無価値でもない、価値のないもの

女は空を仰いだ
「妄想だが現実だったらいいのに」
声に出すと現実的で、虚しさが残るただの呟きと化した。脳内の自分はすごい存在で、誰にでも好かれるよう設定できるのに現実の私はなんでもない。
英語できるってことが逆に縛りになり、自分がそれ以外できない人間だと気づいたのはもう何度目だろう。
死についての考えだってそうだ。
自分は多分死を、人生の終わりをなんらかの形で望んでいる。
それは自分自身が無価値な人間であることを自覚してしまっているからだと思う。
才能も、根性も、やる気も、努力しようという姿勢もない。
移ろう毎日をただひたすら走り続けるだけ。
ただ自分に絶望し、決心し、毒を吐いて、ツボを生成する。
自分が無価値であると自覚したはずなのに、同時に自分がブランド物のカバンと同等の価値のある物だと錯覚している。
哀れという言葉を投げかけられても、数日後には忘れて、価値がある問い思考に戻っている。
本人ももういっそ気づいている。
自分がゴミではないが、ブランドものでもないことに。
そう、ゴミになれないからより辛いのかもしれない。
例えるなら部屋の隅っこに乱雑に置かれたガチャガチャの景品
その当時は「可愛い」や「面白い」と思い、三百円かけて回したもの。
その時は、いいと思った物。
今は誇りを被ったただの物
思われていた時は輝けているのに、忘れ去られて邪魔な物と化す
それに価値を与え、大切にするものもいれば、いらないと次の週のゴミの日に出す人もいるだろう。
でもそれ以上に、ゴミとして出されるまで何ヶ月も何年も誇りを被り
メルカリなどに載せられても特に売れないこのよくわからないものに
自分を見出せる自分は
結局一瞬でも人に価値を求めたいもなのであろう。
無意味、無価値、無

努力すれば少しはましになるけれど
結局自分が自分を諦めて
価値を見出していないから
結局薄っぺらいものになる


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