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1993年、アリゾナの思い出

今回のテーマ:異文化体験
by 福島 千里

アメリカに来て最初の驚き、それはトイレだった。

日本のトイレは足元から頭のてっぺんまできっちりとドアで隔たれており、個人のプライバシーがしっかり保たれているのが一般的だ。が、ここでは違う。個人宅や街中の小さなレストランなどを除き、駅や空港、デパートやオフィスビル、公共の場では、トイレのドアはたいてい足元が大きく開いている。人間が最も無防備な姿である間、扉の向こう側から他人に足元を見られるのだ。これに戸惑う人は多いと思うが、私もその1人だった。

トイレのドアの足元が開放的な理由として、

*足元が丸見えなので、個室の空きが確認しやすい。

*掃除がしやすい。

*少ない素材でドアが作れるから安上がり。

*長居しにくくなる(外から見えることである種のプレッシャーを与えているということだろう)

などなど、アメリカらしい合理性が挙げられる。

さて、私が初めてアメリカを訪れたのは1993年だった。大学2年生の夏。3週間ほど語学研修のためにカリフォルニア州サンディエゴにホームステイしていたのだが、この時、私はちょっとしたトイレ珍体験をすることになった。

生まれて初めての海外滞在。言語に文化、アメリカ人やそれ以外の人々との交流。見るもの聞くもの、万事初めての体験に、私は刺激的な日々を送っていた。

ホームステイ期間が終盤に差しかかるころ、アメリカは独立記念日を目前に控えていた。週末から月曜の振替休日を含めた3連休。学校も休校だし、ステイ先の家族にもどうやら家族の予定があるようだ。こういう時、ホームステイ中の学生はちょっとばかり居心地が悪くなる。他にも同じような境遇のクラスメート同士が集まり、にわかに旅に出ることになった。行き先はアリゾナ州にある世界遺産、グランドキャニオン国立公園だ。

飛行機なら1時間でひとっ飛びだが、航空運賃が安くない。そこで利用したのが大陸横断バス「グレイハウンド」だ。猟犬グレイハウンドのロゴが目印で、北米各都市を巨大ネットワークで繋ぐ米国有数のバス会社。サンディエゴからアリゾナのフェニックスまで約7〜8時間、そこでバスを乗り換えてさらに国立公園の玄関口となるフラッグスタッフまで約2〜3時間。乗り継ぎ時間を入れると約13〜15時間のバス旅だったと記憶している(当時はサンディエゴ〜フェニックス路線があったが、現在はロサンゼルス経由になっている模様)。時間はかかるが、とにかく安い(確か片道60ドル程度)ので、学生にとって最適なチョイスだ。私は金曜日の授業が終わると、ダウンタウンのバスターミナルで友人らと待ち合わせし、初の大陸移動の旅に出た。

このバス旅はいろいろな意味で刺激的だった。まず乗客の約半数が全身黒&グレー尽くめの集団で占められていた。男性は濃い髭面に古めかしいジャケットにスラックス、女性はたっぷりとしたレトロなロングスカートに髪はきっちり束ねて太いヘアバンドをしている。さながら100年ほど過去にタイムスリップしたような感覚に陥った。車中で仲良くなった現地の大学生グループが、「彼らはアーミッシュだ」と教えてくれた。現代テクノロジーに頼らず、今なお昔ながらの農耕生活を送る人々だが、その多くがペンシルバニア州やオハイオ州に暮らしているはずだ。

ーはて、車も嫌がる人々が、しかもカリフォルニアからバス移動することもあるのだなぁと妙に感心した。

乾いたハイウェイをひたすら走っていくと、やがてバスは小休止のために町外れの休憩所に停車した。日はとうに暮れ、街灯もないのであたりは真っ暗だ。バスを降り、煌々と光るレストランの明かりに向かって乗客たちがゾロゾロと歩き出す。トイレを済ませ、車内で食べる軽食を買ってバスに戻ってくると、すぐその隣にパトカーが数台止まっていた。見れば暗がりの中で男が後ろ手で手錠をかけられ、数名の警官たちから職務質問を受けている。中には拳銃を手にしている警官もいた。「早くバスに乗り込め」と乗客たちに手で合図する運転手を見、私もゾッとしてバスに乗り込んだ。

バスはさらに北上し、ついにフェニックスに到着した。時刻はすでに午後9時過ぎ。ここからさらにニューメキシコ州を目指すという大学生たちと別れ、私は友人らと一緒に次のバス乗り場まで急いだ。あぁ、グランドキャニオンまでの道のりは遠い。

「そうだ、乗車前にトイレに行っとかなきゃ」

薄暗いフェニックスのターミナル内を早足で移動し、女子トイレに駆け込む。確かガイドブックに“バスターミナルのトイレは犯罪が多いので要注意”と書いてあったはずだ。長居は無用。とっとと用を済ませて乗り場に戻ろう。

空いている個室を探して辺りを見渡すと、おもむろに1人の女性と目が合った。しかし、視線の位置がやけに低い。次の瞬間、思わず息を飲んだ。女性はまさに最中だったのだ。ドアの締め忘れか、鍵がかからず最中にドアが開いてしまったのか。いずれにせよ、こういう時は非常に気まずい。

「Sorry!」

慌ててその場から離れ、トイレ内を一周するとあることに気がついた。その女性のトイレはドアが開いていたわけではない。最初からドアがついていないのだ。10室ほどの個室のうち、ドアがあったのは2つだけ。当然、その2つの前には小さな列ができている。私は急ぎその列に並んだが、一方で私たちの横を通り過ぎ、ドアなしのトイレに平然と入っていく女性たちがいる。見てはならない。そんなプレッシャーの中、ドアなしトイレから可能な限り視線を逸らし続ける。しかしそんな私の思いをよそに、彼女たちは何事もなかったかのように用を済ませ、トイレを後にしていったのだ。この瞬間、私は渡米最初で最大のカルチャーショックを受けた。

ひと昔前の中国では、公共の場としての意味合いをかね、ニーハオ・トイレ(扉や仕切りがない)と呼ばれるものがあったと聞いていたが、よもやアメリカにもあるなんて・・・! (サンディエゴのトイレは足元は開いてたけど、さすがにドアは閉まってたよなぁ・・・)。

旅から無事に帰った私は、学校でこのことを先生やクラスメートに話した。

「あぁ、それはひどい!」

「フェニックス市、トイレ修理できないぐらい困窮してる?」

「それ、普通じゃないから」

「丸見えじゃんw」

さまざまな反応が返ってくる。アメリカ人に聞いても、それがスタンダードなのか、そうじゃないのかよくわからない。さすが広いアメリカ。行く先々でその土地の”基本”があるのだ。ただ、その中で私自身が最も納得できたコメントもあった。

「まぁ、密室で襲われるより、恥ずかしい思いした方がマシだもんねー」

強盗に性犯罪、麻薬販売など、密室となるトイレは格好の犯罪の場だ。今思えば、あれは防犯のための苦肉の策だったのかもしれない。

あれから30年近くが経つが、なぜあのターミナルの女子トイレの大半がドアなしだったのか、今も正解は不明だ。最近、フェニックスに15年ほど暮らす日本人の友人にターミナルでバスを利用したことがあるか聞いてみた。

「長距離バス? 若いころは使ってたけど、今はもう使わないなぁ。あ、でもアメリカ人の友人が”武装しないと長距離バスは乗れない”って言ってたわ」

「・・・・・」

フェニックスのバスターミナルの現状は結局今も不明だが(誰か知っている人いたら教えて)、全米各地の近年のターミナルはきっとだいぶ改良されているのではないかと思う。ちなみに私が日常的に利用するニューヨークのポート・オーソリティ・バスターミナルもかつては犯罪の温床だった。90年代、周辺治安の向上によってだいぶ良くなったと言われているが、それでも建物そのものは今も古くて暗い(なお、同ターミナルのトイレにはドアがちゃんとついてるし、人の出入りも多く、私もしばしば利用している)。しかし、老朽化が長く問題視される中、こちらはターミナルの大規模改修プランがすでに発表されている。

全てのバス旅が危険だとは思わないが、貧困〜中級層の利用が多い長距離バスは、やはり犯罪の温床になりやすい。そして日々多くの乗客たちが利用するターミナルのトイレは、今なお安全な場所とは言い難いと思う。とはいえ、時と場所、状況をきちんと踏まえれば、きっと楽しくて快適な旅ができるはずだ。何より、時間をかけて地を移動するバス旅は、アメリカ大陸の大きさを体感できる絶好の移動手段なのだから。ともあれ、この時の体験は、アメリカの治安の悪さを実感した強烈な思い出のひとつになった。以来、アメリカのトイレの下部が潔くパッカーンと大きく開いてる理由には100%納得している。

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◆◆福島千里(ふくしま・ちさと)◆◆
1998年渡米。ライター&フォトグラファー。ニューヨーク州立大学写真科卒業後、「地球の歩き方ニューヨーク」など、ガイドブック各種で活動中。10年間のニューヨーク生活の後、都市とのほどよい距離感を求め燐州ニュージャージーへ。趣味は旅と料理と食べ歩き。園芸好きの夫と猫2匹暮らし

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