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「スポットライトに照らされて」 10 (全17話)

第三幕 春季発表会


「……どうするのぉ? これ」

 美香が一冊の古い台本を差し出してくる。

「どうするって、棚に戻しておくしかないんじゃないの?」

 私は受け取らない意思を示すために後ろ手を組む。

「梢が春季発表会の脚本を決めようって言うから、古い脚本を見ていたんじゃなーい」
「だって、せっかく部室にたくさん脚本があるんだから、きっと人数の合うやつがあると思ったんだもん」
「それでこんなの見つけちゃって、どうするのよぉ?」
「見つけちゃったのは美香でしょ?」
「だって脚本の棚に入っているんだもん」

 美香が台本を両手で持って、私の方に表紙を向ける。

   高等学校演劇発表会 上演台本
   『明日の風』(原作『風と共に去りぬ』)
   作・城東学院演劇部

 「でもって、どっちかと言うと、問題はこっちの方だよねぇ」

 美香は台本を私の方に向けたまま、くるりと裏返す。無地のはずの裏表紙にはサインペンで書きなぐった文字。

   下郷に勝てると思うな!

 これをどう受け止めればいいのだろう。どう見ても下郷高校の演劇部が城東学院に嫌がらせをしたとしか思えない。城東学院はライバル校だから気持ちがわからないでもない。あ、いや、嫌がらせをする気持ちじゃなくて、熱すぎる対抗心のことね。

 でもわからないこともある。
 まず、下郷高校に城東学院の台本が保管されている意味。
 

「なんで城東学院の脚本がうちにあるの?」私が言えば、美香は「いやいや」と、首を振る。
「そもそも、なんで他校の台本ホンに落書きできたの?」
 ごもっとも。もっと突き詰めれば、こんなことをしてなんになるのか、ってことも疑問。

 表紙にきれいな楷書で書かれた名前は「海堂沙織」。

 美香がパラリと表紙をめくる。私は手を出さずに覗き込む。
 配役表のトップに書かれているのは、当然スカーレット。キャストは海堂沙織。

「……なんだか、すごいことになっているね」

 美香がそのページから怨念が立ち昇ってくるのを避けるように、慌ててページを閉じた。
 ライバル校の主役の台本に嫌がらせの落書きをするって、どういう神経よ? もう、本当に怖すぎる。
 これで下郷高校演劇部が活動休止に追い込まれたのは間違いないだろう。でも、経緯がわからない。

 部室のドアがガチャリと開いて、古賀先生が首だけ突き出して覗き込んできた。

「どう? やってる?」

 私たちは慌てて、ホンを背中に隠した。入口に向かって背筋を伸ばして起立する私たちを見て、古賀先生は「おっ、お出迎えご苦労」とご満悦だ。
 よく考えれば、古賀先生相手に隠す必要はないのか。そう気づいたけど、初めに隠してしまったせいで、取り出すタイミングがわからない。

「俺、約束は守る男だから」

 古賀先生はなにやら自信満々でジャーンと口で効果音をつけてドアを全開にした。すると、そこにはうつむき加減のリス先輩とキリン先輩がいた。

「あ」

 美香と私の声がきれいにハモる。
 約束って、あれか。活動休止の理由。二学期になったら教えてくれるという約束。
 うん、たしかに今は二学期。たしかに先生は二学期のいつとは言わなかった。でもさぁ、夏休み中に「二学期になったら」って言われれば、二学期入ってすぐのことだと思うじゃん。もう二学期も終わるけど。それでも約束を守ったって言えるのか?
 そう言ってやりたいけど、文化祭の時からなんとなく気付いていたし。古賀先生から説明が得られるなんて、とっくに期待していなかったし。だからいいんだけど、べつに。
 ただ、このタイミングで連れてくるかなぁ?

 隣では美香が背中に隠した台本を持て余して、クルクルと筒状に丸めている。この城東のホンを見つけたことは先に言うべきか、知らないことにしておくべきか……。

「これで約束は果たしたから。じゃ、あとはよろしく!」

 古賀先生はリス先輩とキリン先輩の頭をポポンと叩いて去っていく。
 あんたが説明するんじゃないんかいっ! ちっとも約束果してないじゃんっ!

「……」
「……」

 私たちは二対二で向き合ったまま立ちすくむ。
 なんか、言わなくちゃ……。

「えっと……散らかっていますけど、上がってください」

 ――って、私ったら、なに言っているのよ! どっちかって言ったら、先輩たちがホストでしょ!

「……はい。おじゃまします」

 先輩たちは気を悪くした様子もなく、脱いだ上履きを揃えて部屋に上がった。

 リス先輩とキリン先輩はそれぞれ「佐藤ありす」と「黒木凛」と名乗った。
ん? 「さとうありす」に「くろきりん」? ――おお! 二人とも名前の末尾がリスとキリンだ! こりゃすごい。
 この発見を美香に話したくてウズウズする。

 が、美香はバンッと机に例のホンを置いた。
 えっ? いきなりいっちゃう?

「あのぉ、さっき、これを見つけたんですぅ」

「ああ」と呟いて、キリン……じゃなかった、凛先輩が例の台本を手に取る。そして、そこになにがあるのかをわかっている様子で、裏表紙を見る。ありす先輩もサインペンの文字を見つめる。

「あれから二年か……」

 黒木先輩が小さな声で呟くと、隣でありす先輩がやはり小さく頷いた。
「正直、私たちもなにがあったのか、よくわからないの」そう言って口をつぐんでしまう。
 凛先輩は、たれ目なのに眉尻を下げて申し訳なさそうな表情をするから、なんとも情けない顔になる。

「でも、話すためにここに来たんだから」

 ありす先輩が「そうだよね」と凛先輩の顔を覗き込む。凛先輩が答えたのを確認して、ありす先輩は台本を手に、口を開く。

「二年前の地区大会でうちと城東学院は同じ会場だったの」

 いきなり直接対決? 

「発表は二校とも二日目だった。順番は城東学院が十番目で、下郷高校が十一番目のトリ」

 地区大会からは上位二校が県大会に進めるから、順当にいけば下郷高校と城東学院が最優秀賞だったのだろう。でも、もちろん、そんなのは確実じゃない。一年経てばメンバーも入れ替わって、急に上手くなる学校もある。中学演劇だってそうだった。

「一日目の最後の学校がすごくよかった。ミュージカル調で、歌もダンスも上手かった。先輩たちが言うには、その学校は前の年までは顧問が書いた創作劇をやっていたらしいの。でも、その顧問が異動になって、初めて生徒だけで作った劇だったんだって」

 どの部活でも似たようなものなのかもしれないけれど、強い学校というのは傾向がある。

 ひとつは、顧問が神のところ。脚本、演出を顧問がビシバシと指導する。演劇部っていうのは、ただでさえ運動部寄りの体制が多い中で、そういう学校は完全に体育会系。絶対君主制。返事とかすごい揃ってて、軍隊かよ、と思う。見ていてちょっと怖い。

 もうひとつは、すっごく偏差値の高い進学校の賢そうな人たちで作っているところ。そういう演劇部は卒業後も同じ仲間で演劇続けていて、プロの劇団になっているところもある。劇団員はドラマや映画で活躍していたり。

 あとは、こう言っちゃなんだけど、まぐれ当たりみたいな演劇部。だいたい、学校の演劇なんて、主役と準主役が上手ければ結構いい劇になる。その年にいい人材が二,三人いれば期待できる。たぶん、その学校っていうのがこのタイプだったんだろう。

「そして、二日目にこのホンが見つかったわけ」

 ありす先輩が話しながらホンを手のひらで押さえつける。

「各校に楽屋として教室がひとつずつ与えられていたんだけど、いきなり城東学院の人たちがうちらの楽屋に怒鳴り込んできたの。『どういうつもり?』って、このホンを突き付けて」

 そこまで話すと、ありす先輩は凛先輩を見て「ね?」と同意を求めた。凛先輩は頷いて話を引き継ぐ。

「書いてある内容からはうちが書いたとしか思えないでしょ?」

 疑う余地はない。だって、はっきりと「下郷に勝てると思うな!」って書いてある。どう考えたって第三者のはずがない。
 しかも、その台本の持ち主、海堂沙織が犯人らしき人を見ていたらしい。城東学院のみんなが準備で楽屋を出払っていた時に、たまたま戻ってきた海堂沙織の目の前で、下郷高校の制服姿が出てきたと言うのだ。なんで他校の楽屋に入っていたんだろう、と思ったそうだ。その直後、自分の台本に脅迫めいた落書きをされているのに気が付いた。

「私、あの時の海堂さんの言葉、今でも覚えている」

 凛先輩が苦しそうに言った。

「『当日だからもうホンは使わないけど、それでも当日にボロボロのホンを手元に置いておくこの気持ちはわかるでしょ? そのホンにこんな……!』って言ったの」

 台本は相棒だ。
 もちろん初めは丁寧に扱っているけど、毎日何度も開いていれば当然ボロボロになる。丸めた跡がついたり、角が小さく折れ曲がっていたり、紙の繊維が浮き上がって毛羽立っていたり。開けば立ち位置やきっかけ、ダメ出しされた内容なんかがちまちまと本人にしか読めないような文字で書いてある。
 それは自分がこの劇に関わってきた軌跡みたいなもので、愛着は半端じゃない。

「でもね」ありす先輩がドスの効いた声を出す。この声の重さで、怒りと悔しさを抑えている。

「下郷高校の誰もやっていない。だって、誰も名乗り出なかったの」

 それは……下郷高校がやっていない、ってことではないんじゃないかな。だって、言えないでしょ。自分がやりました、なんて。言えるくらいだったら、そんな姑息な真似しない。

 その場は「やった」「やらない」の言い合いになって、双方の顧問が騒ぎを聞きつけてやって来た頃には、発表中の学校以外の全生徒がこの事件を知っていたらしい。
 そりゃそうでしょ。ほとんどが女子の集団なら、こんな情報は一瞬で広まる。

「そして……」

 ありす先輩はゴクリと唾を飲み込んで、乾いた唇をペロリと嘗めた。

「――古賀先生が下郷高校の出場自粛を宣言して、ようやくその場が治まったの」

 下郷高校がライバル校に脅迫めいた嫌がらせをした。しかも犯人は名乗り出ない。どうみても下郷高校の分が悪い。こうなったら、罪を少しでも軽くするためには、いかに早く謝罪するかにかかっている。
 話を聞く限り、古賀先生は頼れる顧問だったようだ。当時は。

「古賀先生は正直に名乗り出るまでは活動休止だ、って激怒しているし」とありす先輩。
「先輩たちは、なんで信用してくれないんだ、自分たちじゃない、って言い張るし」と凛先輩。
「……えっとぉ~」美香が斜め上を見つめながら人差し指をクルクル回す。
「その状態が現在も継続中……なんてことはないです……よね?」
「……ごめん」先輩たちの声がそろう。
「うそでしょ? なんなのよ、それ。しっかりしてよね」
「梢、心の声、口に出てる」
「あ、すみません」
「本当にごめん……」先輩たちは頭を下げる。

 そんな対立した状態のまま先輩たちは卒業していったんだ。ありす先輩や凛先輩も同じように卒業していく。下郷高校演劇部として一度も舞台に立たないまま。

 部室の空気が濃度を増している。吸い込む空気に重さがある。こってりと、ずっしりとした空気を大きく吸い込む。知らぬ間に息を止めていたようだ。
 いつもなら、そろそろ美香が能天気な声で空気を変えてくれる頃なんだけど……。期待して美香を見ると、眉間に皺を寄せて固まっている。

 私には美香みたいに一瞬でみんなの気持ちをほぐす術を持ち合わせていない。発想が柔軟じゃないことは自分でわかっている。
 本番でのアドリブもきかない。アドリブに見せかけるための台詞を事前にいくつも用意してしまう。だから、どうしても相手役の台詞に新鮮な反応を返せない。相手が話し終える前に、自分の言うことが決まっていることを感じさせてはいけないのに。
 中学の頃もよくダメ出しされたことだ。相手の台詞を聞いてから答えていない、って。なにもタイミングのことだけを言っているわけではない。それならちゃんと一息おいてから台詞を言っている。でも、そういうことじゃないんだ。うわの空で相槌を打つような、そらぞらしい返答になってしまう。そんなこと、演出に言われなくたってわかっていた。だったら直せばいいのに、どうしても直らなくて、気にすればするほど演技がわざとらしくなっていった。
 そして、それを誤魔化すための演技だけが上手くなって、そのことが私の演技自体を褒める言葉になっていった。なにがいけないんだろう。私にはなにもない。演劇をこんなに好きなのに、そのための力がなんにもない。

 ありす先輩と凛先輩の代であの事件の関係者はいなくなる。だから古賀先生は私たちが活動することを認めてくれたのかもしれない。
 二年前の真相はもうわからない。ありす先輩や凛先輩だって、本当のことはなにもわからないだろう。入学した年の夏の大会だったんだから。
 そう考えると先輩たちが気の毒だ。だって、自分とは関係のないところで事件が起こって、自分とは関係のないことで活動休止になって、結局は演劇部としての活動をしないまま卒業を目前に控えている。演劇がやりたくて入部したのに。

 ――ああ、だからか。

 だから、毎日中庭にいたのか。あの野外ステージのような中庭に。
 春に美香と演劇部をつくろうと話していたのを、どんな気持ちで聞いていたことだろう。秋に文化祭の練習をしていたのを、どんな気持ちで見ていたことだろう。
 先輩たちだって、演劇をやりたかったんだ。キャストだろうがスタッフだろうが、一度でも本気で演劇をやったことがあれば、もう辞められない。

 だけど、受験を控えた先輩たちと一緒に演劇をやることはない。
 この人たちは、あの事件に関係ないし、こうして演劇部という存在を残してくれた。責めていい対象じゃない。
 ああ。私ってば、ひどいこと言っちゃった。まあ、声に出すつもりはなかったんだけど。「さっきはすみませんでした」そう言えばいいだけなのに、間が開いちゃって言い出せない。

 みんな口をつぐんで、うつむいている。それぞれの思いに浸っている。けして心地いい思い出はないのに、抜け出せずにいる。
 美香は当てにできない。私も役に立たない。となると、残るは新入部員ただ一人。遅れてくるとは言っていたけど、まだ来ないのかな。空気を変えてほしい。

「遅れてごめーん!」

 ドアが開くと同時にカラリ晴れ渡った声が飛び込んでくる。
 やっと来た。助っ人登場。

「ねぇねぇ、すごい噂、聞いちゃった~。二年前の演劇部脅迫状事件って知ってる?……って、お客さん?」

 ……葵、あんた、最悪だよ!

 私たちは今日もミルクティー片手に脚本を読み漁っている。新生演劇部の初舞台となる春季発表会の脚本選びのためだ。

 あれからたまに先輩たちは予備校に行く前に、缶のホットミルクティーとかを差し入れてくれる。秋風が吹き抜ける山の斜面の部室は既に冷える。先輩がいるありがたみをしみじみと感じる。おっと、物質的なことじゃなくてね。精神的にね、精神的に。もちろん、温かい飲み物も嬉しいけど。

 葵は、例の事件について知っても大した反応は見せなかった。「ふーん。そうなんだ」と、どうってことないような相槌を打っただけだ。本番前にあんなことをされた城東学院がどれだけ動揺したかとか、下郷高校の誰かのせいで部員がどれだけプライドを傷つけられたかとか、ちっともわかっていないようだった。
 演劇をやってこなかった人にはわからない感情なのかもしれない。

 葵は文化祭直後に入部した。『銀河鉄道の夜』の本番に立ち会えなかったことで不完全燃焼らしい。「灰になるまで演劇に燃える」と宣言した。
 とはいえ、当初の予定通り、葵は生徒会選挙で当選し、部活にどっぷり浸かるわけにはいかなくなった。そうなると葵は「灰にはなれなくても炭になれればいいや」と微妙な妥協をした。

 葵が入ってもキャストは三人。やりたい脚本ではなく、三人でできる脚本を探さなくてはならない。

 窓の外の色が地味になっている。ここの山には桜も紅葉もないらしく、赤く染まる木はほとんどない。黄色が少しと、あとはカサカサの茶色。あんなに鮮やかで生き生きとしていた山の景色は瞬く間に静かで寂しげになってしまった。それに反して風の香りは深みを増し、大きく息を吸い込むと、わけもなく涙が溢れそうになる。

「三人でできる劇ってないもんだね」

 葵が飲み干した空き缶をゴミ箱に捨てながらため息をつく。

「部員の少ない学校って、結構あるはずなんだけどなぁ」

 私は読みかけの脚本を閉じて伸びをする。うーん、首が痛い。

 今読んでいたのは戯曲選で、高校演劇の全国大会出場校の脚本がまとめてある。生徒創作のもの、顧問創作のもの。今では劇団の主宰者になっている人が高校時代に書いた脚本まで載っている。だけど、なんだかピンとこない。それもそのはずで、奥付を見ると一九八八年初版となっている。古っ! 私たち、生まれてないよ。
 シリーズで二十冊くらいあるけれど、どれも創作だけあって、アテ書きなんだろうなと思わせる。書いている時から、この人にこの役をやらせよう、って決めているんだからその学校でやらなきゃ意味がない。

「面白いと思うのは、時間調整のためにカットしなきゃいけないしね~。でも完成した脚本に必要のないシーンや台詞なんてひとつもないよぉ」

 美香が開いているのは人気のプロ劇団の脚本だ。高校演劇は大会でも発表会でも上演時間は六十分だから、自主公演でもない限り、そのまま使うことはできない。プロの作品を削るなんて恐れ多い。そりゃ、そういうことをやって、県大会やブロック大会まで進む学校もあるけどさ。

「ねえ、古賀先生に書いてもらえばいいんじゃないの?」

 葵が簡単な解決法だと言わんばかりに軽く提案する。

「え~? 古賀センセ~?」

 美香の言外には当然「書けるわけないじゃん」が含まれる。もう口調からしてそう言っているようなもの。まったくもって同感だ。
 まーね、古賀先生も一応顧問だし、国語の先生だし? でもこの新生演劇部をサポートしてくれたことはない。これからも期待できないでしょ。
 古賀先生を完全戦力外扱いの私たちに、葵は巨大爆弾を投げつけた。

「だって、今までは古賀先生が脚本・演出だったんでしょ?」
「え?」私と美香の視線が葵に向けられる。
「古賀先生の絶対君主制で大会勝ち進んでいたんでしょ?」
「ええ~?」立ち上がる私たち。
「他校でも下郷高校の顧問って言ったら厳しくて有名だったんでしょ?」

 立ち上がったまま硬直する。固まった首をギコギコと動かして、美香と目を合わせる。美香はなぜか泣き出しそうに瞳を潤ませている。
 たしかに、県大会以上に進む学校の中にはそういうところが少なくない。それは中学校演劇でも同じだった。しっかりとした顧問の指導の下、いかに生徒たちがついていけるかにかかっている。
 でも、まさかウチが? 葵は演劇部に入ったばかりだから、古賀先生のいい加減さを知らないんだ!

「ありえない、ありえない。なにかの間違いだよぅ~」

 両手をバタバタ振る美香。私は恐る恐る尋ねる。

「――して、その情報は、いったいどこから……?」

 信憑性を疑う私たちに、葵は不思議そうな顔で答える。

「どこって……普通に、ありす先輩と凛先輩だけど?」

 ……確かな情報筋じゃん。
 ――いったい、どこで、どうなっちゃったんだ? 古賀先生よ……。

「……それで、なんで俺のとこに来るわけ?」

 入江は読んでいた本に栞を挟んで閉じると、あからさまに迷惑そうな顔をした。 昼休みの教室の片隅で、私、美香、葵の三人は入江を囲んでいた。

「えっと、脚本をね、書いてくれないかなぁ、なんて思って」

 私は珍しくちょっと高めの声を出し、軽く首を傾げてみる。
 さすがに古賀先生には頼みづらい。本当に絶対君主制の顧問だったなら、この変わり様はなんなの? なに考えているのか、わからない。

「だから、それでなんで俺なわけ?」

 相変わらず不機嫌な声で答える。
 ちっ。私がちょっとかわいらしく下手に出たくらいじゃ駄目か。それならばと、あっさり作戦を諦めて、いつもの調子でお願いする。

「けち。ちょいちょいっと書いてくれればいいじゃん」
「ばーか。全然答えになっていないだろ。しかも、ちょいちょいと脚本が書けるかよ。話にならない」

 これで話はおしまいとばかりに、読みかけの本に手を伸ばす。その本を葵がサッと取り上げる。

「『銀河鉄道』の時はすぐに書いてくれたじゃん」
「あれは、誰も書くやつがいなかったのと、原作から台詞部分を抜き出すだけだったからだよ」

 なにさ。葵への返事はまともじゃないの。

「だってぇ、入江くん、文芸部でしょ~?」

 ああ、美香は甘えた話し方が板についている。私もこんな口調で話せたらなぁ。

「文芸部ったって、部誌とか作っていないし。だいたい、俺、書くために入ったんじゃなくて、文芸部の蔵書に惹かれて籍置いているだけだから。貸出期間も冊数も限度がないなんて、図書室や図書館より条件いいからな」

 もう。美香にもちゃんと返事しているし。私にだけ反抗的って、むかつく。

「あれあれぇ~? 入江ちゃん、ハーレム状態じゃん。あ、それとも、いじめられているの? じゃあ、俺のこともいじめて、いじめて~」

 私と美香の隙間をかき分けるようにして、北山が割り込んでくる。

「また、あんたか」

 私が、北山の制服の襟をつまみ、首根っこを掴むように引きずり出そうとすると「あ~れ~」と変な声をあげる。この猿、面倒くさいな。
 美香は「北山くん、おもしろーい」と笑ってあげている。優しいな、美香は。でも、こいつはすぐ調子に乗るからやめなさいね。
 入江は北山のことはちらりと見ただけで、葵の手から本を取り返した。

「第一、古賀先生に頼めばいいだろ? ずっとそうしてきたんだから」

 ――ん? あれ?

「入江」

 葵がスッと目を細め、冷たい声を出す。

「どうして、それを知っているの?」
「え? なにが?」
「どうして、今まで古賀先生が脚本を書いてきたことを知っているの? 私たちだって、最近知ったばかりなのに」
 入江が「やべっ」と小さく毒づく。

 いや、でも、入江が知っていても不思議じゃないかも。だって、萌先輩から聞いているのかもしれないし。強かった頃の下郷高校演劇部は顧問が作・演出だった、って。

「そういえばぁ、古賀センセが顧問だってわかったらぁ、すぐに演劇部って言っていたよね~?」

 北山の相手をしていた美香が、クルリと振り向いて口をはさむ。よくこっちの話を聞いていたな。

「ほらぁ、活動初日に、先生がこの教室に来て――」
「ああ!」

 思い出した。それで、古賀先生が「よくわかったな」って言ったら、「姉が城東学院なもので」とかなんとか答えたっけ。その時、古賀先生の表情が変わったんだ。一瞬だけ真面目な顔になって、不覚にもその顔が知的でちょっといいな~なんて思ってしまったから、間違いない。

「それは、ほら、姉ちゃんもライバル校の顧問くらい知っていたんだろうね。その話を聞いたことがあったんだな、たぶん」

 入江は妙に説明的な言い訳をした。
 けど、まあ、そういうことで辻褄が合うんじゃない? なんかすっきりしない気もするけど。

「入江の姉ちゃんって、下郷の演劇部が強かった頃にライバルだったんだ~。すげーな」

 またもや首を突っ込んでくる北山を肘で押しのける。

「いちいち騒がしいのよ、あんたは」

 あれ? でも、待って。萌先輩は私たちの一学年上なだけだよね? 脅迫状事件の時はまだ中学三年生だったはず。

「……城東学院ではあの事件が語り継がれているってこと?」

 もしかして、うちの演劇部って、いまだに恨まれている? だとしたら、このまま春季発表会とか、ましてや大会なんて出て大丈夫なんだろうか。ここで活動を再開することで、せっかく活動休止で幕引きされた事件を蒸し返すことにならないだろうか。

「なになに? 俺にも教えてよ~」

「うるさいっ!」私、美香、葵そして入江の声が重なった。

 なにもわからずに、すごすご去っていく北山。その背中を見て、ようやく我に返る。北山、すまぬ。あんたに罪はない。

「木内」

 放課後、部室へ向かうためピロティへ降りようとしたところで、後ろから声をかけられた。振り向くと、声をかけたくせに急ぐでもなく悠々と歩いてくる入江が見えた。近づいてくるのを待っていると、グラウンドから怒鳴り声が聞こえてきた。

「北山ぁ!」

 入江と顔を見合わせ、プッと噴き出す。あいつ、またサボっているな。

「北山、毎日バーを独占するな!」
「へーい」

 バーとは走り高跳びのバーだろう。北山は高跳びの練習をやりすぎて怒られているってこと?

「……サボりじゃないんだ」
「練習しすぎで怒られるって、なんだよ」

 入江も呆れ顔で笑う。

「そういえばあいつ、誰かにガツンと言われたらしいな」
「え?」
「本気でレギュラーとってみろ、って言われたらしいよ。サボって補欠で自慢するな、って」

 なんか微妙に違うけど、それって、私が言った台詞だよね?

「本気を恥ずかしがるのはバカでカッコ悪いってさ」

 そんなこと言ったっけ? まあ、似たようなことは言ったな。

「なんでも、そいつの一生懸命さに影響されたみたいだな」
「……」

 北山って、なんというか……単純で、もとい、素直でかわいい猿ではないか。

「でもさ」

 入江はグラウンドを眺めながら語り続ける。視線の先にはトラックを走る北山が見える。

「少しわかるんだ。頑張っているヤツを見ていると、元気が出る。俺も頑張ろうって思うんだ。――だけど、情けないことに、頑張りたいものがないんだな、これが」

 そういうものだろうか。私は気が付いたときにはもう演劇にのめり込んでいた。だからやりたいことがない人の気持ちはわからない。
 ああ、でも、将来の夢がないのと似ているかも。小学校や中学校の卒業アルバムに乗せるとかで全員書かされたけど、そんなもんあるか、って思ったな。やけに沢山なりたいものがある人もいたけれど、私は結局思いつかなくて公務員って書いた。そしたら、クラスの半分近くが公務員って書いていて、みんなで笑ったっけ。

「――だから、お前の頑張りに便乗させてもらうことにした」
「へ?」
「脚本、書くってことだよ」
「本当?」
「原稿料とるぞ」
「なにそれ。お金とるの?」
「金払えとは言わないよ」
「じゃあなに、ラーメンおごれとか?」
「なんだよ、それ」
「だって、ウチの男子って、なにかというと、ラーメンおごるって言っているじゃん」
「そんなこと……あるな」
「でしょ?」

   水馬あめんぼ赤いな あいうえお
   浮藻に小エビも泳いでる
   柿の木栗の木 かきくけこ
   キツツキこつこつ枯れけやき

 部室の方から発声練習が聞こえてきた。

   大角豆ささげに酢をかけ さしすせそ
   そのうお浅瀬で刺しました
   立ちましょ喇叭らっぱで たちつてと
   トテトテタッタと飛び立った

「もう行かなきゃ」
「うん」

   蛞蝓なめくじのろのろ なにぬねの
   納戸にぬめってなにねばる
   鳩ポッポほろほろ はひふへほ 
   日向ひなたのお部屋にゃ笛を吹く

「脚本の件、ありがとう。みんなも喜ぶよ」
「内容については木内たちの意見を聞きながらになると思うけど、脚本の書き方とかは姉ちゃんに教えてもらうよ」
 萌先輩か。城東学院との関係もちゃんと向き合わなくちゃ。
「私たちも三人でなにができるか考えてみるね」
 入江は右手を軽く挙げると背を向けた。

   まいまいネジまき まみむめも 
   梅の実落ちても見もしまい
   焼栗ゆで栗 やいゆえよ 
   山田に灯のつくよいの家

大股のきれいなストロークで歩く後ろ姿が校門の向こうに消えていく。

   雷鳥は寒かろ らりるれろ 
   蓮花れんげが咲いたら瑠璃の鳥
   わいわいわっしょい わゐうゑを 
   植木屋井戸がえお祭りだ

 入江の姿が見えなくなると、ようやく私は部室へ足を向けた。


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