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教えてもらえなくて、だから分からなくて、それでもどうにか世間を知りたかった中学生

夢に、中学生の時に好きだった人が出てくることがまあまあある。実際には、その人が恋人になった、またはいい雰囲気になったなどの記憶は無く、噂伝いに好きなことが本人にバレて避けられるようになっただけだ。しかし、私の中ではそれが大きな思い出らしい。

当時のイメージのまま夢に出てきて私と仲良くなる。そんな夢をもう4、5年見ていると思うと、不可思議だ。

昨日寝る前に、中学生の時の友達と遊ぶ約束をした。その印象が頭に残ったまま眠りについたことが理由の一つだろう。

当時、わたしはどんな風だっただろうか。先を見据えて行動するように言われ、言われた通りに意識している割には、将来のことが何もわからなかった。

家族にも家庭の金銭事情を教えてもらうことはできない。にも関わらず、欲しいものを強請っては高すぎるだとか、そんなこともわからないのかだとか言われたような気がする。

教えてもらっていないことを分かるわけがないと当時は思ったものの、教えようもない家族の気持ちも今ならわかる。

これはよくある話なのか、私の通っていた中学校がたまたまだったのか分からないが、教職員が口を揃えて「集大成」という言葉を使っていた。

学期末の集大成、学年末の集大成、受験生になる前の集大成、卒業前の集大成。

しゅう‐たいせい〔シフ‐〕【集大成】
[名](スル)多くのものを集めて、一つのまとまったものにすること。また、そのもの。集成。「多年の研究を―する」

goo辞書より

集大成と言われてテストを配られ、集大成と言われて行事に参加し、集大成と言われて受験に挑み、集大成と言われて卒業した。

なんだったのだろうか。「まとめ」と言うのではいけなかったのだろうか。

中学生の頃は世間の事が分からず、先の想像もつかなかった。信頼出来ると思われていた大人たちの言うことを聞いて勉強し、行事に励んだ。

まだ大学生活が途中であるため現時点での話になるが、私は学生生活の中で中学生が1番ハードなように感じる。

常識を捉える、時代の変化を体で感じる、自分が幸せだと思う時間を実感する、頑張ると疲れる。当時から数年経ったからこそ分かったことだ。

中学生は知っている範囲や教えてもらえることが少ないのに、絶妙に自立を促され、中途半端に責任がある。その事が当時は怖かった。

まさに時間が解決することではあるけれど、1年の長さの感覚さえおぼつかない10数年の体ではそれを理解するのも難しく、常に大人に追いつけるように必死だった。

どんよりとした気持ちで中学生活を送った事が理由で、純粋な心を表現する作品が好きになった。素直に疑問を持ち、向き合い、キラキラした瞳で生きている人の様子を見るのが好きだ。

なんとなく純粋であるように思う中学生の頃より、今の方がよっぽど世間を明るいものと捉えているし、のびのびと生きているような感じがする。

幼少期は良かっただとか、あの頃は楽しかっただとか、よく言われる例えは理解が出来ても実感が湧かない。

当時は暗闇を模索していたけれど、今はこれからやりたいことがあるし、楽しいと思う時間もある。希望がある事が、大きな救いだ。

中学生の時に好きだった人が夢に出てくるのは、もう1つ小さな心当たりがある。

昨日の夜、今すごく好きで推しているキャラクターについてTwitterで呟いていたことだ。その記憶が、すごく好きな感覚が、私の中で当時の恋愛に似ていたのだろう。

人に認められたくて、でも希望がなくて、焦ってバレて玉砕したけれど、なんだかんだ面白い思い出だったと受け入れられる余裕が、この先の人生にも変わらず、ありますように。




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