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#010 マウントとられてディスられる小説

さて、魯迅の「中国小説の歴史的変遷」に戻って、続きを読んでみると、こんなことが書かれています。

『漢書』「芸文志」[ゲイモンシ]になると次のような言い方が出てきます。

小説は、街談巷語の説なり
(小説というものは、通りや横丁でとりかわされる話である)

ようやく今日の小説というものに近くなりますが、それでも昔の稗官[ハイカン]が一般の庶民の語る簡単な話を採集して、国の民情や風俗を観察しようとしたものにすぎず、今日いう小説の価値があったわけではありません。小説の起源はどうでしょうか。『漢書』「芸文志」は次のようにいっています。

小説家者[ショウセツカシャ]の流[リュウ]は、蓋[ケダ]し稗官に出づ
(小説家というものの流れは、稗官から出たものであろう)

稗官が小説を採集したという事実があったかどうか、一つの問題ではありますが、たといあったとしても、それは小説書の起源にすぎず、小説そのものの起源ではありません。

『漢書』は、班固[32-92]が中心となって前漢[前206-後8]のことを記した全100巻の歴史書です。「本紀」12巻、「列伝」70巻、「表」8巻、「志」10巻から成り、「芸文志」は「志」の10巻目、当時の朝廷の蔵書目録を記しています。

・志
 律暦志・礼楽志・刑法志・食貨志・郊祀志・天文志・五行志・地理志・溝洫志・芸文志

さらに「芸文志」は、6つの「略」から成っています。

・略
 六芸略・諸子略・詩賦略・兵書略・術数略・方技略

そして、さらに、この「諸子略」は、以前紹介した「諸子十家」から成っています。

・諸子略
 儒・道・陰陽・法・名・墨・縦横・雑・農・小説

この「諸子略」の「はじめに」の部分にあたる「略序」で、十家の各思想の出自が説明されます。出だしは全て、

○○者流、蓋出於○○
(○○の者の流れは、○○から出たものであろう)

から始まります。十家ぜんぶの出だしは、以下のとおりです。

・儒家者流、蓋出於司徒之官
・道家者流、蓋出於史官
・陰陽家者流、蓋出於羲和之官
・法家者流、蓋出於理官
・名家者流、蓋出於禮官
・墨家者流、蓋出於清廟之守
・縦横家者流、蓋出於行人之官
・雑家者流、蓋出於議官
・農家者流、蓋出於農稷之官

そして、いよいよ魯迅が紹介した文章が出てきます

小説家者流、蓋出於稗官、街談巷語、道聴塗説者之所造也、孔子曰、雖小道、必有可観者焉、至遠恐泥、是以君子弗為也

小説家者[ショウセツカシャ]の流[リュウ]は、蓋[ケダ]し稗官[ハイカン]に出づ。街談巷語[ガイダンコウゴ]、道聴塗説者[ドウチョウトセツシャ]の造る所なり。孔子曰[イワ]く、小道と雖[イエド]も必ず観るべき者有り、遠きを致さんとすれば、泥[ナズ]まんことを恐る。是[ココ]を以て君子は為[ナ]さざるなり

小説家の流れは、稗官から出たものであろう。通りや横丁で話をとりかわし、道で聞いたことをそのまま道で話すような者たちのつくったものである。孔子はこう言っている。小さい道といえども、きっと見どころはあるものだ。だが志高く遠方を目指す者は、そこにとらわれてしまうことを恐れる。それゆえ君子は小道に手を出さないのだ。

孔子の、ちょっとマウント気味の小馬鹿にした言い方の後に、#004で紹介した、Wikipediaの「中国の小説」の項目に載っていた一文が出てきます。

諸子十家、其可観者九家而已
(諸子十家、その観るべきもの、ただ九家のみ)

紹介しておいて、見なくていい!って、このディスられっぷり、なんなんですか!w

このあと、魯迅は「なぜ小説が誕生したのか」を語っているのですが…

それは、また明日、近代でお会いしましょう!


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