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スワミ・ヴィヴェーカーナンダの「ラージャ・ヨーガ」を読んで

ヨガを続けている。今朝はスリヤナマスカラAを5回、Bを3回、それからハーフブリッジとウルドゥヴァダヌラーサナを入れて、フィニッシングシークエンス。ここまでで20分。パドマーサナの流れで簡単なプラナヤマをして、シャバーサナを短めにとり、座って呼吸瞑想に入った。瞑想は15分ほどだったが、前のシークエンスのおかげか、ゾーンに入るタイミングが早く、すぐに目の前で花火があがり、これまでの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。この時、いつも、ああ結構いい人生だったなと思う。そして目を開けて、窓から入る風を感じて、この身体の存在を観察する。まだ死んでいない、ラッキーと心の中でつぶやいて、一日を始める。

古本屋でたまたまスワミヴィヴェーカーナンダの「ラージャ・ヨーガ」を手に取った。古本屋に行くと、必ずヨガ関連の棚を確認するようになった。だいたい大したものは見つからない。簡単ヨガ、痩せるヨガ、ハタヨガポーズ図解、ポジティブヨガ、というようなものばかり。何も悪くないし、いろんなヨガがある。ヨーガをブレイクダウンして、それらが細かく現代の生活に落とし込まれて、商品として販売されている。それもヨガの一つのあり方で、何も問題はない。しかし自分が求めているのはそれらの本流であり、古典的な書物。スワミヴィヴェーカーナンダの本はどちらかと言えばそちらに分類される。

この本はラージャ・ヨーガの概要を紐解くと共に、パタンジャリのヨガスートラをスワミの視点で解説するという内容になっている。

本を読んでの感想と、ヨーガ哲学の基礎の基礎を記してみる。


ラージャ・ヨーガを一言で言うなら、ヨガの八支則である、ヤマ、二ヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤハーラ、ダーラナ、ディヤーナ、サマディの後半4つを指す。考え方によっては8段階全てがヨーガ、ラージャ・ヨーガの実践であると同時にアシュタンガヨガの実践とも言える。それぞれを簡単に復習しておく。

1,ヤマ

ヤマは、社会的な行動規範を示しており、他者に対する行動のガイドラインで、不殺生、誠実、不盗、純潔、欲しがらない、いかなる贈り物も受けないなどがある。ヤマには5つの項目がある。

・アヒンサー (Ahimsa) - 非暴力
他者に対する暴力を避け、慈しみと愛を持って行動すること。

・サティヤ (Satya) - 誠実
真実を語り、正直であること。

・アステーヤ (Asteya) - 不盗
他者のものを盗まないこと。これには物質的なものだけでなく、時間やエネルギーも含まれる。

・ブラフマチャリヤ (Brahmacharya) - 禁欲
性的なエネルギーを節制し、精神的な目標に集中すること。

・アパリグラハ (Aparigraha) - 不貪
過度な所有欲を持たず、必要最低限のものだけを持つこと。

2,二ヤマ

二ヤマは、個人的な行動規範であり、自分自身に対する修練のガイドライン。清潔、知足、禁欲、勉学、神への服従など。以下の5項目からなる。

・シャウチャ (Saucha) - 清浄
身体と心を清潔に保つこと。これには食事や環境も含まれる。

・サントーシャ (Santosha) - 知足
現状に満足し、感謝の気持ちを持つこと。

・タパス (Tapas) - 苦行
意志の力を養うための自己修練や苦行。これには身体的、精神的な試練が含まれる。

・スワディヤーヤ (Svadhyaya) - 自己学習
聖典や自己探求を通じて、自分自身を学び続けること。

・イーシュワラ・プラニダーナ (Ishvara Pranidhana) - 神への献身
自分自身を神(宇宙的な存在)に捧げること。謙虚さと信仰を持って行動すること。

ヤマと二ヤマは道徳の訓練。これらを土台にしないとヨーガの修行は成功しない。ヨーギーは思いによっても言葉によっても行為によっても、何者をも傷つけてはいけない。慈悲は人間だけでなくそれ以外のものにもおよび、全世界を抱擁すべきだと書かれている。

3,アーサナ

坐法。

アーサナは長いこと静止していられる姿勢を見出すこと。つまり長い間座っていられることが本来のアーサナの目的である。一般的にヨガとして売られている部分はここになる。黙って座ったままでいられる状態を目指すために、様々なポーズがあるというわけだ。

4,プラーナーヤーマ

プラーナの制御。

プラーナーヤーマは呼吸の制御を意味する。肉体と心をコントロールするのに呼吸の重要性が書かれている。この実習専用の一室を持つのがいいらしい。この部屋では眠ってはいけず、常に神聖に保つ必要がある。沐浴をして心身を清めてからでないと、その部屋には入れないとする。その部屋にはいつも花をおきなさい。心を喜ばせる絵も置いて、朝と夕には線香を炊きなさい。それがヨーギーにとって良い環境である。その部屋で争ったり、怒ったり、不浄な思いを持ったりしてはいけない。自分と同じ思いの人だけしかその部屋に入ることをゆるさないようにしなさい。そうすると次第にその部屋は神聖な空気に満たされる。不幸に悲しく疑い深くなった時、また心が乱れた時、その部屋に入るだけで、心が静かになる。これが、寺院や教会の本来の目的だった。

ちなみにプラーナは宇宙に存在する、あらゆるものを作り出すエネルギーのようなもの、とされる。これをいかに制御するかがプラーナーヤーマである。

5,プラティヤハーラ

感覚をおさえてその対象から離すこと。

プラティヤハーラは感覚の抑制。心は知覚の奴隷になっている。知覚を制御することによって、心が影響を受けにくくなる。その訓練方法について解説している。プラティヤハーラは本来「向けて集める」という意味。出ていこうとする心の力を引き止めて、それを感覚の奴隷の身分から解放すること。これをなし得た時、人格の所有者となり、自由へと一歩近づく。それまでは我々は単なる機械です。と書かれている。

6,ダーラナ

心を一点にとめること。

次の段階であるダーラナーは、心をある点に集中すること。それは心に対して、身体のある部分だけを感じるように強いること。チッタ(心)がある一つの場所に閉じ込められて、限定されるとダーラナーになる。

7,ディヤーナ

瞑想。

ディヤーナは瞑想状態を指す。心が内、または外のある場所に集中し続けるよう訓練されると、その一点に向って不断の流れとして流れ続ける力がつく。この状態がディヤーナと呼ばれる。

8,サマーディ

超越意識。

最後、ディヤーナの力が強くなって、外界の知覚を退け、内界、意味だけを瞑想し続けられるようになると、その状態がサマーディと呼ばれる。八支則の最後の3つ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディをまとめてサンヤマ(サムヤマ)と呼ばれる。まず心がひとつの対象に集中でき、その集中をある時間継続でき、その集中力によって、その対象は結果であったという、知覚の内的部分のみを沈思できるなら、いっさいのものは、心の支配下に入る。欲望があるうちは、真の幸福は得られない。サマーディは全ての人間、あらゆる動物の財産であるとされる。

ヨーギーについて

ここでヨーギーについて象徴的な言葉があるので引用しておきます。

ヨーギーは常に実践をしなければなりません。彼はひとりで暮らすようにつとめるべきです。様々の種類の人々とともに暮らすと、気が散ります。たくさん話してはいけません。話すことは心を散らします。働き過ぎてはいけません。あまり働くと心が散漫になります。1日中激しく働いたあとには、心を制御することはできません。人は右のおきてを守れば、ヨーギーになります。ヨーガの力は実に大きいので、たとえそれのがくわずかでもおこなえば、莫大な恩恵を受けます。それは誰をも傷つけることはせず、誰もが恩恵をうけるでしょう。

「ラージャ・ヨーガ」69ページ

シェアハウスに暮らしていてはヨーギーになれないことがわかる。働き過ぎもだめだし、話しすぎもだめ。僕は働き過ぎているし、最近はYouTubeで喋りすぎている。ヨーギーであることは一筋縄ではいかないことがわかる。

続いて、ヨーガの恩恵について。まず、神経の興奮を鎮めて落ち着きを得る。ものをはっきりと見られるようになる。気質がよくなり健康状態も良くなる。健康は最初の徴候のひとつ。声が美しくなる(これは初めて聞いた)他にも様々なしるしを見る。と書かれている。

食事について

ヨーギーになりたいと思って厳しく実践する人は、最初は食べ物に注意しなければならない。しかし日常業務のかたわら少しだけ実践しようという人は、食べすぎてはいけないが、それ以外は何を食べてもよろしい。急速な進歩を目指して厳しい実践をしたい人は、厳重な掟が必要。彼らは何ヶ月間は、ミルクと穀類だけで生きるのがよい。完全な制御ができて、何でも好きなものを食べられるようになるまでは、一欠片の食物の多すぎたか少なすぎたかが、全組織を乱すでしょう。とのこと。

ヨーガの書物には食事の記載が必ずある。それも決まって、ミルクと米、みたいな記述が多い。このあたりは書かれた時代性もあるので、現代において全てを真に受けて取り入れるのは危険な部分もある。ただ、食べすぎない、胃袋の半分だけを満たして、残りは水と空気にする、というような実践は可能。

その他のこと

集中ができるようになると、一本の針の落ちる音が、頭脳をつらぬく雷電のように感じられる。知覚も精妙になり、これは我々が通り抜けなければならない段階であり、忍耐すれば成功する。全ての議論やその他の気を散らす行為をすてなさい。悟りを得た人々が書いた書物だけを読みなさい。真珠貝のようであれ。という言葉が心に残った。

本当にヨーギーになりたいと思う人々は、いろいろなものに手を出すことはきっぱり辞めなければならない。一つの思想を取り上げ、そのひとつを生命とする。他の観念は捨てること。これが成功の道で、他者にも祝福を与えたければもっと深く入る必要がある。心を乱すような思想を持つ人とは関わらない、人、場所、食物に対して抵抗があるものは避ける。最高境地にまで到達したいと思う人々は、善悪にかかわらず、人との交際は全て避けなければならない。もし十分に勇敢であるなら、六ヶ月以内に完全なヨーギーになるでしょう。とある。

うん、これは難しい。最高境地を目指す人は社会生活を送ることはできなくなる。

出来る範囲で実践を続けていこう。

いつも応援してくださる皆様に田中常丸は支えられています.本当にありがとうございます.