「スポットライトに照らされて」全17話

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