なぜ民俗学が好きなのか②
図書館で民俗学に出会う
当時、中学高校に通わなければならなかった私は、当然引っ越すことも出来ず、ノスタルジーを満たせず悶々とした日々を送っていた。
そんな中、図書館である本に出会った。ある本と言っているのは勿体ぶっているわけではなく、タイトルが最早わからないというだけなのだが、宮崎駿が民俗学が好きで作品にも云々的な話が載っていた本だった。
私は『となりのトトロ』や『もののけ姫』を作った人が好きな民俗学というものはどんな学問なのだろうと思い、民俗学を調べるようになった。
それと同時に所沢に『トトロの森』という場所があることを知り、実際に宮崎駿がどう思っているかはともかくとして
「自分が『となりのトトロ』を観て、東京から遠くにしかないと思っていたノスタルジーを満たしてくれる風景は、実は自分が昔から住んでいるこの武蔵野と呼ばれる地域なのではないか」
と思うようになった。
私が勝手に、「東京に生まれ東京に住んでいる人には無い」と思っていたふるさとという概念が、足元にあったということに気付いたのだ。
民俗学の中で何が好きなのか試行錯誤
ところで、大学で研究していた人は分かると思うが、民俗学という言葉は学問としては小さな括りかもしれないけれど、いざ研究とか調査というレベルになると余りに大きすぎる括りなのである。
高校までの勉強で、
「古文が好きです!」
となったとしても、いざ研究するとなったら「いつの時代なのか」どころか「この作品を研究します」くらいまで絞らないと(もっと言えばどの観点からみたいな発想も必要だと思われる)そもそも広範囲過ぎて調べられなかったりする。
しかし、私の場合は、趣味である以上そこまで厳密にやる必要はないし、(仮に大学で研究しようとも)生涯一つのテーマに絞らないといけないというルールも無いので、タイトルに試行錯誤と書いたものの実際はその時知りたいことを気の向くままに調べたりしているだけと言える。
だから、今まで遠野を調べたり、出雲を行ったり、高知県のいざなぎ流という民間信仰を調べたり、高千穂行ったりと色々やってきたが
結局、私が求めているものを簡単に言い表すならば
「受け継がれやすい実用的な技術や自然科学系の知識と違って、必要性が低いため忘れられていく知識を拾い集めたい。
特に、史学のように文章があるわけでも考古学のように遺構や物が残っているわけでもない、生活や日常の文化を」
となると思う。
短くまとめると民俗学が存在している理由そのものみたいな意見になってしまったが、私は多分ちょっと違うと思っていて、上で述べたようなことの中でも特に
「役に立たないと思い込まれているけど、実は役に立ち得る知識」
を拾い集めたいと思っている。
生まれた時から現代文明と現代科学の中で生きている私たちは、漠然と
「今の知識は、昔の知識を拾い集めて出来ている。見落としはない」
と無意識のうちに考えている気がしている。
でも、多分そんなことはない。
簡単な例で言えば
ある地域で昔から薬に使われていた植物があるとする。
漢方がそうであるように、西洋医学・薬学で研究することにより有効成分を特定できて今は薬になっています、というものもたくさんあると思う。
しかし、それは全部拾い集められているのだろうか。文章に残していてくれればいつかは見つかるかもしれないけれど口伝だったら?
分かりやすいように薬という特に実用的な知識で話してしまったけど、その人が生きてきた哲学だって処世術だって実は大きな発見が隠れているかもしれない。
おばあちゃんの知恵袋的な話が、いくら止めても体に良いと言って謎のキノコを食べ続けるおじいちゃんの行動が、大きな発見のきっかけになるかもしれないのである。
要は、
「表に出ていない、くだらないと思われている情報や知識って意外にいっぱいあるよね。でも、時代が進むとどんどん消えていく。その前に全部拾い集めたい」
ということである。
そう思うと人に会うのが楽しくなってくる。
ある町でたまたま道を歩いている人と話せることが、どんな社会的に有名な人と会うことより価値が高いことなのかもしれないのだから。
理屈は抜きにして
ここまで散々語った上でとんでもないタイトルだが、今までの話は理屈としてはこうなりますよ、ということに過ぎない。
結局は、自分がふるさとだと思っていなかったこの『武蔵野』『多摩』という地域がとても好きで、この景色がこのまま残ってほしいなぁというだけである。
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