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「スポットライトに照らされて」 3 (全17話)
翌日、私は美香との昼休みミーティングを断った。美香は案外あっさりと「まずはクラスに馴染んでからだね」と昨日とは打って変わった物分かりの良さを披露した。
晴れて私はグループづくりに励める。
女子のグループ編成を嘗めてはいけない。学生生活の運命すら左右する重大な鍵を握るのだ。
目立つグループは、クラスでの地位も確立されていて、間違いなく充実した毎日を送れそうだが、なにしろ派手っこが多い。私は、自分で言うのは悲しいが、そんな華のあるグループに馴染めるタイプではない。瑞希のような女の子が入るグループだ。
かといって、いるのかいないのか判然としない、でもやたら内輪受けしている大人しい子たちのグループは、団結力が強すぎて入っていける気がしない。
そうなると、それこそ特徴のない中間グループが望ましいが、これが複数ある。運命の分かれ道だ。
「よかったら、一緒にどう?」
机の上をわざとゆっくり片付けながら、周囲を窺っていたら、純和風の女の子が隣に立っていた。肩までの黒髪はツヤツヤのサラサラで、わずかに吊り上った目は一重なのに、細くはなく、小さな口元はかすかに微笑んでいる。なんて雰囲気のある子なんだ……。
彼女の後ろでは、二人の女の子が机を向い合せに動かしている。そして、こちらを見て笑顔でおいでおいでと手を振っている。
「ありがとう」
私はランチトートを持って、席を移動した。
「えっと、ごめんね、名前聞いてもいい? まだ全然覚えられなくて」
目のパッチリした子がやわらかい声で言い、眉尻を下げながら両手を合わせる。
「木内梢です。……ごめん、私もみんなの名前わからなくて」
名前どころか顔も知らなかったし。
「お互い様だよね。私は平田麻利亜」
いかにもおとなしそうなメガネ女子。マリアって慈悲深そうな名前だわ。
「私、佐原葵」
と、声をかけてくれた日本人形みたいな子。
「柳下玲奈でーす」
最後はお目めパッチリがペコリ頭を下げる。
いいじゃん、いいじゃん、このグループ。
「昨日、なんか呼び出されていたでしょ? 中学の友達?」
柳下玲奈がお弁当を広げながら聞いてくる。
「中学は違うんだけど、知り合いっていうか、高校入ってから知り合ったというか」
どう説明すればいいんだろう。
「クラス違うのに?」
「なんか、中学の時から向こうは私のこと、知っていたみたいなんだ。部活の大会で」
三人が口をそろえて「へぇー」と関心を示す。
「何の部活?」
「演劇部」
「……」
あれ? なんか、みなさん止まっていますけど?
「あー、演劇部」
「演劇やっていたんだぁ」
「演劇部も大会あるんだね」
ん?
「うちの中学もあったのかなぁ」
「私のとこはあったよ。途中で廃部になっていたけど」
な、なに?
「あ、私は美術部。高校でも美術部にしようかと思っているんだ」と、平田麻利亜。
マリア様? 今、明らかに話そらしましたね?
「私はね、テニス部だったの」と、柳下玲奈。
「私は帰宅部。生徒会ならやっていたけど」佐原葵。
そのまま演劇部の話は置き去り。私はすっきりしないまま、今度こそ放置されないように全てに興味のあるような相槌を打つことに専念した。
予鈴の後に「早く仲良くなれるように名前で呼び合おう」と一連の会話は締めくくられた。
二日目の昼休みは恐ろしく疲れた。
*
「そんなの、人数合わせに決まっているじゃん」
放課後、またミーティングと称して一組にやってきた美香は容赦ない指摘をする。
「なんの人数よ?」
「だって、その子たち、三人だったんでしょ? 奇数はだめよ、奇数は」
「そうなの?」
占いとか根拠のない迷信だろうか。
「だって、仲間はずれができちゃうでしょ?」
なるほど。奇数だと、一人だけ余ることが想定できるわけだ。三人なら二対一、五人なら二対三になればいいけど、二対二対一になる可能性を秘めている。
ばかばかしいこだわりに思えるが、これは結構深い。二人一組になることは案外多い。例えば、体育の柔軟体操。例えば、美術の肖像画。そんなことか、と笑い飛ばせるのは男子か精神的に強い女子かのどちらかだ。私の精神力は残念ながら並レベルだ。
「でも、所属グループが決まってよかったね」
よかったのだろうか。うん、よかったのだろう。とりあえず。
「それと、演劇部って、あまり言わない方がいいかもよ」
「え? なんで?」
「なんでって……。実際、反応が怪しかったんでしょ?」
「うん、まあ」
思い返せば、なんだか触れてはいけない部分に触れてしまったとでも言いたげな態度だった。理由はわからない。私は聞かれたことに答えただけだったし。
「北中は違かったのかもしれないけど、一般的には演劇部っていったらヤバイ感じだと思うよ」
「ヤバイ?」
意味が分からない。どこがどうヤバイのだ。
「言い換えれば、怪しいとか」
「……その言い換え、あまり変わらないと思うけど」
演劇ってヤバくて怪しいの? 地味でもないし、暗くもないし、何やっているかわからないほど閉鎖的でもないし。あ、べつに特定の部活と比較してはいないから。
「地味でも暗くもないのに、とか思っている?」
……はい。思っています。
「だから怪しいんだよ」
はて?
「どういうこと?」
「うーん。私も演劇やっていた方の立場だから、いまいちピンとこない部分はあるんだけど、たぶん爽やかじゃないんだろうね。だからといって、ダサいともいいきれない表立った活動しているし、でもなんか恥ずかしい感じ?」
わかるような、わからないような。
「でも、テレビや映画の俳優や女優は人気あるじゃん」
「それは別だよ。舞台俳優ならどう? テレビに出ていないような人ね」
「それは……」
確かに、一部の人気かも。そうか。小劇場だけじゃなくても、新劇とか歌舞伎とか宝塚とか一種独特のイメージがある。とっつきにくいし、特別な趣味嗜好の人が見に行く感じ。
「ね? そういうことなんだよ。実際に見てみれば面白いし、やってみればハマるのにね」
そうかぁ。演劇って、興味ない人たちからすると、そんな位置づけなんだ。これがサッカーとか美術とかだったら興味ない人も偏見持たないのに。
「要するにさ、触れる機会がないんだよ」
スポーツは体育の授業でやるし、美術、書道、音楽もみんなやったことがある。好き嫌いはともかく、みんな知っている内容なんだ。演劇の授業なんてないし。しかも、授業にあるものは、上手くできれば感心されるのに、現代文の音読で感情入れると失笑かうし。
「それにしても、美香はよくそんな客観的に見られたね。私なんか全然考えもしなかったよ」
「うちは、親がいい顔していなかったから」
美香はいつもより大きな笑顔を見せる。
「反対されていたの?」
「んー、反対ってほどじゃないけど、恥ずかしいって言われてた」
「恥ずかしいって……!」
「晒し者だってさ。演劇にどういうイメージ持っているんだか。ねえ?」
高校では演劇部に入るつもりがなかったというのは、そういう理由だったのか。
「……やめようよ」
「え? 梢?」
「演劇部つくるの、やめようよ。無理してやることないよ」
「梢、一人で演劇部つくるつもり?」
「私もやめる」
県大会で瑞希と競うと決めていたはずなのに、自分でも意外なほど抵抗なく言葉が出てくる。「やめる」の一言は意味を持たないただの音節で、その言葉を発するのはとても簡単だった。
「……どうして?」
「うん、なんか、いろんなことに挑戦するのもいいかなぁ、なんて」
美香は初めはやる気なんかなかったくせに、泣き出しそうな顔でうつむいた。
*
美香にはああ言ったけど、他にやりたいことなんて何もない。ゴールデンウィークを過ぎると、部活の見学とか仮入部とかは今更って感じで、すっかり帰宅部に馴染んでいる。
放課後にこうやってグラウンドを眺めていても、ボールや楽器の音が聞こえていても、もう私をギリギリと締め付けてくるものはない。ただ「のどかだなぁ」と思うだけ。
「あれ? 木内、まだいたんだ?」
私しか残っていない教室にジャージ姿の男子が駆け込んできた。
「うん。まあ」
「何? 誰か待っているの?」
「いや、別に」
「じゃあどうしたの? お前確か部活入ってないよな?」
「うん。まあ」
「なんか悩みでもあるのか?」
「いや、別に」
もう。あんたは私のママか。
「あんたこそ、部活どうしたのよ?」
「あ? 俺? 気になる?」
ならないよ。話変えたかっただけだよ。
私が黙っていると、「つれないなぁ」などとオヤジくさいことを呟く。
「スパイク忘れてさ」
ロッカーから青い巾着袋を取り出している。
「スパイク? 陸上部ってスニーカーじゃないの?」
「それ、マジで言ってるの? オリンピックの選手とかもスパイク履いて走っているでしょ」
「そうだっけ?」
「うわぁ。ホント、お前って何になら興味持つんだよ?」
チクリ。
私の中心に小さな棘が刺さった。まだ痛むのか、私の心よ。
「おーい! 北山ぁ! いつまでかかっているんだ! 早く降りて来い!」
グラウンドから野太い声が飛んでくる。
「うわっ、やべっ! ――はーいっ! 今戻るところでーす!」
北山は後ろのドアから走り出ると、廊下を走り、すぐに前のドアから顔を覗かせた。
「木内、遅くなる前に帰れよ。暗くなると女子は危ないからな」
だから、おまえはオヤジかっての。
北山は「じゃ!」と片手を上げて走り去る。
窓の外からの「北山ぁ!」の叫び声と、廊下の先からの「はいはい、只今」という間延びした返事が響いている。
「……のどかだなぁ」
窓際の誰かの席に勝手に座って、外を眺める。壁が冷たくて気持ちいい。白いカーテンが風ではためく。緑の香りが風に乗ってやってくる。
「ちょっと」
頭上で声をかけられ、私は文字通り飛び上がった。
「うわっ! な、何よ?」
入江が、私の座る椅子の背に手をかけ、見下ろしている。ち、近いっての!
「そこ」
「どこ?」
「だから、そこ」
「だから、どこよ?」
入江の言葉は短すぎて要領を得ない。中庭で会って以来初めて口聞いたけど、相変わらず無愛想だな。
「そこ、俺の席」
あ、入江の席だったんだ。
「えっと、借りてます」
「それはいいんだけど、本、取らせてくれない?」
机を指差す。
「ああ、はいはい」
立ち上がろうとするが、入江が椅子の背に手をかけているので、立つに立てない。すると、入江は、もう片方の手で机を斜めに動かし、中にあったブックカバーのかかった文庫本を取り出した。
これ、と見せてくるから、うん、と頷く。
「入江くん、本、あった?」
跳ねるように教室に入ってきたのは美香だった。
「あ」
目が合った途端、お互いの動きが止まる。先に表情を和らげたのは美香だった。
「あー、梢じゃん。久しぶり~」
「本当、久しぶりだね」
他に話すこともない。けれど、気まずい思いをしているのは私の方だけのようで、美香は笑顔で寄ってくる。
「何か部活入った?」
……直球なのは相変わらずだ。
「ううん。何も。美香は?」
「うーん。まだ決めてない」
「まだ、って、これからどこかに入るつもりなの?」
「だめかな?」
「だめじゃないと思うけど、途中からじゃ馴染めなくない?」
「そうなのかなぁ?」
この子は全体的に鈍いのだろうか。
「……行くぞ」
入江が美香に声をかけ、教室を出ていく。
「あ、待って。……梢、ごめん、またね」
「うん。ばいばい」
美香の「待ってってば~」という甘えた声が遠のいていく。
さっき入江が斜めに動かした机を元に戻す。
「じゃあな、の一言もないわけ?」
思わず口をついた愚痴にハッとする。別に言ってほしいわけじゃないけど。北山はうるさいくらいにいろいろ言ってきたから、その差が目立っちゃって。あ、いや、だから、北山みたいにいろいろ言ってほしいわけでもなくて。……私ってば、誰に言い訳しているんだろ。
日差しの角度が低くなってきた。北山の言うことを聞くわけじゃないけど、そろそろ帰ろうかな。
席を立ち、椅子をしまおうと背にかけた手がふと止まる。
――美香と入江、仲好さそうだったな。付き合っているのかな。
はっ! 私ってば何を?
「ああ! もうっ!」
空の校舎に思いのほか響き渡った自分の声にビクリとする。あぶない、あぶない。また大声出しちゃうところだった。
……最近、大声、出してないな。
美香と初めて会った日のことが思い出される。この教室で叫んだら、美香が駆け込んできたんだ。
あれからまだ二ヶ月も経っていないのに、もう随分前のことのようだ。なんだか、あの頃の自分が他人のように思える。
遠くでまた北山が怒鳴られている声を聞きながら、私はようやく教室を後にした。
*
高校に入って初めてのテストである中間テストはそれなりの結果だった。
テストの点数や成績を気にしたことはあまりない。気にする必要がないほど勉強ができるというわけではなく、ただ単に興味がないだけ。卒業できればそれでいい。親も同じような感じなので、たぶん私は楽をしていると思う。
麻利亜と玲奈が各教科の点数を見せ合って騒いでいる。葵は時々「難しかったもんね」とか「平均点自体が低いんだから仕方ないよ」とか相槌をうっている。当の本人は上位なんだろう。そんな余裕が見え隠れする。
「でも、これでやっと部活のテスト休みが終わる!」
麻利亜が伸びをしながら声を上げた。中学で美術部だった麻利亜は、高校でも美術部に入っていた。
「えー。私はもう部活戻りたくないぉ!」
玲奈も中学から引き続きテニス部に入っていたが、練習がきついと言ってサボりがちだ。
「玲奈も美術部においでよ。ゆるいよ~。先輩優しいよ~」
「うぅ~。じっと座っているのなんか無理だよぉ。足がムズムズしてきちゃう」
「なによ、それ。結局スポーツが好きなんじゃない」
「ほどほどに楽しみたいんだよ、私は」
ほどほど……か。ほどほどに楽しみたい玲奈に、ゆるい活動が楽しい麻利亜。私にはわからない。そんな程度ならやらなくても同じじゃないの?
「梢は部活入らないの?」
玲奈が笑顔で訊いてくる。
「まぁ、今更だしね」
「まあねぇ。うちみたいに練習厳しいのもイヤだしね」
そんな理由じゃない。うまくなるためには練習が厳しいのは当たり前だ。それの厳しさを楽しめないのは好きじゃないからじゃないの? そう喉元まで込み上げてくるが、ゴクリと唾と一緒に飲み込む。
「そうそう」
私はへらへらと笑って答える。テキトーでお気楽な女子高生を演じる。軽い会話を楽しむ女子高生を演じる。
そう、私は、何も考えていない。なんとなく毎日を過ごしている。悩みなんてない。友達とキャピキャピ楽しければそれでいいの。
「練習が厳しいのと好き嫌いは次元が違うんじゃない?」
私たちは一斉に葵を見る。葵ははっきりした物言いとは対照的に、にこやかな表情だった。
「だって、ほら、好きなことなら練習の厳しさって、逆にやりがいだったりするんじゃない? 私は、中学の生徒会でそうだったけどな」
「やりがいとか、よくわかんないし」
玲奈がチロリと舌を出す。
「私もー」
すかさず麻利亜も同意する。
私は……笑う。何も言わずに笑顔をつくる。笑っておけば大抵のことは丸く収まる。
葵が私の目を真剣な表情で見つめる。
――え?
私が問いかけるように見返すと、葵はふわりと破顔して「だよね」と呟いた。
見透かされている気がした。葵の真っ黒な瞳に見つめられた瞬間、私の演劇に対する思いを語りたい衝動が襲った。――今はもう演劇ができないのに。
時々思う。葵はすべてお見通しなんじゃないかって。はっきり何かを言うわけではないけど、私以上に私の本心を知っているかのような目で……憐れむような目で見ている時がある。
けれど、それ以外の時は常にしっとりと落ち着いていて涼しげだ。学級委員をしているけれど、ちっとも偉そうじゃないし。ま、学級委員が偉いのかどうかはわからないけれど。
学級委員といえば、もう一人の学級委員はあの入江で、二人が並んで議事を進行している姿はちょっと絵になる。担任の古賀先生があんな感じのせいもあると思うけど、一組は学級委員二人の方が一目置かれているんじゃないかと思う。二人が前に立つと、古賀先生のホームルームでは私語が絶えない教室も、ちゃんと聞く体制に入る。「静かにしてください」とか「ちゃんと聞いてください」とか学級委員がよく使いそうな台詞は今のところ聞いたことがない。あの存在感は何なのだろう。
演劇でもそういう存在感を持つ人がいる。発声や動作が大きいわけでもなく、感情の起伏もあまりない演技なのに、その人だけ浮き上がって見える人がいる。いわゆる「抑えた演技」というやつだ。そして、そういう人を「うまい」とみんなは思うのだ。
――それが瑞希だった。
瑞希と主役・準主役を交互に演じてきたが、いつだって、まず感嘆を受けるのは瑞希だった。私が主役の芝居でも。
私はどちらかといえば「頑張ったね」と言われることが多かった。努力を認められたという点では褒め言葉には違いない。けれど、私が欲しいのはそんな言葉じゃなかった。
確かに、「うまいね」と言われたことも多い。迫力がある、はまり役だ、滑舌がよい……。そして、その言外に含まれる感想が私には聞こえた。「力が入りすぎ」。
自覚はあった。けれど、どうすればよかったのだろう。力を抜いた演技とは狙ってできるものなのだろうか。手を抜いた演技との違いが私にはどうしてもわからない。ううん、観ている分にはわかる。瑞希の演技だ。あれこそ、力を抜いた自然な演技だ。他校の演技でも明らかに力が入りすぎている主役がいる。熱は伝わってくるし、それなりに上手いとは思う。けれど同時に、大袈裟で、痛々しい。そして――芝居から浮いている。
私が主役をやってこられた理由の一つでもあると思っている。目立ちすぎるのだ。ある程度演技が上手くて、力が入っていると、脇役では浮いてしまい、芝居全体のバランスを大きく崩すことになる。となると、キャストとして使わないか、目立っても構わない役柄につかせるしかない。
部内のオーディションで、演出や舞台監督がそこまで計算していたかどうかはわからない。それでも、無意識にでもそういう判断が働いていたのは間違いないと思う。
そして、その悪目立ちする半端に演技力のある主役級と渡り合えるのは、本当に「うまい」役者だけなのだ。
瑞希はきっとそのことに気付いていない。才能のある人は、才能のない人のことなど理解できないのだ。才能のない人が才能のある人を理解できないように。
幸いというべきか、私がそのことに気付いたのは最後の発表となったあの県大会だった。もっと早くに気付いてしまっていたら、演劇を楽しめたかどうか自信がない。
気付いたのは、そう、一中……美香の出身校でもある海浜第一中学校の公演を見たからだ。当日になって主役がサブキャストに変わったため、どことなくまとまりのない印象の劇になっていたのだが、あれは主役が力みすぎていたせいだ。急遽与えられた大役に気合が入りすぎているのが伝わりすぎるほど伝わってきた。
無理もないと思う。サブキャストなんて、普段の稽古で代役を果たすくらいしか出番はないのだから。当然、メインキャストと近いくらいの稽古は積んで、通し稽古も行うが、本番での役目はないのが普通だ。いざという時のための代役、なんていうのは建前でしかない。その建前が取り払われた瞬間の気持ちの高まりは想像に難くない。
その点では、一中の彼女の方が私よりマシなのかもしれない。だって、力んでも仕方がない状況だったのだから。誰でもそうなる。
私は……だめだ。
幼稚園のお遊戯会で褒められる子と同じ。「よく頑張ったね。でも、観ている方も疲れちゃったよ」。そういうこと。
――そう。私は、演劇をもうやらないで済む理由を探していた。中庭で入江が言ったように。
*
「ボランティア実習、どこになった?」
玲奈が言っているのは、夏休みに強制でやらされるボランティアのことだ。
ボランティアなのに「強制」とか「やらされる」とは何事だ、と言ってはいけない。だって、本当に有無を言わさずにやらされるんだもん。
我が下郷高校は、勤勉・強調・奉仕を教育理念の三本柱としている……らしい。その一つにボランティアがある。校章もその三本柱を現すラインが頭文字のSを模ったデザインになっている……らしい。そのあたりのことは入学式で校長先生が話していたようだけれど、全く記憶にない。
ボランティアがカリキュラムに組まれているなんて、入学してから、というか最近になってやっと知った。学校案内に載っていたらしいが、それも全く記憶にない。どれも葵から教えられて知ったという有様。
どうやら、私は下郷高校のことをほとんど知らないままに入学してしまったらしい。と、気付いたのも最近のこと。なにしろ、以前の私は演劇のことしか考えていなかったから。それにもかかわらず、演劇部のない高校に入ってしまって、自分のまぬけさ加減に呆れる。
演劇を続けるつもりはあったんだ。本当に。だから、下郷に演劇部がないって知って落ち込んだのも確か。でも。あの日、中庭で入江に言われた一言に、演劇を辞めたがっている自分に気付かされた。
……本当にそうなのかな。
もしかしたら、とっくに自覚していたのかもしれない。だけど、そんなこと認めたくないから……。
自分でもよくわからない。ただ、今は下郷に演劇部がなくて良かったと思っている。あればきっとやりたくなっちゃうから。私は、自分の演技力の限界を知っていながら舞台に立てるほど恥知らずではない。
「私は上町デイサービスになったよ。うちの近くだからラッキーだったかも」
麻利亜は夏が苦手なんだって。ボランティア実習は夏休み中に五日間決められた施設に通うことになるから、確かに遠いとちょっときつい。遊ぶ時間もなくなっちゃうしね。
「それいいじゃん。私はちょっと遠いよ~。学校来る倍は時間かかるかも~」
玲奈はかわいらしくイヤイヤと体を揺する。
「子供相手のところを希望していたら、ひまわり愛児園になったぁ」
「それ、どこにあるの?」
聞けば玲奈の家から学校を挟んで反対側の地域だった。玲奈は海側に住んでいるから、ひまわり愛児園に行くには、バスを乗り継がなければいけない。
「うわっ。全然こっちの都合考えてくれないんだね」
麻利亜が気の毒そうな顔をする。
「でも、一応、子供相手っていう希望は通っているからねぇ」
葵はあくまで冷静だ。
「そうなんだよねぇ。だから喜んでいいのか何だか」
きっと玲奈は自由な時間がほしいんだろう。最近、他のクラスに彼氏ができたらしいから。告られて付き合ったらしいけど、私が見たところ、夢中になっているのは玲奈の方じゃないかと思う。恋愛経験が皆無の私の見方なんてアテにならないけど。
「葵は?」
「私は、老人介護施設まほろばってところ」
「まほろば?」
私もだ。期間はどうだろう。一度に行くのは四、五人だと聞いている。
「いつ?」
「え? もしかして、梢も?」
「そうなの! 私は夏休みに入ってすぐ。いきなりだよ」
「じゃあ同じだ」
やったぁ! これで少しはボランティアの憂鬱さが軽減される。
「じゃあさ、待ち合わせしていこうよ」
「そうだね。帰りにどこか寄ってもいいかも」
盛り上がる私たちに、玲奈と麻利亜が「いいなぁ」と口をとがらせる。
少しだけ、夏休みが楽しみになってきた。
今までは、夏休みと言えば区大会に向けて大詰めの時期で、毎日学校に通っていた。合宿で学校に泊ったり、夜の体育館を貸切で通し稽古をしていたっけ。
だから、何も予定のない夏休みの過ごし方なんて想像もつかない。初めの五日間だけでも葵と会えるのは嬉しい。
けれど、それはまだ先の話。すぐに期末テストもあるし。
そして、もっと気になっていることがある。今週末の城東学院の文化祭。瑞希の学校。うちの文化祭は秋だけれど、城東は春だ。
瑞希はまだ入部したてでキャストになんかなれないだろうけど、演劇部の発表は気になる。高校演劇がどういうものか、実はまだ観たことがない。大会成績のいい城東学院の演劇を一度は観てみたい。演劇はやらなくても、観ることだって充分楽しい。三月以来ずっと会っていない瑞希にも会いたいし。
演劇部に入らなくても、私の高校生活はそれなりに楽しいことが待っているのだ。
次話
「スポットライトに照らされて」全17話