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R.E.T.R.O.=/Q #3

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身体感覚が拡張され、私は暗い宙を漂う。

どこまでも果てしなく、外側へ、外側へと広がりゆく世界。
あまりの心地良さに目を閉じる。

遥か数億光年の彼方、上下前後左右の方角より、燦然と輝く光が私を照らしているのが分かる。

やがて光輝が柔らかに満ち、空間を真っ白に包み込む……。


◇◇◇◇◇


ジョン・アルバトロスは木箱の内部のような自室で目を覚ます。

彼が横たわっているのは薄墨色のマット。狭い寝台の上だ。
手を伸ばし、立方体型の照明をつける。淡い橙色の灯り。
これは全部で16個ある。
起き上がり、順番に部屋中の照明を点灯すると、六方が板張りになった内部の様子がぼんやりと浮かび上がった。
ところどころに白と黒のタペストリー。
壁に据え付けられた無数の立方体型の棚。

そのうちの一つ、衣装棚から薄墨色のタートルネックシャツを取り出す。彼の外出着だ。

続いて反対側の壁にある食物棚を開き、缶詰を取り出し、ボウルに開ける。灰色のペースト状の合成食料。これといった味はしないが、この街の住民の標準的な食事だ。これだけを食べていれば栄養が足り、死ぬことはない。

身支度が整うと、部屋の階段を移動して接地面を切り替え、寝台がある面とは反対側の壁(寝ているときには天井の位置に相当する)にある扉を開け、家を出る。

ここからは通勤経路だ。ジョンの足取りに迷いはない。
朽ちかけたアーケードを抜け、二百六十六段ある木の階段を昇り、百八十二段目にある踊り場でぐるりと裏側に周る。
そこからは下り階段だ。残りの八十四段を下れば別のアーケードに至る。
三番目の横道に入って右折、左折、右折。

入り組んだ路地、薄暗い通路の奥に位置する古びた扉にはこう書かれている。

【アブドゥル=ハック・タローザエモン・ハサン会計事務所】

ここがジョンの仕事場だ。


◇◇◇


扉を開くと、所長のアブドゥル=ハック先生はすでにデスクに向かっている。傍らの黒いマグカップには、湯気を立てる灰色の液体。いつもの光景だ。
 
木箱の内部のような部屋。壁面を書類棚が埋め尽くす。デスクは2つ。所長と従業員のジョン、たった2人で運営される小規模な会計事務所だ。

昼夜が存在しないこの街では、住人の一人ひとりが異なる睡眠・覚醒サイクルを持ち、体内時計によって生活している。それゆえ、2人の勤務時間にも自然とズレが発生する。

「やあ、お早うジョン。」

所長が振り返りもせずに声を掛ける。

「お早うございます」

短く返すと、ジョンは自分のマグにも灰色の液体を注ぎ、早速書類の山に取り掛かった。

この街には貨幣経済システムが存在する。そして税金システムも。
この会計事務所は周辺領域で事業を営む者をクライアントとしており、日々変化する複雑怪奇な法律に沿って彼らの納税額を算出するのが主な役割だ。
納税しない事業者は不思議とその存在ごと消えてしまうため、仕事の需要は高く、クライアントに困ることはほぼ無い。

「日々変化する」というのは文字通りで、同じ書類であっても、昨日目にした文字列と今日目にする文字列が同じであるとは限らない。プロフェッショナルはその微細な変化パターンを知り、分厚い『税法大全』(この書物も日々ページ数や内容が変化する)を参照しつつ、正しい計算をするのだ。

納めた税金は複数の部署を経由し、最終的には貨幣から別種のエネルギーへと変換され、無限に自己増殖して変容し続けるこの街の栄養分となっている……というのが定説だ。

「じゃあ、私はそろそろ帰るよ。」

気づくと随分時間が経過していた。
ジョンは複写式の紙に数字を書き込む手を止め、所長を見上げた。

「お疲れさまです、先生」

アブドゥル=ハック先生。この年老いた男はこの場所でどれ程の時間を過ごしてきたのだろう。そんなことを考えつつ、後ろ姿を見送ると、ジョンは再び書類を処理し始めた。そろそろ昼食の時間が近い。

ふと、手元がカタカタと細かく振動していることに気づいた。
そして何らかの破砕音
それは轟音となってみるみるうちに近づいてくる。
ジョンが首をもたげた瞬間、耳を劈く音と共に、天井が大爆発した。


【#4へ続く】


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