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「スポットライトに照らされて」 11 (全17話)

 ……どうしたもんだろう。

 私は部室のロッキングチェアの上で体育座りをしてゆらゆらと揺れている。

 パラリ。

 紙をめくる音がする。

 三学期になるとさすがに先輩たちは顔を出さなくなり、温かい飲み物にありつけなくなっている。常緑樹の少ない山は茶色い葉すら残っていない。空一面に薄い灰色の雲がかかっていて、寒さを際立たせる。

 パラリ。

 ゆらゆらし過ぎて気持ち悪くなってきた。ロッキングチェアで乗り物酔いって聞いたことないよ。……うっぷ。
 うーん。自分で温かい飲み物、買ってこようかな。でも、吹きさらしのピロティを通るのが寒いんだよねぇ。葵はまだ生徒会終わらないのかな。こっちに来るときに飲み物買ってきてくれないかな。

 パラリ。

 美香が紙をめくる音だけがやけに大きく響く。

 今朝、ホームルームが始まる直前に、入江が無言で紙の束を置いていった。黒いダブルクリップで留められたそれは中を開くまでもなく脚本だとわかった。ホームルームが終わると同時に入江の席まで行ったが、私が口を開く前に「まず読め」と視認できそうなほど固い四文字を投げつけれて、おとなしく自分の席に戻るしかなかった。
 読めといわれたから、一時間目の授業はホン読みの時間とする。どうせ古賀先生の現国だ。雑談ばかりでたいして内容はない。

 読み終えてまず思ったこと。……どうしたもんだろう。

 もう入江に声をかける気はなくなっていた。これは葵と美香に読んでもらってからでないとなにも言えない。
 葵は昼休みに読んだ。そしてやはり私にも入江にも声をかけずに教室を出て行った。
 そして今、その脚本は美香の手にある。

 バサッ。

 少しだけ大きな音がした。机には閉じられた紙の束とうつぶせに倒れる美香の姿。

 なんか言え。感想を言え。なんでもいいから口を開け。

 私の怨念が届いたのか、美香がガバッと勢いよく頭を上げた。

「なんなのよぉ! これ~!」

 だよね、だよね。そう言いたくなるよね、これを読んだら。

「入江くんったら、春季発表会の会場が城東学院と一緒って知らないのぉ?」
「知らないはずないよ。私、だいぶ前に言ったし。萌先輩からも聞いていると思うけど」
「それでなんでこんな脚本書くのよぉ?」
「私に言われても……」

「――遅れてごめん」

 葵が入口に立っていた。随分と静かに入ってきたもんだ。

「あ、お疲れぇ~。生徒会、終わったのぉ?」

 美香が椅子に腰かけたまま大きく手を振る。

「終わってはいないんだけど、今日は早退させてもらった」

 そう答えながら、私に向かってヨッと片手を挙げる。私も同じ動作を返すが、葵はもうこっちを見ていない。

「で? どうする?」

 ドカッと帰宅したてのお父さんのような態度で椅子に座る葵。

「どうしたもんだろう」

 私は今日だけで何度も心の中で呟いた言葉を口にした。

「どうしよっかぁ……」

 美香は今しがた読んでいた紙の束をそっと遠のける。おいおい、そんな危険物扱いしなくても。
 でも、確かに入江の書いた脚本は危険物だった。

 創作脚本はある程度ジャンルというか傾向みたいなのがある。
 顧問創作の場合は、なんだかやけに難しい不条理劇とかいうやつ。なにが言いたいのかさっぱりわからない。でも、そういうところのキャストはめちゃくちゃ上手い。ストーリーがわからないのに、演技が上手いというのはわかる。変だけど。
 生徒創作だと、原作があるもの。文化祭で私たちがやったようなやつ。それとか、昔話や有名な話のパロディとか。「シンデレラ」がギャルだったり、「かちかち山」のその後、みたいなやつ。あとはファンタジー。ファンタジーって言っても、異世界とかじゃなくて、あ、異世界ではあるんだけど、剣とか魔法とか戦いじゃなくて。そうそう、イメージとしては「不思議の国のアリス」みたいな感じ。
 それと、意外と多いのがリアル系っていうのかな、高校生の話。イジメとか自殺とか進路の悩みとか。正直、あまり面白くない。だってそんなの毎日身近にあるし。
 でもって、入江の書いてきた脚本は最後のやつ。

「こういうのって、ありなの?」

 葵が視線だけで脚本を指す。

「まあ、リアルな高校生の話っていう意味ではありだよね」

 同意を求めるために美香を見やると、難しそうな顔をして頷いた。

 そう、ありなんだよね。こういうのも。セットも衣装もメイクも楽でいいんだけど。いや、観ている方が面白くないんじゃないかとか、そういうことでもないんだな。

「これをやるとなると、ちょっと怖いんだけど……」

 美香が、孫の手で紙の束をこっちへ押しやる。その孫の手、どこから取り出したのよ。思いもしないものが突然出現するのが演劇部部室の恐ろしいところ。そもそもどんな劇なら孫の手なんて小道具が必要になるわけ?
 私は近づいてきた紙の束を人差し指と親指の指先でつまみ上げる。しかもダブルクリップのところ。
 表紙がこちらを向いている。入江ったら、作は自分の名前いれなさいよ。それから題名もストレートすぎやしない? それよりなにより、問題は内容なんだけどさ。――まったくもう。勘弁してよね……。
 私は表紙を美香と葵の方に向ける。ふたりそろって顔をそむける。

   高等学校演劇 春季発表会
   『演劇部脅迫状事件』
   作・下郷高校演劇部

 ……さて、どうしたもんだろう。

「おーっす。やってるかぁ?」

 部室のドアが開くと同時に古賀先生が入ってくる。

「おわっ!」

 私たちはあたふたと両手をばたつかせ、席を立ちあがり、足踏みをしながら左右をきょろきょろする。これ以上ないくらいの無駄な動きだ。

「なんだそれ? 新しい基礎練か?」

 ひぃ~。普段は全然来ないくせに、なぜこのタイミングで来る? あたふた、あたふた。

「はーい、ストップ」古賀先生が手をひとつ叩いた。
 私たちはピタリと動きを止める。三人とも曲げた手首を肩の辺りまで挙げ、鳥の真似でもしているような情けない恰好で静止している。悔しい。条件反射だ。思わず止まってしまった。
 稽古中に演出が止めたい時には「はい、ストップ」と言いながら手を叩く。さすが腐っても顧問。演劇部員の習性をよく理解している。

「ああ、これか」

 古賀先生が私の片翼から脚本を取り上げる。

「あ」

 とっさに取り返そうと手を伸ばすと、その手を取って握手してくる。なんのこっちゃ。

「まあまあまあ……」

 古賀先生の座れというしぐさで、私たちは長机を囲んで席に着く。お誕生日席に古賀先生が腰を下ろすと、私たちは姿勢を正して先生を見つめた。当の先生は「俺の授業もそれくらい真剣な姿勢をみせてくれたらなぁ」とかぼやいている。

「――ほれ」

 古賀先生がポケットからくしゃくしゃの皺だらけの紙を机に置いた。古い映画やドラマに出てくるような脅迫状。何かの印刷物から一文字ずつ切り取って貼り付けてある。文字によって大きさや色や形がばらばらだ。

 なに? この「ザ・脅迫状」って感じのものは。

 葵が恐ろしくゆっくりとした動作で、皺を伸ばす。ばらばらの文字が文章になっている。

   下 郷 高校 ワ 本 大会 を 辞退 す べ し
   さも なく バ 必 ズ 後悔する

 うっ。これって……。

「入江が俺のとこに取材にきたぞ」

 古賀先生はこの脅迫状には触れず、そんなことを言いだした。

「この脚本を書くために知りたいことがあるってな」

 知ってたんだ。古賀先生は入江がこの脚本を書いていることを知っていて黙っていたんだ。なぜ止めなかったのだろう。この脚本が完成しているということは、古賀先生はその取材に応じたということになる。

「三年生の二人にも聞いていたみたいだぞ。この寒いのに中庭で真剣な顔して話していたからな」

 冬の間はどこにいるのか知らないが、凛先輩・ありす先輩と入江は中庭ランチ組だ。文化祭でもお世話になっているから、入江が先輩たちと顔見知りでもちっともおかしくはない。
 それにしても。と、改めて古賀先生を見る。椅子にふんぞり返って、大口を開けてあくびをしている。
 古賀先生はよく見ている。いい加減なようでいて、結構周りに気を配っている。文化祭の時といい、今回といい、生徒たちが何をしているかをちゃんと見ている。生徒本人が知らないところで。
 このだらしなさ、いい加減さはポーズなのかもしれない。かつての演劇部を指導していた姿こそ本来の古賀先生なのかもしれない。なにか思うところがあってこんなキャラになっているのではと思うのは、さすがに買い被りだろうか。

「やってみれば?」

 古賀先生は両腕を頭の後ろに回し、天井を見上げながら間延びした声を出す。

「……いいんですか?」

 葵がお伺いをたてるというよりも挑むような強い口調で尋ねる。

「ダメな理由なんてある?」
「城東学院と同じ会場なんですけどぉ?」

 美香が座り心地悪そうにモゾモゾ動きながら問う。

「だから?」

 質問を跳ね返された葵と美香が「後は頼む」とばかりにこちらを見つめる。はいはい、わかりましたよ。ここはもうはっきり言うしかないのよね。

「古賀先生はウチに犯人がいると思っているんですよね? だから活動休止にしたんですよね?」
「……」
「……先生?」

「――俺はさ」

 いつもより低い声。大人の男の人の声。「俺はさ」と言っただけなのに、ゾクリと背筋に寒気が走る。
 古賀先生が頭の位置を戻し、私たちの顔を順番に眺める。古賀先生って、こんな怖い顔をしていたっけ? 深い洞窟を覗き込んだような不安にも似た空恐ろしさがある。

「あの時のことを反省――いや、後悔しているんだよ」

 古賀先生が低く太い声でそう言った時、部室の蛍光灯の照度がわずかに落ちた気がした。

 春休みに入るとすぐに各会場で春季発表会が始まった。

 今年はもうソメイヨシノが咲き始め、すっかり春の陽気だ。けれども、こんな気持ちのいい日に、私たち下郷高校演劇部はどんよりと曇った夕立でも来そうな暗雲を心の中に漂わせている。

 この会場の参加校は全部で八校。順番は事前にくじ引きで決まっている。各校の演目で順番を考えてくれればいいんだけど、くじだから仕方がない。ウチがトップだ。城東学院はトリ。
 一校目からこんな重い劇でいいのか、とか、城東学院は準備するまで時間があるからウチの劇を全部観るはず、とか、順番についてはいろいろ思うところもあるけれど、なんてったって、くじだもん、仕方がない。

 上手照明には古賀先生、下手照明には入江がつくことになっていて、それぞれキャットウォークに上っている。キャットウォークとは暗幕を閉める以外になんの利用法もなさそうな二階の細い通路のこと。
 私立高校だと、キャットウォークではなく、観戦できるくらいに広さがとられたギャラリーっていうやつだから、本当はそっちの方が照明さんも楽なんだけど、残念ながら今回の会場校は県立高校だ。
 キャットウォークだと、明かりを絞ったり、スポットライトの向きを動かすのに不自然な態勢をとらなくてはならない。

 裏方というのは損な役回りだと思う。うまくいっても褒められることはないのに、失敗すると結構目立ってしまう。しかも、その失敗を自分ではフォローできない。キャストなら台詞を間違えてもアドリブなどで自力での修正が可能だ。その点ではキャストの方がスタッフよりも気楽だと私は思っている。

 音響室と調光室は学校の体育館では一部屋だ。ここでは上手舞台袖の二階部分にある。
 ウチの場合は人数が足りないから、専属でその部屋につく人はいない。場面場面でスタッフでもキャストでも関係なく行ける人が行くように何度も練習した。

 劇の場面は最初から最後まで教室だ。劇中では中里なかざと高校と呼ばれる下郷高校の楽屋。私たちキャストは全員中里高校演劇部員だ。セットは客席を向いて横に並べられた椅子と机が三組だけ。このシンプルなセットとシンプルなキャストで全編を通す。

 こういうリアル系の劇はつまらない。よほどの演技力がなければ面白くもなんともない。そりゃそうだよね、自分たちの日常の方がずっと魅力的だもん。
 だから、これは楽しんでもらうための劇じゃない。城東学院演劇部への謝罪だ。部員全員がこの事件を知っているのかどうかはわからない。でも確実に現部長の萌先輩は知っている。伝わる人にだけ伝わればいい。私たちは下郷高校演劇部の後輩として謝罪しなければ先に進めないのだから。

 古賀先生は後悔していると言った。俺について来い、という態度で来たことを後悔していると言った。
 生徒に信頼されていると思っていた。けど、俺は生徒を信頼できていただろうか。生徒のことをちゃんと見ていただろうか。ずっとそう考えているという。頼りになる顧問であろうとして、力が入りすぎて空回りしていたのかもしれない、とも言った。ドキリとした。私が自分の演技に対して思っていることと同じだったから。
 先生もただの兄ちゃんなんだな、と当たり前のことを思った。悩みもすれば、失敗もする。だって、教員試験に受かったからって、急に先生らしくなるなんておかしいもん。
 あの日、古賀先生がただの兄ちゃんに戻って、先生でも大人でもない言葉で話してくれたのが嬉しかった。

 ――俺は顧問だけど、指導者じゃない。教師だから部員にはなれないけど、演劇をいっしょにやろう。

 ブザーが鳴る。

『ただいまより、下郷高校演劇部による「演劇部脅迫状事件」を上演いたします』

 板付きの私たち三人は、舞台に向いている調光室の窓を見上げる。古賀先生が親指を立てて大きく頷く。私たちも頷き返す。

 客電が落ち、幕の隙間から漏れていた細い光が消える。真っ暗闇。
 客席のおしゃべりが少しずつ静まっていく。劇を観るために姿勢を整えているのか、いくつかのパイプ椅子が軋んでいる。コトッと小さなものを落とす音。鞄を動かしているのか衣擦れのような音。美香の呼吸音。葵の唾を飲み込む音。私の鼓動。神経が研ぎ澄まされる瞬間。

 再びブザー。

 今、幕が開く。

 最初の十五分くらいは、大会当日の緊張と妙なテンションの高さを表現するため、テンポよくコミカルな展開になっている。台詞の練習をしたり、ふざけたりしながら、出番までの緊張を誤魔化している。

カオリ「ちょっとトイレ行ってくる」

 中里高校演劇部の部長カオリは、ハンドタオルを鞄から取り出して教室の外である舞台袖に消える。これ、私。

マイ「まったく、カオリったらトイレ何回目?」

 副部長マイ役は葵。

マイ「でも、私も行っておこうっと」

 マイも舞台から去る。
 ひとり残された一年生アキを演じる美香が先輩ふたりの去って行った廊下を覗く。

アキ「三年生の先輩たちでも、大会となると緊張するんだなぁ」

 ビューッと風の音。カオリの鞄から一枚の紙が飛ばされる。

アキ「わぁ。春一番かな。窓、閉めとかなくちゃ」

 窓を閉める動作の後、床に落ちている紙を拾う。

アキ「カオリ先輩ったら、荷物片付けないから飛んでいっちゃうのよ~」

 紙を持った手がビクリとする。硬直しつつも、ゆっくりと正面に向き直るアキ。両手に持った紙を見下ろしていて表情が見えない。

アキ「……なに? これ」

 ひどく怯えた表情で顔を上げる。慌てて一度上手舞台袖にハケ、すぐに出てきて上手舞台鼻に立つ。地明かりの照度を落とし、アキにだけスポットライトが当たる。
 ピタリと位置があっている。古賀先生と入江のライトから送られる光がぶれずに重なっている。
 これは簡単なようで意外と練習が必要だ。スポットライトはスタンドの上に灯体が乗っている。固定している時は接続部のネジを締めておけばいいが、今みたいに人を追いかける時は、ネジを緩めないと当然動かない。ただ、これがとんでもなく重い。マイクスタンドのような細い棒に約三キロの熱を持った鉄の塊が乗っているんだから。慣れるまではグラグラとゆれて、光が大きな人魂みたいに揺れ動いてしまう。だから、点けた瞬間にキャストの立ち位置ぴったりにあっているのは本当にすごい。

アキ「先生! 大変です! カオリ先輩の鞄からこれが!」

 ここでしばらく間が開く。その間も、アキは頷いたり首を横に振ったりしている。

アキ「違うんです。偶然見つけちゃったんです」

 顧問の先生と話しているシーン。相手はいないし、声すら使わない。観客は、アキの台詞と表情だけで聞こえない相手の台詞を想像で補うしかない。
 怯え、慌てている様子でどもりそうな口調で台詞を言う美香。それでも滑舌がしっかりしているのはさすがだ。

アキ「見て下さいよ! ――じゃあ、いいです。読みますよ」

 紙を広げ、ゆっくりと読み上げる。

アキ「『中里なかざと高校は本大会を辞退すべし。さもなくば必ず後悔する』――これ、脅迫状ですよ! 絶対ライバル校の南山みなみやま高校ですよ」

 南山高校のモデルはもちろん城東学院。
 アキは顧問に、差出人は断定できないということ、部長のカオリが隠そうとしていることから、この件は黙っておくようにと言われる。本番前に動揺させたくないとの配慮だった。

 この脅迫状の文章は、古賀先生が部室に持ってきたくしゃくしゃのあれだ。
実際は楽屋に使っている教室のごみ箱で見つかったらしい。他校の教室を使わせてもらっている手前、ごみは持ち帰りが原則だ。それで当時下っ端の一年生だった凛先輩とありす先輩がごみの回収をしていて見つけた。
 そして、その内容に驚いた二人は転げるように古賀先生の許へ急いだ。けれど、古賀先生の返事はこの劇の通り。二人は脅迫状を先生に渡して、他言無用を三年近くもの間守ってきたのだ。

 アキが教室に戻り、再び地明かりになる。板付きでマイの姿がある。

マイ「アキちゃん、どこ行っていたの?」
アキ「あ、いえ、ちょっとトイレ……」
マイ「でも会わなかったよね?」
アキ「えっと、反対側、そう、廊下の反対側のトイレに行っちゃって。遠かったです、えへへ」
マイ「なーんだ。そうなんだ。じゃあ、カオリもそっちに行ったのかな?」
アキ「え? カオリ先輩いないんですか?」
マイ「そうなの。トイレで会うかと思ったのにいなくて。しかも先に行ったカオリの方が遅いんだもん」

 カオリ登場。

カオリ「ただいま」
マイ「カオリ、遅かったじゃん。おなか痛いの?」
カオリ「あ、うん、大丈夫。……ちょっと遠いとこのトイレに行っちゃって」

 アキ、舞台奥からカオリの様子を観察している。
 しばらくカオリとマイの他愛のないおしゃべりが続く。
 と、教室のドアが勢いよく開くガラガラという効果音。
 びっくりして客席側の一点を見つめる三人。ここにライバル校の南山高校演劇部の部長が立っていることになっている。顧問の時と同じ「いるつもり」の演技だ。

マイ「(にこやかに)ああ、南山高校の部長さん」

 三人の視点を一点にそろえるのには苦労した。目印を決めても、それは舞台鼻ではなく、客席部分になってしまうので、視点の奥行きが出てしまう。もっと手前を見ていることにするには、当然舞台上の空間になるわけで、そこに目印などない。稽古の繰り返しで視点を感覚でつかむしかなかった。
 古賀先生に観てもらって、三日前にやっと確実に同じ点を見られるようになったばかりだった。

三人「え?」(勢いよく立ち上がる)

 いきなり怒鳴られての反応。
 この「え」もタイミングを合わせるためにどれだけ繰り返したことだろう。「え」という音が「え」なのか他の音なのか分からなくなるようなゲシュタルト崩壊が起こるまでブツ切り稽古をしたシーンだ。

マイ「脅迫状って、いったい、なんのことですか?」

 カオリとマイが中里高校宛の脅迫状を思いだし、表情をこわばらせる。が、そこに投げ込まれたのは一冊の台本。
 上手舞台袖に降りてきた入江が小道具の台本を、稽古通りに私の足元に投げつける。横目で入江がキャットウォークに戻って行くのを見ながら、台本を手に取る。

カオリ「……どういうこと?」

 演技がかった台詞回し。大袈裟に驚いて見せる。
 覗き込むマイとアキ。ふたり、息を飲む。
 カオリ、台本に書いてあるマジックの文字を読み上げる。

カオリ「……『中里に勝てると思うな』」
アキ「やだ……なに、これ」
マイ「これって、部長さんの脚本でしょ? なんでこんなことに?」

 ――相手が答えているはずの間。

マイ「南山高校の楽屋からウチの制服が出ていくのを見たですって? しかも『中里に勝てると思うな』って書いてあるのが証拠……って」

 アキ、声を発しないカオリをそっと盗み見る。
 カオリ、小さく震えている。
 しばらく言い合いが続き、アキはなにかに気付いたように教室を出ていく。すぐにもどってきて、

アキ「先生、早く」

 ――顧問が一言発するくらいの間。

カオリ「違います! 私じゃありません!」
マイ「そうですよ、なんでカオリがそんなことをしなくちゃならないんですか!」

 アキ、紙の脅迫状をマイに手渡す。

マイ「これって……?」
アキ「カオリ先輩宛だったようです」
マイ「カオリ……!」

 同情のような、責めるような目でカオリを見つめるマイとアキ。

カオリ「違う! ちがう、ちがう、ちがう! 私じゃない!」
マイ「でも、これを受け取ったのはカオリでしょ?」
カオリ「確かにその紙は私の鞄に入っていたけど」
マイ「じゃあ」
カオリ「でも、こんなのただの脅しだと思って気にしていなかった!」
マイ「本当に? じゃあ、なんで黙っていたの?」
カオリ「みんなが動揺すると劇に影響があるかと思って」
マイ「本当にそれだけ?」
カオリ「……どういう意味?」
マイ「――仕返しにこれを書いたんじゃないの?」(台本を指さす)
アキ「先輩たち、もうやめてください!」
カオリ「だいたいアキがおおごとにしているんじゃないの? 先生にまで言いつけて」
アキ「言いつけるだなんて! 私はただ……」

 三人はもめる。合間に南山高校の生徒もなにか言っている様子で、それに言い返す台詞も多い。台詞の掛け合いが徐々に加速していき、テンポだけでなく、言い回しも早くなる。やがて、早口言葉並に早くなったころ、突然ピタリと三人同時に口を閉じる。
 急に訪れる静寂。
 ――誰かの言葉を聞いている間。

カオリ「先生、それだけは!」
マイ「お願いです、やらせてください!」
カオリ「今日のために頑張ってきたんです。三年生の最後の大会です」
マイ「どうしてもダメですか? 南山高校のみなさんが納得してくれないから、ですか?」
カオリ「でも、私たちは悪くないんです」
マイ「そうです。私も今カオリと言い合ってわかりました。カオリはやっていない。誰もやっていません」
カオリ「先生、どうか取り消してください!」
マイ「大会の出場自粛なんてイヤです!」
カオリ「先生!」
マイ「先生!」
アキ「……」

 ――照明、C.O.カットアウト(急に暗くなる)
舞台中央にサス。頭上からの明かりに一人だけ浮かび上がるアキ。

アキ「結局、なにも解決はしませんでした。でも、私は今でも疑惑を拭えません。だって、証拠があるから……」

 一つの机に別のサスがあたる。机上には一枚の紙が置かれている。

アキ「カオリ先輩宛の脅迫状『中里高校は本大会を辞退すべし。さもなくば必ず後悔する』」

 別の机にもサス。机上には台本。

アキ「ライバル校、南山高校の部長の台本に描かれた言葉『中里に勝てると思うな』」

 机にあたっているサス、二つとも消える。

アキ「……ごめんなさい。先輩がひどいことをしてごめんなさい」

 アキ、深々とお辞儀をする。
 下手、上手にそれぞれサスがF.I.フェードイン(徐々に明るくなる)
 そこに浮かび上がるのは上手にカオリ、下手にマイ。どちらも座り込んで伏せている。泣いているようにも見えるかもしれない。それは大会に出られなかった悔しさなのか、謝罪のための土下座なのか、その姿だけではわからない――。

アキ「……ごめんなさい」

 アキが小さく呟いて――幕。


次話



「スポットライトに照らされて」全17話

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