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#004 『キングダム』には登場しないと思うけど…

坪内逍遥の『小説神髄』を読むと言いながら、出だしの「小説」という単語に引っかかり、まだ一行目しか読めていないという、なんとも悲惨な状況ですが、とにかく、もう後には引けません…。

とりあえず、「小説」という単語の故郷である「中国の小説」をWikipediaで調べると、次のような説明が載っていました。

中国の前近代においては、「小説」という用語が使われ始めたのは、目録上でのことだった。(『漢書』「芸文志」)。しかも、それは、文学・芸術的な用語として生まれたのではなかった。「芸文志」には「街談・巷語、道徳・途説する者が造る所なり」「諸子十家、その観るべきもの、ただ九家のみ」という記述があり、街巷で語られたつまらない話が小説であるとされ、九流の諸子とは異なり、一ランク下のものと考えられていたことが分かる。

ここで言う「諸子十家」とは、いわゆる「諸子百家」を代表する10学派のことですね!学生時代を思い出します….。念のため、「諸子百家」もWikipediaで調べてみることにしましょう。

春秋時代に多くあった国々は次第に統合されて、戦国時代には7つの大国(戦国七雄)がせめぎ合う時代となっていった。諸侯やその家臣が争っていくなかで、富国強兵をはかるためのさまざまな政策が必要とされた。それに答えるべく下克上の風潮の中で、下級の士や庶民の中にも知識を身につけて諸侯に政策を提案するような遊説家が登場した。諸侯はそれらの人士を食客としてもてなし、その意見を取り入れた。

戦国七雄の時代とは、大人気漫画『キングダム』の時代ですね!

紀元前260年頃の中国は、いわゆる群雄割拠の戦国時代でした。そこで、他国よりも抜きん出て陣取り合戦に勝利するため、ありとあらゆる知識を集結させようとしました。その知識集団が「諸子百家」です。

なんとも皮肉な話なのですが、乱世とは、多くの犠牲を生み出す一方、多くの天才を輩出することも事実なのです。

そして、強大な国とは、武力の天才だけではなく、知恵の天才も抱え持ってこそ成し遂げることができるのです!

「諸子」の代表者には、孔子・老子・荘子・墨子・孟子・旬子などがいます。そして「百家」は、長年の時を経て、最終的には11学派に分類されます。

前漢(前202-後8)の司馬談(?-前110?)が、まず、6学派に分類します。
・陰陽家
・儒家
・墨家
・法家
・名家
・道家

その後、後漢(25-220)の班固(32-92)が、3学派を追加します。
・縦横家
・雑家
・農家

さらにその後、ひとつの学派が追加されます。それが

小説家です!

ちなみに、その後、さらにもうひとつの学派が追加されます。
・兵家

この代表的な11学派をまとめて「諸子百家」といいます。ちなみに「諸子百家」の「諸子」とは「色々な学者」、「百家」とは「たくさんの学派」のことです。「十家」の次に「百家」へとジャンプするのは、「百戦錬磨・百花繚乱・百鬼夜行」のように、指折り数えられる数を超えたので、「たくさん」という意味の「百」という字を当てられたのでしょう。

『キングダム』には登場しないと思うけど、あの漫画と同じ時代に「小説家」は誕生していたのですね!

それにしても、なぜ、ワンランク下の存在として蔑まされたのでしょうね。

明日は、そのあたりを調べることになりそうです。

では、また明日、近代でお会いしましょう!

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