家族ってなんだろう…“フツーの家族”を知らない私の日々のつぶやき日誌
私は、両親がともに健在で、祖父母とも時々会うような、いわゆるフツーの一般的な家族で育っていない。小学校低学年で母子家庭となり、小6の卒業式前日に母ががんで他界。その後、祖父母と叔父叔母いとこ家族と暮らすという、当時(今も?)周りにはいなかったタイプの家族構成で育った。そんな私が今、“フツーの家族”をつくり暮らしている。もしかしたら普通の感覚がないのかもしれない。固定概念がないからこそ気づくものもあるかもしれない。そう思って、日々のちょっとした気づきをつぶやいていこうと思う。
現在、小2息子、小4娘、サラリーマンの夫の4人暮らし。私はフリーで働いている。
当たり前だが、家族と言えども、個々の人格があって、それぞれやりたいことや行きたい場所が違う。週末になると、どう過ごすのか、意見を出し合ったりそれぞれがゆずり合ったりしている。必ずしも一家全員で出かけるのが当たり前ではないということもわかってきた。
家族って、個人の自由を尊重し合う、小さな社会。なのかな。
私は子どもの頃、両親と一緒に出掛けている子どもたちを見ると、うらやましいなという気持ちになっていた。両親がそろって一緒にいるのがフツーだと思っていたから。ファミレスに母と妹と3人で行くときなんか、ほんと嫌な気分になるときもあった。
でも今は、母子で旅行にも行くし、父子でお出かけもしている。むしろその方が大人同士の難しい会話が減って、子どもと同じ目線で楽しめる、お互いの満足感が高い時間になることもある。
ある日のこと。ママ太ってきたなぁ…と鏡を見ながらつぶやく私に、息子が私のお腹をつまみながら、ダイエットしに行こうと散歩に連れ出してくれた。息子が選んだ散歩道。近所のちょっとした山を散策することに。途中、大好きな虫たちに出くわすたびに写真を撮って楽しみ、夢中になっている息子を傍目に、空を見上げて深呼吸。ああ、気持ちがいい。
老後、この子と二人で過ごしていきたい、と思うようなゆっくりした時間だった。私の老後には、この子は(残念ながら)オッサンになって、髭ものびて、他の誰かと散歩道を歩いているんだろうけど。
両親がそろっていなくても家族。子どもの頃の私は、目の前にいる自分の家族ではなく、“理想の家族”に思いを馳せていたのかもしれない。ファミレスのハンバーグを嬉しそうに食べる顔を、母にもう少し見せてあげればよかったな。