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今日も学校に行かない、という夢から分析する過去の自分について

今朝こんな夢を見た。

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新学期が始まってから一度も出席しておらず、誰と同じクラスになったのか、自分の座席がどこかもわからない。

春とは言え、外はまだ少し肌寒く、セーターを着るかどうか悩む。ネクタイの色は高校生になったので青色に変わっていた。

新しい制服で身を包み、新しいHARUTAのローファーで足を固めると、少しだけ上向きな気分になり、電車に乗った。

バッグはなく、紙袋に手荷物をいれてきた。教科書もない。しばらく勉強してないので今何を学ぶべきかもわからない。

最寄駅で降りてから、どんどん学校に近づいていく張り詰めたこの気持ちと、木洩れ日の美しさと春風の心地よさが、分離して浮いてしまう。

『こんなに気持ちの良い日には…』

学校と友人らが遠くに見えた瞬間、

『やっぱり明日にしよう』

と、学校の前をそのまま通り過ぎた。

家までの道のりを考えながら急勾配の坂をのぼる。
今朝ふった雨の水溜りに日差しが反射してキラキラしている。

今日という1日は、学校にいかずに済んだのだ。その開放感で足取りも軽くなる。

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40にもなって、しばしば、この手の学生時代のリアルな感情のともなう夢を見る。内容はいつも、何も勉強してこなかったのに次の日期末試験。とか、テスト範囲を知らされないまま試験を受ける。とか、学校というシステムからはみ出る恐怖や不安感で作られたような夢を見る。

実際の学生時代は、サボったこともなければ、友達もいて、勉強は一夜漬けでも平均点以上は取れていたし、部活にいそしみ、ぱっと見は充実してる風な学生だったと思う。しかし、そうあらねばならないとどこかで思って、自分に無理を課していたんだと思う。

学生時代の私がもっと自分に正直で、自分の感情にきちんと向き合うことをしていたら、たぶん、この夢の自分のように不登校児になっていただろうと、思う。

中学・高校の6年間、蓄積した未処理の感情が、40歳の私の夢の中に出てきて、『ね、本当は嫌だったよね?そう思ったって良かったんだよね?』と確認して、その積荷をおろしているような感じがしてならない。

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