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わたしが病気だったころ。

ずっと長いこと双極性障害だった。

精神の病の悩ましいところは「今この人がそうである状態」に病名がつくところで、だからわたしのかつての状態に「双極性障害」の名前がついたことは納得のいく妥当な診断だったと思うのだが、結論から言うと、今わたしは「そうではない」。以前書いた稿で、「双極性障害だったのではなく、HSPが環境への不適応やストレスで鬱状態を起こしていたのではないか」と考察したこともあったが、それも確かではない。言えることはただ、「今はそうではない」ということだけだ。

ずっと長いこと、誰かに依存したり誰かに利用されたりしてきた。40歳を過ぎて生きるのが楽しくなってきて、50歳が近づく頃になって自分が何を怖がっていたのかわかって、やっと自分の人生を自分でちゃんと生きるための、スタートラインにつくことができた。

わたしはずっと長いこと、自分のおっきすぎる力を使うための、四苦八苦をしてきた。力は時に人を傷つけたし、非難されたし、罪悪感は心の底にずっとあり、力の存在をバレたくなく、リミッターかけたり、自分のものじゃないように偽装したり、人にどんどんあげて使わせたり、それらは間違った方向だったかもしれないけど、でも本当に何とかしようと頑張ってきたんだな、褒めてあげたいと思う。

自分の力を怖がるのをやめて、自分に紐づくものとして、自分に属するものとして、自分から流れ出るものとして、使い、発揮するようにしようと決めて、確かに変化は起きた。罪悪感は減り、人に利用されてる!という不満や怒りも減って、でもうまく出力レベルを調整できなかったり、他者への要求レベルが無自覚に高かったり、抑えるのにイライラしたり、ああそういえば、子どもの頃こんな感じだったな、いろいろ難しくて上手にできなかったな、と思い出す。

だいぶ回り道をしてしまった。力の上手な使い方が難しくて、見ないようにしたり誤魔化したり隠したりしちゃったから、だいぶ回り道をしてしまった。でもわたしも大きくなって大人になったから、子どもの頃より扱えるんじゃないかと思う。

最後にカウンセリングを受けたとき、力を人に向けて直撃するのではなくて、(勿論内に籠らせて自分を傷つけるのでもなくて、)天に向けて、まるで大きな噴火が雲を呼び恵みの慈雨を地に降らすように、みんなのために使えるように、そんなイメージを与えてもらって、嬉しかった。

破壊や脅威ではなく、大きく豊かで力強い存在になりたいと、願う。


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