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マッサージチェアで気持ちいい顔してる人は嘘つき

「コーヒーをブラックで飲むのはヤセ我慢」とか、「ビールなんて苦いのによく飲めるよね」みたいなセリフを、一度は聞いたことがないだろうか。

 私自身の話でいえば、コーヒーはブラックで飲むし、ビールを苦いとは思わない。きっと世の中には、苦みをウリにしている「こだわりのビール」みたいなのもあるだろう。そういった商品はもちろん苦い。しかしここで言っているのは、あくまで「ビールって苦いよね」という文脈で想起される一般的な日本製ビールのことである。

 いつからコーヒーとビールを飲めるようになったのか覚えていない。タイミングとしてはたぶん、「大人ゲート」をくぐった瞬間だった気がする。つまり、ある物事に対してある瞬間から抵抗がなくなる現象のことだ。コーヒーは18才くらい、ビールは21才あたりで克服することができた記憶がある。

 そもそも克服する必要があるのかと言われれば答えはないのだが、苦手な物事は少ない方がいいと個人的に思う。なので私には、苦手なモノがあまりない。たいていの食材は食べられるし、バンジージャンプだってお茶の子うんたら。が、どうしても理解に苦しむモノがひとつだけある。マッサージチェアである。なぜ、世の大人たちが無防備な姿でマッサージチェアに身体をあずけ、「あ”あ”~」などと気持ちよさそうな声を出しているのかまったく理解できない。まるで意味のない行動だと思っていた。

なぜならアレが未体験

 私は肩が凝ったことがない。徹夜でパソコンをいじったとしても肩凝りをしない。もちろん比喩として「肩が凝った」ことはあるが、みんながよくやる肩の筋肉をほぐすあの仕草を試したこともない。

 きっと体質というのもあるのだろうが、私はあの「あ~肩凝った」というアクションは嘘ではないかと睨んでいる。そうやって発信することで、なんだかいかにも仕事を真面目にやっていて、休みの日は木陰でニーチェとか読んでいて、世の中の善悪ぜんぶの分別がつくんだぜ、みたいな空気を醸しだせるからである。子供はたぶん肩こりしない。ということは、肩が凝るというのはひとつの「大人ゲート」であり、それをくぐったと見せかけることで手軽に大人顔をできるから、みんな肩が凝ったフリをしているのではないか。そんな仮説のもとにこれまで28年間生きてきた。

ある日のYAMADA電機にて

 先日、ちょっとした用事で家電量販店に行った。目的は時間つぶし。2時間ほど空いた時間をどうにか埋めなければならず、周囲に喫茶店もないので、たまたまそこにあったYAMADA電機に足を踏み入れた。

 気になる家電をひととおり見て回る。時間を確認すると、まだ20分ほどしか消費できていない。ふむ、まだ先は長いな……とアゴに手を当てていたところ、マッサージチェアが数十台横並びになっているコーナーを見つけた。

「ベンチもないし、あれに寝そべって時間をつぶすか」

 別に疲れを感じていたわけではなかったが、私は1台のマッサージチェアに座ってみることにした。腰かけると、なかなかクッションが利いていて心地いい。尾てい骨を左右から包み込んでくれるのだ。あと1時間半も店内をウロウロするよりマシじゃないか。そんな気持ちで、マッサージチェアの上で文庫本を読み始めた。しばらくは快適な環境だった。

いきなり現れた「気持ちいい顔」する人

 30分ほどすると、隣のマッサージチェアにひとりの男性が席を取った。その男性は寝そべるなり「あ”あ”〜〜」と声を上げた。まるでアツアツの温泉にでもつかっているような声だった。

……こいつ、完全に“やってる”な。

 私は冷ややかな目で彼を見た。上述の通り私は、マッサージチェアで気持ちいい顔をする人は嘘つきだと思っている。なので横の男性も、むりやり気持ちいい顔と声をヤマダ電機の客に向けてアピールすることで、「私は普段がんばって仕事しています! そのためマッサージチェアが気持ちよくて仕方がない! ウヒョー!」と表明しているのではないか。そう考えたのである。

 しばらく男性のうなり声が続く。「う”〜そこそこ」とか、「お”〜もうちょっと上」などと言いながら、男性がリモコンをチョコチョコといじっている。

 私はもう文庫本に集中できなくなっていた。ちょっと静かにしてよね! と心の中で話しかけるが当然返事はない。男性は次々とマッサージ箇所を増やしながら、イスの角度を上げたり下げたり忙しそうにしていた。

 私は次第に我慢できなくなっていた。気持ちいい顔だけなら無害だが、こうもうるさいとリラックスできない。そもそもヤマダ電機のマッサージチェアでリラックスするな! という意見は理解できる。ただ、その日数十台のマッサージチェアを利用していたのは数人程度だった。順番待ちがあったわけではない。モラル的にはセーフだったと思う。

そんなに言うなら……

 そのときふと、頭の中にアイデアが浮かんだ。隣の男性の声を気にするくらいなら、自分も気持ちよくなっちゃえばいいじゃないか、と。

 横目で男性を盗み見る。男性は主にローラーをで肩と腰のあたりをマッサージしているようだったが、同時に、なにやら下半身あたりのエアバッグみたいな部分も作動させ、膝から下も気持ちよくなっている様子だった。

……脚なら、俺でもいけるか?

 ふと試してみたくなった。コーヒーやビールだって、飲んでみるまではまったくその美味しさがわからなかった。しかし何度も何度も繰り返し飲んでみることで、その味わい深さを理解できるようになったのだ。苦手なものは少ないほうがいい。どうせなら、このタイミングでマッサージチェアを克服してみようと思った。手元のリモコンでスイッチをオンにする。「脚」のボタンを押し、機械が音を立てて動き出すのを待った。

ふうん、やるじゃん?

 次第にふくらはぎから下が圧迫されていく。ギュ、ギューっと締め付けたかと思うと、いきなりパッと圧を解かれる。最初はその繰り返しに「ハァ?」と思っていたが、だんだんクセになってきた。ギューギュー締め付けられる脚。ちょっと痛いかな〜の寸前で解かれる圧。そして血の巡りがよくなっている感覚。これはヤバい、と思った。このままでは、マッサージチェアのとりこになってしまう。というか既に、私の脚はマッサージチェアが提供する快楽を受け入れていた。隣を見る。気持ちよさそうな顔をした男性がいた。男性が私を見る。すべてを悟った顔をしていた。

“こちら側へようこそ”

気持ちよさそうな顔をした男性が、優しく私に話しかけてきた……。




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